アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

IN/CASINO/OUT

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「勝利への道は、訓練、決意、努力、そして信仰心と愛によって開かれる」

By アイルトン・セナ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


モータースポーツの終わコン化

 鈴鹿で行われているF1ニッポンGPの観客数が【年を追う毎に減ってきてる】んだそうである。まぁF1含めモタスポが下火になってるのはニッポンに限った話ではなく世界中(特に先進国)なら何処でもそうだから、今更驚く事じゃないのである。ただ最盛期が35万7千人だった事を考えると、やっぱ13万7千人は随分と減ってしまったなぁと実感せざるを得ないのである(^_^;)何故こうなったのかについては諸説色々あるのであるが、ワタクシは「マシンの進化が人間の進化を追い越しちゃったから」だと思うのである。人間の反射神経と耐久力には限界があるのだから、その限界まで達してしまうとマシンはソレ以上進化できないのであり、そしてその限界にマシンはもう達してしまってるからである。モタスポの最大の魅力の一つがマシンの進化なのに、ソレが停滞したら飽きられてしまうって話である。



 今じゃマシンや技術が進化し過ぎてて、走る前からそのマシンが出せるタイムがシミュレーターで分かってしまう時代である。で、そんな時代のドライバーの役目は何かというと「可能な限りシミュレーター通りに忠実に運転する事」であり、実際その方がレースで勝てるようになってしまってる。冗談みたいな話だけど、マジな話である。だからチームやドライバーの争いも技術や根性のぶつかり合いじゃなくて、技術的な抜け穴の探し合いや政治的な駆け引きのし合いに終始してしまう。ンなモン、傍から見てたって楽しくないに決まってるのである。楽しくないと分かっていても、長年ソレでやってきて利権云々が複雑にガッツリと絡み合ってるから何も出来ない。そりゃ人気が低迷する筈である┐(´-`)┌


*スポーツって何ですか?

 ワタクシは常々「スポーツの楽しさって一体何なんだろう?」って考えてたのであるが、ようやくその答えが見つかった希ガスのである。ソレは「極限まで何らかの能力を極めた人間同士が、その人間性のぶつかり合いにより生まれる予測不可能な人間ドラマに感動するから」である。やきうとかサッカーとかバスケとかが時代が変わっても&基本的にやる事が変わってなくても変わらず人々を楽しませられるのは、その基本が人間にあるからである。その周囲の諸々が最新技術により進化しても、最後は人間が全部主導権を握ってるから、ソコにドラマが生まれるのである。だから複雑な機械を使わないスポーツほど人間味が良く表れるから、同じ事の繰り返しでも退屈しない&感動するのである。



 昨年のNBAファイナルのレブロン・ジェームズの余りにも有名なシーンも、人間と人間がぶつかり合ったからこそ生まれたモンなのである。そう、機械や技術は脇役でなきゃダメなのである。ところがF1(及びその他モタスポ)じゃマシンの開発力とかチームの政治力とかが前に出過ぎてしまってるのである(´ヘ`;)やきうとかだと戦術や選手の調子次第で最下位チームでも首位チームに勝てる事が時々あるが、モタスポじゃそんな可能性はトラブルにでも巻き込まれない限りは無い。走る前から勝負がほぼ決まってるんだから、観てる方はワクワクもへったくれも無いのである( ̄〜 ̄)だからスーパーGTのハンデウェイト制度って色々言われてるけど、アレはアレで良く出来たシステムだとワタクシは思っているのである。


 じゃあ今後モタスポがこの先生きのこるにはどうするかと言えば、ワタクシは二通りの方法を提案するのである。一つ、ドライバーを排して自動運転にして、安全性を考える事無くスピードを再度徹底追及する方針を取る事。二つ、ハイテクを禁止してして、アナログなマシンのみでレースする方針を取る事である。でもってワタクシ的には、やっぱ後者が一番現実的だと思うのである。レギュレーションを簡単に作ってみると、こんな感じである:

  • マシンにコンピューター的なモンを使う事は一切禁止
  • 電気はスパークプラグを点火する時以外は使用禁止
  • 機械は油圧で作動するモンに関してはおk
  • 開発において最新技術を使うのはおk

といった感じである。球技とかで試合に使って良いモンはアナログでも、ユニフォームとかトレーニング機器にハイテクを使って良いのと同じ発想である。コレなら何もかにもが人間的判断に委ねられるからドラマが生まれるし、ドラマから感動も生まれてくると思われるのである。


*終わコン化するモータースポーツ

 こう書くと「そんな古めかしいモタスポなんて誰が見るんだよ('A`)」と思われるだろうけど、ワタクシはモタスポはもう古典化するモンだと思ってるのである。分かり易く言うと、今の馬術みたいな存在になるんじゃないかとも思ってるのである。モタスポが他のスポーツと違うのは、その技術が日常生活にも直結してるからである。モタスポが上手いという事は運転が上手いという事であり、運転が上手いという事は周囲から称賛を受ける行為だったのである。ただ運転が上手い事が称賛を受けるのも、運転がまだ手動が主流な場合においてのみである。自動運転が普及すれば、超人的なドラテクなんて称賛されるどころか、ソロバン一級並みに実用性の無い技術扱いされるのみである(笑)




 そう、コレって馬術と似てるんじゃないかという話である。100年前までは日常と直結していた馬術がクルマの発達により日常での役目を失い、特定の場所以外での使い道を失ったのと同じ状況に、今の手動運転のクルマは追いやられているのである。ワタクシが生きてる内にそうなるかは分からんが、このまま技術が順当に進化していけば、今の人が馬に乗らなくなったのと同様に、人々は自らの手足でクルマを運転しなくなるだろうからである。そうなったらモタスポはどうなるかって、今の馬術が占めてる位置に収まるのである。そう、モタスポの低迷は不運でも偶然でも何でもなく、ある意味必然とも言えるのである。まぁその日が来るのはまだまだ先だと思うので、今は間も無く開ける走りのシーズンに胸をときめかせようと思う今日この頃であった。