アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SHADOWS INSIDE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「自嘲は強者のことである。自己憐憫は弱者のことである」

By 阿部次郎


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


大義は小義を兼ねず

 デカい事が出来るからといって細々とした事が出来るとは限らないが、細々とした事をシッカリこなせるならばデカい事も難なくこなせる。仕事でも勉強でもスポーツでも遊びでも、この基本だけは変わらないとワタクシは考えるのである。トップクラスのスポーツ選手があんだけのスーパープレイをこなせるのは、基礎練習を積み重ねているからである。スーパープレイってのは、基礎動作の延長線にあるモンだからである:


だから大した実績や経験も無いのにデカい事を言うヤツを、ワタクシは全く信用しないのである。オタクなんかが正にソレだけど、経験も実績も無いヤツほど、知識だけをやたら蓄積しようとするのである。知識を蓄積しても実績や経験の裏付けが無いから説得力を持たず、説得力を持たないから相手にされず、相手にされないから更に知識を蓄積しようとして、その悪循環である。


 今回の新潟県知事選も正にソレである。都知事選の時もそうだったけど、野党連中は「安倍政権打倒という大義が果たせればその他諸々も良くなる筈ッ!知事選はその為の第一歩なんだッ!だから知事選で安倍政権批判をする事は間違っていないッ!」って考えてるらしいのだが、全く逆なのである。地方を大事に出来ないヤツが、何をどうすれば国政を上手くやれるなんて思えるんだって話である┐(´д`)┌


ワタクシが思うに、野党のやる事は一つである。ソレは「草の根レベルで一から実績を積み重ね直す事」である。そうやって市政県政レベルで実績を積み重ねてこそ、国政でも上手く行くのである。確かに勢いに任せてルサンチマンを煽れば票は取れるだろうけど、そんなモンは一瞬で吹き飛ぶのである。その事は民主党政権時代のソレが何よりの証拠である。まぁ政治云々の話はウケが悪いと相場が決まってるので、この話は終わりにするよしようジャマイカ(笑)


*オタクは弱者

 ココ最近「オタクの非常識な行為が云々、だからオタクはダメなんだ云々」ってニュースが多くみられるけど、オタクであるワタクシの見解は「全く以ってその通りです、ハイ」と言ったトコである(笑)オタク趣味が悪いとかじゃなくって、オタク趣味は非常識なヤツでも嗜めるからである。例えばサッカーとかバスケとかだと、身体能力以外にもコミュ力が必要となるのであり、コミュ力や社会性の無いヤツは自ずと弾かれてしまうのである。でもアニメやマンガやゲームだったら、その心配はないのである。身体能力やコミュ力や社会性が無くっても、ニッポン語の読み書きさえ出来れば嗜めるのである。ソレが結果として、そのジャンルにそういうヤツを引き入れ易くなってしまうのである。



 だから【聖地巡礼に来るファンのマナーが云々】っていう話を聞いた時も「あ〜、コレやりかねん社会性の無いヤツ、実際居るしな( ̄▽ ̄;)」ってのが正直な感想である。こう書くと「アニメファンでない人にも常識無い人が居るのに何故アニメファンだけ云々」「コレは差別であり偏見である云々」というレスが返ってくるだろうけど、ソレに対しワタクシは「世の中は古今東西、差別と偏見で回ってるんだから、何か問題でも?」と答える次第である。こう答えると今度は「そんなのは間違ってるッ!」って反論するだろうけど、ソレに対しても「間違ってたとして何が出来るの?」と答える次第である。そう、何も出来ない、ソコが問題なのである。何故何も出来ないかって、オタクが弱いからである。


 そう、オタクの悪い癖として知識を搔き集めて正論で勝とうとするのであるが、正論だけじゃ勝てないのである。世の中ってのは基本的に弱肉強食であり、差別と偏見で成り立っていて、そして世の中におけるオタクの立場は弱い。アニメに限らずオタクに対する風当たりの強さの本質はココにあるとワタクシは思うのである。その逆がやきうであり、何故やきうが不祥事諸々があっても今の地位を保ててるかって、やきうは強いからである。選手はとんでもない高給取りであり、ナベツネに代表されるような社会的な地位と力のある人が支えていて、フツーの人達のやきうファンも多い。つまりコネもカネも権力も説得力も影響力も、やきうは全て持っているのである。アニメはじめオタク界隈に、果たしてそんだけのモンがあるのかって話である。


*弱者から強者へ

 じゃあどうすればいいのかって問われたら、ワタクシの答えは「各々のオタクが細かい事から積み重ねていくしかない」である。身形を綺麗に上品にして、言動に気を付けて、イベント諸々を行う時は周りの迷惑にならないようにして、マナーやモラルを逸脱した同胞に対して厳しく自浄作用を働かせる。そういった細かい積み重ねを繰り返して、少しずつ「オタクって悪いヤツじゃないじゃん( ̄▽ ̄)」っていう世間の信頼を勝ち取っていくしかないのである。そういう地道な活動があるからこそ、何か問題を起こしても「まぁ、俺の知ってるオタクは皆ちゃんとしてるヤツ等だから、偶々だよね」って思ってくれるようになるのである。繰り返し言うが、大事なのは「正しいか否か」ではなく「説得力があるか否か」なのである。


 ソレを上手くやったのがサバゲーである。十数年前からサバゲー界隈はマナーやルールを徹底的に周知してたのである。フィールドの外では迷彩服を着ない、鉄砲はちゃんとケースに入れて持ち運ぶ、法令は厳格に守る、暴言やルール違反やマナー違反には凛として対処する、インフラを整える、必要以上に安全に気を遣う等々。近年のサバゲーブームが起こったのも、そういう下地をシッカリ作ってきたからこそなのである:

ワタクシはサバゲーがまだ「オタク共の気持ち悪いマニアックな遊び」脱時代から、今の「新しいタイプのレジャー」に至るまでをリアルタイムで見てきたからこそ、こういう積み重ねの重要さを実感してるのである。そうやって社会的に影響力のある人を徐々にサバゲー好きにしていったからこそ、昔実際にあったサバゲーマーが犯人の凶悪事件も、何時の間にかサバゲー好きが増えていたマスコミ関係者が忖度して報道しなかったのである(笑&実話)世の中は正しいか否かではなく、力(説得力、影響力、権力など)があるかないかで決まる。世知辛いけど再認識した今日この頃であった。