アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

S.C.I.E.N.C.E.

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「正義――忠誠・税金・個人的奉仕に対する報酬として、一国の政府が市民に売りつける品質の落ちた商品」

By アンブローズ・ビアス


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*神様vs神様

 組織が悪いというヤツがいる。制度が悪いというヤツがいる。国が悪いというヤツがいる。世の中が悪いというヤツがいる。てゆーか、ワタクシの知る限りでは「○○が悪い!」とか言うヤツは、自分以外の全てを悪いと言っているのである( ̄〜 ̄;)昔はそう言うヤツはテレビだとか選挙演説だとか雑誌のコラムだとか、あとは職場の雑談の時にたまに出没する程度だったのであるが、インターネット全盛期の時代、特にツイッターフェイスブックみたいなSNSが出てきてフツーの人でも容易に大衆に向かって発言できるようになってからというもの、この手の批評家は急増した気がしないでもないのである。で、どんな基準をもって「○○が悪い!」というのかを聞いてみると、答えは大概「正義」なのである。


 ソコで意地悪なワタクシはこう質問する。正義とは何か?と。ワタクシがこの手の批評家を嫌うのは「言ってる事が間違ってるから」ではなく「断罪の基準となる正義が余りにも曖昧だから」なのである。有名無名問わず大概の批評家ってのは、何かのイデオロギーや宗教や風習を以って”正義”を主張し、ソレに逆らうモンを”悪”と定義づけているのである。よーするに「我々の”ネ申”栄光をもって、あの偽物の”ネ申”を打倒するぞ〜(* ̄0 ̄)/」って事なのである。連中が連中の言うトコの「偽物の”ネ申”」を打倒して新たなる”ネ申”を立てた後はどうなるか?答えは「その新たな”ネ申”による”正義の独裁”が始まる」である。その事はワタクシが説明するまでもなく、歴史が証明している事である。だからワタクシは安易に「私は正しい!」という人を信用しないのである。


*客観的思考とブレーキングと大食いと

 じゃあイデオロギーや宗教とか無ければ良いのかって?答えは「余計に(・A・)イクナイ!」だったりする(笑)だってソレって客観的な正義の基準を持たない→ほぼ自分の主観で善悪を決めてるんだから、尚更タチが悪いのである。宗教とか政治主義だとかいう客観的で明確な基準があるヤツはソレを”ネ申”にするけど、ソレが無くて自分の中の良識や常識を基準にしてるヤツは自分自身が”ネ申”になる→余所に”ネ申”がある人はある程度客観的になれるけど、自分が”ネ申”なヤツは自分の主観が全てになるからである。今巷でクレーマーやらモンスターナントカやらが増えてきたのは、道徳教育をしなくなり善悪の客観的な判断が出来なくなったからだとワタクシは考えるのである。


 まぁ小難しい話はコレぐらいにしておいて、ロンマニアの皆様が好きそうな(?)話題に戻るとしよう:

REV SPEED (レブスピード) 2012年 07月号 [雑誌]

REV SPEED (レブスピード) 2012年 07月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 三栄書房
  • 発売日: 2012/05/26
  • メディア: 雑誌
今に始まった事じゃない&この雑誌に限った事ではないが、徹底的&圧倒的なまでの86/BRZ推しである(^_^;)ワタクシも双方乗ったけど確かに良いクルマだった&業界にとっては正に救世主のような新車種なのは分かっているつもりであるが、流石に推し過ぎはちょっとアレだと思うのである(-_-;)特集はYオーナーによるブレーキング講座である。Yオーナーの腕は全日本ジムカーナスーパーGTでの実績からも証明済み&ワタクシも実際ソレを体験しているので、ソコんトコは太鼓判を押せるシロモノである。


 蛇足であるが、Sオーナーはこの手のドラテク指南の依頼は全部断ってるそうである。Sオーナー曰く「ゴルフの教本を幾ら読んでも上手くならないのと一緒。クルマは自分で体感して経験しないと絶対分からない」んだそうである(^_^;)ロンマニアの方なら既にご存知かと思うが、Sオーナーの教えは後にも先にも「加速・減速・旋回で4輪を上手く使う」の一言だけ。あとは一にダメ出し、二にダメ出し、三四と同じく五もダメ出し(笑&実話)そうやってダメ出しの中からムダを削ぎ落として、自分で見つけていくっきゃないのである(^_^;)そうそう、こんなモンもあったので報告しておく:

てんむす 1 (少年チャンピオン・コミックス)

てんむす 1 (少年チャンピオン・コミックス)

古本屋でたまたま見つけて、タイトルと表紙絵で「一体全体何のマンガだこりゃ(´Д`;)」と興味が湧いて、古本屋→立ち読みおkだったんで読んで、面白かったんで買っちゃったって話である。おにゃのこが沢山出てくるマンガは腐るほどある。大食い競技をテーマにしたマンガも結構ある。が、その2つを組み合わせるという発想は流石に無かったのである(^_^;)この「おにゃのこ+大食い競技」というコンセプトから「所謂イロモノか?」と思いきや、ちゃんとしたスポーツマンガに仕立てあがってるんだよなコレが。勝った時の予想外の喜びの少なさ、負けた時の想像以上の悔しさ。スポーツをやった人なら分かるであろうその気持ちを、ちゃんと表現できているのである。ソレがこのマンガの魅力だとワタクシは思うのである。


*正義は便利で楽

 他人の正義ばかり批判していると「じゃあお前は何者なんだ?」と聞き返されること必至なんで、答えておくとしよう。ワタクシは「正義を見出す努力をしている者」である。じゃあ正義とは何か?今の段階でのワタクシの答えは「究極の利便性」である(笑)ワタクシが何故正義を追求するのかといえば、正義は楽だからである・・・

自分の住んでる世界には正しい人しかいない

正しい人しかいないなら自身の安全が脅かされないんだから、軍隊も警察も要らない

軍隊も警察も要らないなら、そのインフラを別の有用な事に費やせる

アイディアを盗んだり独占したりしようとする人もいないんだから、共同作業にすれば更に有用な事が捗る

つまり正義であれば正義であるほどムダが無くなり、真理を追究するための時間やインフラを更に確保しやすくなる

(゚д゚)ウマー

・・・って感じである。つまりワタクシにとっての正義とは「物事をより効率的に、より価値のある方向に向かわせる全て」であり、悪はその反対である。周囲の人々が正義であればワタクシも余計な詮索や対策をする必要が無いから気楽で便利だし、ワタクシが正義を守ってる限り相手も気楽で便利だと感じるであろう。後にも先にもソレだけの話である。正義を押し付けて相手が不便になったり価値が下がってしまったら意味ないし、自分の正義に雁字搦めになって不便になったり価値が下がってしまったりしたら本末転倒である。まぁ正義についての話がこんなブログで話し尽くせるとはミジンコたりとも思っちゃいないので(笑)さっさと寝るに限る今日この頃であった。