アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

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 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「独創的なものは、初めは少数派である。多数というものは独創ではない」

By 湯川秀樹


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*少数派のススメ?

 ワタクシは少数派で、少数派のために活動してる人間でもある。そんなワタクシが活動する際、肝に銘じてる点が一つだけある。ソレは「差別や偏見を無くす事は出来ても、違和感を無くす事は決して出来ない」という事である。多数派の人間に対し「少数派に配慮しる」って言う事は、古今東西誰もがやってる事である。じゃあ、少数派が多数派に対し配慮する事とは何か。ワタクシの答えは「多数派が少数派に抱く違和感を配慮する事」である。配慮ってのは一方通行ではなく、互いにやるからこそ意味があるのである。そうする事で初めて、互いに対等な立場で話し合えるからである。もしも「我々は弱者なんだから、一方的に施されて当然」と考えるんだったら、ソレは逆差別ってモンである。


 何ちゅーか、ニッポンの(特にマスゴミ主導のソレ)少数派運動ってのは「多数派=偏見を以って少数派いじめをする悪い人達」「少数派=多数派に虐げられる純粋無垢な人々」的なイメージを植え付けられた状態で行われてる場合が少なくないのである。でもってワタクシは生業上どちらの勢力にも所属してるから、そんな事は無いと断言するのである。多数派にも理解のある人は沢山いるし、少数派にもダメなヤツは大勢いる。つまり、お互い様ってヤツである。だからワタクシ等少数派の人間も多数派の人間に対し敬意を示す必要があり、そのための手っ取り早い方法が上記の「違和感を感じさせないようにする」なのである。ムダにテメェの個性を誇張しない、余計な痛い発言はしない等々といった感じにである。


 違和感に対し眉を顰める行為そのものが偏見であり差別だって?ワタクシはそう思わない次第である。たとえばアフリカの一部の部族なんかじゃ親愛の印として相手の掌に唾をかける習慣があったり、御馳走として芋虫を生のまま食べるようなトコがあるのである。今モニター前に居るロンマニアの皆様の中で、掌に唾をかけられたり芋虫を生のまま食べたりする事に全く違和感を感じない方が果たして何人いるのかって話である。多分居ないだろうし、ワタクシだってそうである。コレが違和感ってヤツであり、偏見や差別とはまた別の感情なのである。でもって、どんなに小さな違和感であっても、塵も積もればナントカやらである。だから違和感に対する配慮が必要なのである。


サバゲーにおける違和感の解消

 こーゆー話は具体的に言った方が分かり易いので、サバゲーに例えてみるとしよう。昔と違って、今はサバゲーに対する世間の目はかなり良くなってるのである。今サバゲーがフツーの人達にも普及し始めた事もあり、昔みたいな「ヤバいヤツ等が小動物を殺せるような武器で云々」ってのは大分無くなってきてるのである。が、ソレでもサバゲー属性の無い人にとって迷彩服とエアガンが「非日常的な得体の知れないシロモノ」である事には変わりないのである。人間ってナマモノが何に対して恐怖を抱くかって、他ならぬ「得体の知れないモンに対して」である。先ずフツーの生き方してたら、迷彩服やエアガンに触れることなんて無いのである。違和感が重なれば何時かはソレが恐怖となり、恐怖が重なれば廃訴運動になるのである。


 じゃあワタクシ等サバゲーマーはコレに対してどう対処したかと言えば、こんな感じにやったのである:

  • マナーの徹底化 → 迷彩着て銃を撃つのはフィールドの中だけ。フィールドから出る時は必ず迷彩を脱ぎ、銃を収納する
  • 自浄作用の徹底化 → マナー違反やモラルに反する事をしたヤツに対し、部外者より先に身内で厳しく落とし前付けて反省する
  • 関連企業による啓蒙活動 → 業界のリーディングカンパニーが進んで安全性を守ってる事を明言する

無論、全てが上手く行ってるワケではなく、今でも問題は山積みである。でも「サバゲーやってる人達は問題を少しでも良くしようとしている、フツーの人達に迷惑が掛からないように頑張ってる」って事を言い訳せずに、兎に角行動で示すだけなのである。口だけ達者で具体的な行動を何もしないヤツは、どんな分野においても信用できない。コレ当たり前の話である。


 コレがもしサバゲーマー有志を集めて、フル武装した何百人、何千人という集団で「サバゲーマーに対する偏見はやめろ―( ̄Д ̄)ノ差別はんた〜〜い( ̄Д ̄)ノサバゲーする自由を認めろ〜( ̄Д ̄)ノ」なんてシュプレヒコール上げながら国会周辺をデモ行進しようモンなら、間違いなくサバゲーは終わっていたであろう(笑)話し合うって事は確かに重要である。でもソレは「相手に自発的に聞く意思があれば」の話である。サヨクが良くやるこの手のデモってのは「私達は正しいんだから、私達の話は聞いて当然」って考えが根底にあるが、ソレはダメなのである。たとえどんなに正しくとも、相手の自発的な意思を無視して一方的に押し付けるのであれば、ソレは何の価値も無いのである。


*偶然ではなく必然

 だからワタクシは今回の史上最大級のサバゲーブームを、偶然ではなく必然だと考えてる次第である。ワタクシは長い事サバゲーやって来たから、サバゲー愛する人たちがどんだけ地味且つ根強く行動してたかを目の辺りにしてきたからである。そういった地味な行動を積み重ねたからこそ、今回のブームが来た時に上手く乗れたのである。実はサバゲーにおけるブームは今まで何回か来てたのであるが、ちょっと盛り上がってすぐ終わってしまってたのである:

何らかのキッカケでサバゲーブームが起こり、フィールドに人が集まる

集まったのは良いが、インフラが悪く関係者が未熟

マトモな人はその空気に耐えられず、来ても直ぐにまた来なくなる

元の木阿弥

( ゚Д゚)マズー

・・・ってワケである。でもって今回のブームは集まった新しい人達が過ごし易いような環境が出来てた(行き届いたフィールドの整備、充実したインフラ、徹底化された各種マナー等々)から、結果として盛り上がっていったのである。ワタクシもいちサバゲーマ―としてコレがずっと続く事を願うし、ワタクシ自身もそのための努力を惜しまない次第である。そう、少数派が地位と理解を得るための極意を、ワタクシはサバゲーで見出したってワケである(笑)人生は何につけても勉強になる。つくづくそう思う今日この頃であった。