アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

A DEAD POEM

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「時代を切り開いた思想と言うのは、歴史が新しい波動に入るたびに形を変えて蘇るという事を忘れてはならない」
By 神吉晴夫

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

*赤字の出血大サービス
 今やHVの代名詞となったプリウスであるが、初代は大赤字だったんだそうである。2代目もマシになったとはいえ赤字で、3代目からやっと利益が出るようになったんだそうである。何故ソコまでしたかって「HVをニッポンで定着させるため」である。当時世界初だったHVの良さを皆に理解してもらうためには大サービス価格で車両を売って、何があろうとも定着し成功するまでやり続ける必要があるからである。トヨタの何が偉いって、技術力や信頼性云々以上に、その「一度決めたら何が何でもやり通す」って気概であり、ソレ故に消費者の信頼をガッツリ掴めるのである。

 日産やホンダに足りないのが正にコレである。GT-RNSXがソレであるが、ダメだと思ったら熱烈なファンを呆気無く切り捨てるから、ブランドに対する信頼を得られないのである・・・とまぁ前置きはコレぐらいにしておいて、先日の話の続きである:


こんな具合にチャプターを追う事によって、モタスポ黎明期から今に至るまでの歴史を追えるようになってるのである。世界最初のモタスポは1894年にパリで行われており、FIAが「Fédération Internationale de l'Automobile」というフランス語の略称なのは、モタスポのルーツがフランスにあるからである。


コレがその世界最初のレースで優勝したマシンのレプリカである。あの当時のレースは公道で行われてて、100kmほどのコースをマラソンみたいに走り抜けて「誰が一番先にゴールするか」で勝敗を決めてたのである。今みたいに専用コースをグルグル回るようになったのはその10年ほど後の話である。


その時代のレースカーである。あの時代のクルマは今の軽自動車ほどのパワーも出なかったので、当然だが空力もへったくれも無かったのである。あと写真じゃ分かり難いが、この手のクルマってムダに車体もエンジンもデカいのである。今のクルマはコレの半分ぐらいのサイズで倍のパワーが出せるんだから、科学の進歩って凄いモンである( ̄▽ ̄;)


この時代のクルマで最も有名な部類に入るだろうブガッティType35Bである。クルマ属性のあるロンマニアの皆様が大好きであろうアルミホイールであるが(笑)ソレを世界で最初に採用したのがこのクルマなのである。


ヘンリー・フォード、フェルディナント・ポルシェ、豊田喜一郎、そして本田宗一郎。何れもクルマの歴史を語る上で決して避けて通れない偉人達である。こんな風にクルマ黎明期から順に歴史を辿っていく仕組みになってるのである。


あと蛇足であるが、ポルシェファンの中には「マカンやケイマンがEV化しちまった云々」「HVの911なんて受け入れられん云々」とか言ってるヤツが少なくないが、EVもHVも100年前にポルシェの元祖であるフェルディナントがEVやHVを実用化に向けて研究してたんだから、熱心なファンなら余計な事言わずに受け入れやがれって話である(笑)


WW2が終わってニッポンにもモータリゼーションの波が押し寄せるようになると、欧米だけでなくニッポンでもレースが盛んになって、国内外でニッポン製レースカーを走らせるようになってきたのである。若いロンマニアの方は驚かれるだろうが、今はトラック作ってるあのいすゞは昔は乗用車も作ってて、更にはレースもしてたのである。

*皆大好きニッポン車
 そう、ニッポンがクルマをガチるようになったのって、意外と最近の話だったりするのである。世界最初のクルマが1769年(キュニョーの砲車)で、世界最初の量産車が1886年(ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン)だから、欧州のクルマ史って思ってる以上に長いのである。つまり伊能忠敬が徒歩でニッポン地図を作ってた時代には欧州は既にクルマを作ってて、鳥羽伏見でドンパチしてた頃には既にクルマ売ってたんだから、そりゃ歴史の違いは明白である(^_^;)


ココから先は近代のモタスポ、つまりロンマニアの皆様も良く知る時代のクルマである。


あの赤いクラシックカーは何かって、アルファロメオクラシックカーである。今はパッとしないのがアレであるが、昔は名門中の名門だったのである。フェラーリ創始者であるエンツォ・フェラーリアルファロメオ所属のレーシングドライバーだったのは有名な話である。


WRCニッポン勢全盛期の象徴的存在であるインプ&ランエボセリカである。残念ながら今では全部終わってしまったが、その後も続いたニッポンにおける数々の伝説の始まりがココなのである・


WRC最狂の一台」と悪名高いランチア・デルタS4である。ミッドに積んだ600馬力のエンジンを4WDで駆動させて、道なき道を駆け抜ける。グループBは確かに危険極まりないが、ソコにロマンもあったのは間違いないのである。


WECを語る上で欠かせない、ニッポンを代表するWECマシンの2台である。


ドリキン片山右京とSオーナーによりドライブされ、総合優勝まであと1歩だった悲劇のマシンGT-ONEである。ワタクシ個人としては、Sオーナーは余りにも頻繁に会って会話してるせいか、コレを走らせていた伝説のドライバーだという実感が全然湧かないのである(笑)


最早説明不要なニッポン勢最初のル・マン24時間優勝マシンであるマツダ787B&ソレに積まれてたR26Bエンジンである。余りにも頻繁にマツダ関連のフェスティバルに引っ張り出される為、正直ワタクシも見飽きてるのである(笑)


5バルブエンジンもロータリーエンジンも、今となってはもう時代遅れとなってしまったのである(^_^;)5バルブはまぁしゃーないとして、ロータリーは【最近復活した】にも関わらず空気である(´・ω・`)まぁ何ちゅーか、マツダも迷走してんなぁって感じである( ̄~ ̄)


ご存知トヨタF1である。Sオーナー曰く「トヨタの開発拠点がドイツだった時点でダメなのは決まってた」だそうである(^_^;)というのも「殆どのチームの開発拠点はイギリスで、インフラも人材もイギリスに集中してるんだから、拠点はイギリスじゃなきゃダメだった」との事である。


GT-R伝説の始まりであるR32グループAマシンである。この辺りからニッポン車は性能でも欧州車とタメを張れるようになって、後に「50歳の壁」と呼ばれる右ハンドル時代がやってくるようになるのである。


マクラーレンゴードン・マレーにも多大なる影響を与えた初代NSX-Rである。上記R32GT-Rを含め、この辺りにクルマに目覚めた若者は「ニッポン車が欧州車に劣ってるなんて事は全然無い」と考えるようになり、ニッポン車の進化に正しい方向性を与えたとワタクシは考えるのである。


現在のD1参戦マシンと、あとアメリカンモタスポ参戦車両である。ワタクシはこの辺詳しくないんで、説明はパスさせてもらう次第である。

*モタスポは続くよコレからも
 とまぁ、非常に見ごたえのあるミュージアムだったのである(^-^)トヨタが何だかんだスゲェなと思うのは、コレだけの為に少なくない投資が出来るのもだけど、真摯にモタスポの未来を考えてるトコがである。レース前日にココに来てミュージアムを目一杯楽しんで、フカフカのベッドでガッツリ寝て、翌朝はレースなりイベントなりを満喫して、素敵な思い出と共に帰宅する。そりゃ料金が高くったってクルマ好きモタスポ好きなら一泊したくなるってモンである:


ミュージアム最後の展示がコレである。現在は黎明期以来のクルマ大変革期であり、今後どのパワートレインが主流となるのかは全く分からん状態であるが、どんなパワートレインであろうともレースで色々試される事になるのである。ココに来て「レースは走る実験室」が復活してきたのである。


一通り観終わって、あとは帰路に就いたのである。確かに2本目走れなかったのは残念であるが、その代わり良いモン見れたので良しとする次第である (゚∇^d)蛇足ではあるが、今シーズンのFSW走行はコレが最後の予定であり、次またFSW行くのは今年末ぐらいになるであろう。実は更にもう一つあるのであるが、ソレは秘密にしておこうと思う今日この頃であった。.