ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「全ての知識は経験に基づく」
By イマヌエル・カント
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*情報×経験=知識
本やネットに書かれているどんな素晴らしい知識でも、ソレが本やネットに掲載された時点で既に過去のモノであり、つまり参考資料以上の価値を持たないモンになる。他者はどう考えてるか知らんが、ワタクシはそう考える次第である。だからソレをそのまま引用したら、そりゃ齟齬が起きるに決まってるのである。自分で実際に「今はどうなってるか」を自らの五感で感じて、ソコで初めて参考資料を引っ張り出して過去と比較する事によって、自分の中で「じゃあ現在〜未来はどうなっていくか」ってビジョンが自分の中に出来上がるのであり、コレがホントの意味での「知識」なのである。つまり知識ってのは他人に教えられるモンじゃなく、各々が自分の中にだけ持ってるモンなのである。
そう、だから経験の無い知識も、経験だけの知識も、共に存在し得ないとワタクシは考えてる次第である。やきうに関する本を山ほど読んで、やきうの試合をアホ程観ててば、ソレだけでプロやきうの監督や解説者になれるであろうか?答えは当然ノーである。実際に選手としてグラウンドでプレイしなきゃ絶対分からない事が山ほどあるし、実際に選手としてグラウンドでプレイすることで本や観戦のみで得た知識との齟齬が分かるようになる。だからプロ選手として一軍でプレイした人間だけが、後に監督や解説者になれる資格があるのである。情報のみ経験のみで他者に何かを語りかけたトコで、その言葉に説得力は無いのである。理論的に正しいのと、説得力の有無は、また別の問題なのである。
*冷却チューン・ア・ライブ
オタク同士のトークが面白くない理由も、ワタクシがオタクの世界から距離を置いているのも、理由は上記のソレなのである。自分では何も生み出さずに過去の参考資料で侃々諤々やるなんてのは、非生産的にも程があるからである。ネットが無かった昔なら兎も角、今は大概の知識はポッケの中のスマホで得られる時代だからである。でもってワタクシの知る限り、この手の参考資料をグダグダウダウダ並べてくるヤツってのは、大概スマホで得られる以上のソレは持ってないのである。さて話は変わって、と:
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そういう考え方をすれば、ココにあるようなラジエター屋の宣伝には心動かされない筈である(笑)ワタクシの知る限りだと、最も有効な冷却方法は「数周に一周クーリングラップを挟む事」である。走行会だと走行時間が勿体無いかも知れないが、冷却系云々に数十諭吉使うよりも断然安上がりである。でもって当然だがコレはワタクシの車種&ワタクシの走り方に適した方法でしかないワケであり、車種や走り方の違う他のロンマニアの方々には通用しない可能性があるのである。そう、ココに書いてる「クーリングラップ云々」もワタクシ以外にはただの参考資料であり、決して知識ではないのである。
デート・ア・ライブ アンコール5 (富士見ファンタジア文庫)
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流石に「経験ガー」「知識ガー」ばっかじゃ重苦しくて肩が凝るので、時にはこういうのを挟むのも重要なのである(笑)前々からずっと言ってる事であるが、ラノベって脳ミソを空っぽにして読めるぐらいが丁度良いのである。小難しい事を考えたきゃ、小難しい本を個別に読めば良いのである。
*参考資料と誇り
話は戻るが、オタク同士の参考資料自慢合戦の何が問題かって、上記にあるように経験を伴わないから説得力が無いのもそうだけど、本人がその参考資料に対しプライドを持っちゃってるからなのである。この手の参考資料偏重なヤツってのは、大概コミュニケーション能力に問題があるか、内向的過ぎるか、あるいはその双方なのである。そういうヤツってのはソレに対するコンプレックスやルサンチマンもあって、参考資料に対する拘りだけでなく、所謂「ソレを誰よりも知ってる自分」ってヤツにテメェのアイデンティティーを懸けているのである。だからソイツの認識と違う事を言えば、即座に反論が返ってくるのである。ソレが正しいか否かとかではなく、テメェのアイデンティティーを守るためにである。
だからワタクシはソレが授業でやってるか競技大会とかでもない限り、白黒つける類のディベートはしない事にしてるのである。議論を吹っ掛けられたらそりゃ一応反論はするが、ワタクシから吹っ掛ける事はしない次第である。討論は互いの意見を確かめる程度にしておいて、相手を論破しようと思わない方が互いにハッピーになれるのである。何故なら論破したって相手の考えは99.99%変わらないだろうし、論破のために使う時間と労力もムダになるだけだからである。他人は変えられないけど、自分はいくらでも変われるモンである。そして自分の方がより良い結果を出せれば、相手もその影響を受ける可能性のが、論破して変わる可能性よりも断然高い。言葉よりも行動だと改めて思う今日この頃であった。