アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SCREAMIN’ ’N’ BLEEDIN’

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「読書は充実した人間をつくり、会話は機転の利く人間をつくり、執筆は緻密な人間をつくる」

By フランシス・ベーコン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*我戦えり、我勝てり、我生き残り

 件の祖国の英雄を落書きされてドルジがマジギレした一件であるが(笑)どうやらこの度【小学館側が件の号の発売を中止する】事で決着がついた模様である。この件に関し”表現の自由ガー”な連中は「気に入らない表現に対し抗議するのが当たり前になり、表現者が委縮して表現を自粛してしまう云々」と言っているが、前にも言ったようにワタクシはそう思わないのである。その抗議が不当だと思うのだったら、堂々と反論すれば良いだけの話である。幸いニッポンは中国や北朝鮮とは違ってソコら辺の法的インフラは整ってるので、安心して戦えば良いのである。件のチンギス・ハンだって略奪者だの何だの言われてもモンゴルの英雄でいられるのは、戦いに勝ったからである。戦って勝って帝国を築いて、モンゴルという国が今に至るまで存続してるからこそ、国民的英雄になれたのである。



 世知辛い話であるが、この世界で生き残れるのは勝った側であり、正しい側ではないのである。ちゅーのも「何が正しいか」なんて人其々なんだから、結局は戦って生き残ったヤツのソレが正しいとされるのである。だから表現者表現の自由を守りたいのであれば、必要とあらば戦わなきゃならんのである。でも残念な事に「表現の自由ガー」って叫ぶオタク連中には”戦う”って選択肢が存在しないのである。ちゅーのも、オタクの根底にあるのが「現実逃避」だからである。社会の理不と対峙する事から逃げて、複雑な人間関係の中で立ち回る事から逃げて、成長するために絶え間なく自己研鑽する事から逃げて、自己満足のオタク世界に引きこもる。皆が皆そうだとは言わんが、そういうヤツが少なくないのである( ̄〜 ̄)何せソースはワタクシなので、自信以って言えるのである(笑)


フェラーリへの道

 さて話は変わって、この度超久しぶりにワタクシんトコに執筆依頼が来たのである( v ̄▽ ̄)書き始めた頃に抱いていて、ココ最近はスッカリ忘れていた「印税でフェラーリ、講演料でランボルギーニ」の夢が、再びワタクシの中で鎌首を擡げ始めたのである(笑)まぁウケる事を最優先課題にするつもりはないが、ウケないよりもウケた方がやっぱ良いし、ワタクシも人間だから欲望はあるしカネも大好きである(爆)因みに今回のテーマは「発達障害と就労」であり、就労してる発達当事者の目線で一筆欲しいって事でワタクシんトコに話が来たのである。やっぱ色んな人と直接出会って会話して、色んな類のコネを作っておくって事は、この上なく大事な事なんだなと改めて思った次第である。


 ただ問題が無いワケではない。その問題とは「ネタが無い」である(笑)既存のネタを改良して使うって手もあるが、ソレだと印税でフェラーリへの道に近づかないのである(爆)だから活きの良い新ネタを投入するのが良いかなと思うのであるが、その”活きの良い新ネタ”ってヤツが浮かんでこんのである(^_^;)ただどんなネタであれ、ワタクシがやりたくない事が1つだけあるのである。ソレは「世間に望まれる発達障害者像を演じる事」である。具体的に言うと:

  • 昔の辛かった記憶を赤裸々に告白して同情を買う
  • 所々に弱々しさや儚さや脆さを見せて庇護欲をそそらせる
  • 世間の無関心と無理解を殊更に強調し、世間を悪者に仕立て上げる
  • 「我々”正しい人々”で世の中を変えよう」って連携を促す

といった感じのソレであり、ココ最近の多くの雑誌や当事者本に書いてあるような内容のソレである。何が気に食わないかって、コレ即ち「発達当事者=か弱くて不幸な守られるべき存在」って自らレッテル貼ってるようなモンだからである。でもってワタクシは自分を弱者だと思った事は無いし、不幸だとも思った事も無い。だからこういうモンは書きたくないのである。


 確かに障害を持ってるってのは色々不便である。現にワタクシは就労こそ出来てるとはいえ、コミュ力が無いから一獲千金のビッグビジネスの話が舞い込んで来ないし、40過ぎて未だ独りモンである(笑)だが障害そのものは不幸ではないし、ソレだけで弱者扱いされるのも不本意ってモンである。こう言っちゃアレなのであるが、こういう「世間に望まれる発達障害者像」ってのは、ただ単に「テメェよりも不幸で弱い人間が居て欲しい」って願望なんじゃないかと思うのである。そういう弱くて可哀想な人間を目にする事で、テメェはまだマシだと安心して、更には庇護してあげる事で優越感も感じられる。そんな感動ポルノの道具として使われるのは真っ平だってのがワタクシの正直な気持ちである。


川田龍平症候群

 そういうのを求めてる連中からすれば、ワタクシの様な「発達障害者だけどR35NISMO買っちゃったゾ☆(ゝω・)vキャピ」ってのは逆にムカつく存在で、だからこそココ数年は執筆依頼も講演依頼もご無沙汰だったんじゃないかと思うのである(笑)ただ何ちゅーか、そうは思わない当事者も思った以上に居て、そういう人達はやっぱ自分の悲惨さを赤裸々に語る事によって自分を売り込みたい、もっと目立ちたい、出来れば世の中を動かしたいって考えてたりするのである。分り易く言うと、昔の薬害エイズでの川田龍平みたいになりたいのである。当事者として世間に注目されて同情されて、多くの関心を集めて数の力で世の中に影響を与えて、そして自分を高い位置に押し上げたいって感じにである。





 こう言っちゃ何だけど、こうなりたいって思ってる発達当事者って少なくないと思うのである。当事者活動を続けていれば、いつか自分も大いに注目されるかも知れない、大いに注目されたら社会を変える影響力を持てるかも知れない、そんな影響力を持てればその後の人生も安泰かも知れない。そう考えて人生の一発逆転ホームランをプロ当事者活動に求める当事者、ワタクシも結構な数見てきたのである( ̄〜 ̄)だからこそ今回の「発達障害と就労」ってテーマは重要であり、ワタクシも迂闊な事は書けないのである。社会を変えたいのであれば、何よりも社会の一員であるべきであり、社会の一員として就労&納税は必須条件だからである。さて浮かばなくてもネタを練らないと出て来るモンも出て来ないので、さっさと〆るに限る今日この頃であった。