アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE TROUBLE WITH ANGELS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「真友たりとも、淫乱雑談なすべからず。もし人、申し掛けば、目立たざる様にその座を立つべし」
By 武田信繁

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

*和製スーパーカー時代への投資
 R35界隈では「水野和敏氏が秘話中の秘話を書き示した本が22.5~27.5諭吉で発売される」って事で盛り上がってるが、やっぱ何だかんだ言っても水野氏の時代には夢があったのである。R35をキッカケにニッポンにスーパースポーツカー文化が芽生えて、10年後20年後にはイタリアのようなスーパーカー大国にニッポンはなれるかも知れない。そんな夢があったからこそ、未来への投資としてR35を購入した。ワタクシ以外にもそんなヤツが多かったんだと思うのである:
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余程の出羽守野郎だとか成り上がりモンとかでない限り、ニッポンで成功した人間はニッポンという国に対する愛国心があるのである。そしてその愛国心は「国産メーカーからも欧州スーパーカーに匹敵するようなモンを出してほしい」って望むのであり、だからこそR35誕生時には多くのクルマ好きが水野氏が示す可能性に賭けたのである。

 でもって結果は残念ながらニッポンにスーパーカー文化は芽生えず、R35も来年には生産終了し、次期型の予定も全く立たないままである(´・ω・`)上手く行かなかった原因は色々考えられるけど、一番はやっぱ「日産(及び他国産メーカー)に赤字垂れ流してでもスーパーカー文化を創り出す気概が無かった」に尽きるであろう。その真逆がレクサスで、レクサスはあのリーマンショックが来た時でさえ、躊躇わず予定通りに突き進んでいってたのである:
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2005年にニッポンに上陸して、上陸してから十ン年ずっと赤字を垂れ流して、黒字になったのがつい数年前。ソコまでやったからこそ、レクサスはニッポンに高級車文化を定着させる事ができたのである。だから日産も赤字垂れ流してR36、R37と作り続ける事ができていれば、ニッポンにスーパーカー文化を芽生えさせることができた可能性があったと思うのである。

*自由席は自由に非ず
 話は変わって、何だかSNSじゃ「自由席の隣が云々」で侃々諤々やってるっぽいのである。何だか「特急の自由席で他の席が空いてるにも関わらず、オッサンが敢えて女性の隣に座ってきた云々」って話らしいが、ソレに対するワタクシの見解は「世知辛い話だけど公共交通機関、特に自由席なんてそんなモン」といったトコである。公共交通機関の問題は何って「不特定多数を拒絶できない」に尽きるのである。たとえどんなにキモいヤツが同じ空間に居たとしても、ソイツが違法行為や主権侵害をしてない限り、ソイツを拒絶する事はできないのである。

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 電車、特に自由席が安いのって、つまりそういう事なのである。ヤバいヤツに絡まれるリスクを請け負う事で、移動に掛かる費用を抑えているのである。良いか悪いかではなく、支払ったコストに対する代償ってヤツなのである。確かに常識やモラルってヤツは重要であるが、でもソレを強要する事は誰にも出来ないのである。残念ながらソレが自由社会ってヤツであり、資本主義社会ってヤツなのである。だからイヤなヤツに絶対に隣に座られたくないのであれば、追加料金出して指定席やグリーン車に行くしかないのである。

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 ワタクシはこういうレベルの低い客に絡まれる可能性を減らしたいからこそ、長距離移動は飛行機を使うのである。飛行機は全席指定だし、CAはじめスタッフがちゃんと監視してるし、移動時間も短くなる分だけ変なヤツに絡まれる可能性も減る。だからファーストクラスという商売方法が成り立つし、大カネ持ちはプライベートジェットやスーパーヨットなんかを所有してたりするのである。ソコまでカネを払ってでも、人間というナマモノは自由を渇望するのである。世知辛い話ではあるが今の時代、特に先進国においては、水と安全と自由はカネで買うモンなのである。

*最もバーゲンセールな自由
 以前ワタクシは「クルマを買うという事は、ソレ即ち自由を買うという事」といったが、つまりそういう事なのである。この場合自由ってのは「行きたい時に行きたいトコへ行きたいルートで行ける」だけじゃなく「不特定多数による望まないトラブルからも解放される」って意味も含まれるのである。確かに維持費や税金などのカネもかかるし、交通事故等のリスクもある。でも「イヤなヤツが隣に座る可能性を排除できる」「座って欲しい人を選んで座ってもらう事もできる」って自由度の前には、そのリスクも霞んでしまうのである。

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 以前から言ってる事だが、人間というナマモノの歴史は利便性追求の歴史であり、利便性の為ならば人間はリスクを克服する方向に努力するのである。だからワタクシも「クルマはムダ遣い」「各種リスクが割に合わない」って言われても「ムダ遣いしてる以上に稼げばおk」「死ぬほど準備して気を付けて乗るから無問題」と答える次第である(笑)どんなに賢くて正しい事を言ったとしても、ソレが自由ではなく束縛を求めてるのであれば、ソイツは単なる奴隷なのである。人間ならば自由を求めるべきだと再確認した今日この頃であった。