アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE NEW REIGN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「人間はめいめい孤独で、しかも善で、しかし集団となると狂気のように互いにいがみあう。これはどうしようもないことだ。それぞれの運命に耐えてゆくよりしかたない」
By 山本周五郎

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*理念よりも人を見よ
 その集団が良い集団かどうかを見極めるには如何すれば良いのか?ワタクシの答えは「その集団に属してるメンバーを見ればいい」である。スタンド使いスタンド使いに惹かれるように(笑)良い人は良い人同士で、悪いヤツは悪いヤツ同士で集団を形成するモンなのである。だからその集団が掲げてる理念が一見素晴らしく思えても、ソコに集ってるヤツ等が変なヤツ等ばかりなら、その集団に近づくべきではないのである。何故なら理念の解釈ってのは人其々であり、曲げて解釈する事だって出来るからである。大事なのは理念ではなく、人なのである。


犯罪集団オウム真理教の真実

【昭和】連合赤軍30年目の真実【大事件】

 オウム真理教やニッポン赤軍は極端な例であるが、掲げる理念がどんなに崇高で正しくても、ソレを実行する人間は余裕で誤解釈や拡大拡小解釈を行うモンなのである。でもってそういう歪な解釈をするヤツほど、テメェの解釈が絶対に正しいと信じ込んであるのである。ソレに加え、人間は古今東西「正しい理念を実行するためなら多少の逸脱行為は認められる」って考えを悪用して、テメェの下衆さをソレを用いて正当化したりする事も少なくないのである。だからソイツ等が掲げてる理念がどんなに素晴らしくとも、メンバーに変なヤツの多い集団には近づいてはいけないのである。

*治りますか 治りませんか
 以前「某SNSで”発達障害は治るか否か”で一騒ぎ起こってる」って書いて、ソレに対しワタクシが「根治はムリかも知れんが、対処的になら何とかなる」答えたのであるが、その言い争いって未だ続いていたのである(^_^;)その騒動に関しての答えは上に示した通りであるが、ソレ以外にもワタクシが治る派を選んだのは、ソコに集う人々を見てである。やり取りを一通り見てみたのであるが、治る派の面々は言動が結構過激なのはアレであるが、でも相手の話はちゃんと聞いてるし対話しようともしているし、自分等が絶対的に正しいと考えてないし、相手に意見を押し付けない。実際治るか否かよりも、こういう姿勢をワタクシは評価してるのである。

 つーのも医学は日進月歩だから、治らなかったモンが治るようになったり、定説が覆されるなんてのもザラだからである。不治の病とされて昔の文学作品で悲劇ネタの定番ダった肺結核も、今じゃちゃんと治療すればフツーに治る病気である。だからこそ理念に固執してはいけないし、他人の話を聞く余裕も必要なのである。テメェのアイデンティティを守る為、事実を無視して理念に固執し、より過激な言動に出て更に悪循環に陥る。古今東西、良くある話である:

農地取り上げと闘う3・31三里塚全国集会(2019.4.1)
でもって一方的な話しか聞かないのもアレだと思ったので、治らない派の言い分も調べようと思ったのであるが、何故だか知らんがその内数名にブロックされてたりするのである( ̄~ ̄)この件に関してワタクシは一言も言及していないにも関わらずである。もうこの時点で、ワタクシに治らない派を支持する理由が無くなってしまったのである。人の話を聞かないヤツの話を聞いてやるほど、ワタクシは寛容でも大人でもないのである。

 まぁ多分ワタクシが治る派の数名とSNS上で関わり合いを持ってたりコメントのやり取りもしていた事から、ワタクシも治る派の仲間だと思われているのであろう。だからブロックされたりとか、ワタクシのアカウントに凸かまして来たりしたのであろう( ̄~ ̄)でもって凸してきたヤツは2人が2人とも、マトモに会話が通じなかったりするのである。勘違いと分かっても謝らないし、顔も名前も知らないのにいきなりアンタ呼ばわりされるし、益々以って治らない派に付きたくなくなったのである┐( -"-)┌繰り返し言うが、どんなに理念が正しく素晴らしくとも、信奉するヤツがアレな集団は信用できんのである。

*居場所探しのススメ
 だから「サバゲー始めたいんですけど、フィールドは何処を選べば良いのですか?」とか「愛車をチューニングしたいのですが、ショップ選びのコツはありますか?」と問われたら、ワタクシの答えは「ソコに集う客層を見て判断せよ」である。目に余る言動が多いトコは、どんなに腕が良くても、どんなに立地条件が良くても、決して贔屓にすべきではないのである。無論、そうなると選ぶ側の眼力も重要になってくるので、その類の勉強や鍛錬を怠らない事が重要である、そうすれば、何時かは理想的な場所へと辿り着く筈である。人が場所を選ぶのではなく、場所が人を選ぶのである。

 でも人間というナマモノは弱いナマモノだから、依存できる”何か”を常に求めてしまうモンである。自分の意見を持つという事は責任を自分自身で全て負わなくてはならないのもだけど、時代の変化に合わせて知識や経験を絶えずアップデートしなけりゃならないから大変なのである。でも理念についていけば、帰依できる他人についていけば自身をアップデートしなくてもいいし、何より責任を取らなくて済むからである。自由が欲しいのならば、色んな意味で強くあらなければならない。今に始まった事ではないが、改めてそう思う今日この頃であった。

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