アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

BLIND RAGE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「理想とは、不満の意を表明する方法のことである」
By ポール・ヴァレリー

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*「絶対」が欲しい人達
 先日「発達障害当事者は生き辛さの改善や不満の捌け口を求め、宗教やサヨク運動に走る事が少なくない」と書いたのであるが、何故そうなるかは健常者なロンマニアの方にはピンと来ない事であろう。ワタクシは当事者だから分かるのであるが、そういう当事者らは「絶対的な正しさ」を求めているのである。ガキの頃から色々と怒られまくったり笑われまくってる当事者は「何が正しいんだろうか」って常に迷ってて、色々迷った末に「絶対的に正しいモンを探そうッ!」って考えるようになるのである。その答えを提示すれば、もう怒られたり笑われたりする事がなくなり、そして「”正解”を見つけたんだね」って褒めて貰える。そう考えているのである。

 でもってサヨクや宗教ってのはテメェの神様や大義を絶対的な善として崇め奉ってるため、物事の裏面を見抜けない発達当事者はいとも簡単に騙されちゃうのである。自分の望んでた”正しい答え”が得られる上に、同じ様に社会や国と合わなくて憎んでる人達と友達になれて”居場所”までも作れちゃうんだから、正に一石二鳥である。ホントは世の中に絶対的な正義は存在せず、あるのは相対的な正義同士のバランス取りだけなんだけど、発達当事者はその特性が故にその事が分からないのである。でもってココ最近の発達障害ブームがソレに輪っかを掛けて、当事者達に「貴方はそのままで良いんだよ」って勘違いさせるのである。何ちゅーか、ブームには功罪があるモンである( ̄~ ̄)

*暴力はNG
 そうそう、サヨクといえば、最近【コミケに中核派がブースを構えた】事で色々と話題になってるとの事である。一方では「ンなヤバいヤツ等に出展を許可するなんて言語道断ッ!主催者の責任問題ッ!」って言うヤツも居れば、反対に「確かに問題はあるかも知れないが、コレも表現の自由の一つだッ!」って言うヤツも居る。コレに関するワタクシの見解は「暴力の行使を厭わないヤツに表現の自由を与えるべきではない」である。表現の自由もだけど、自由ってのは他人の主権を侵害しない限りにおいて初めて認められるモンなのであり、暴力の行使は他ならぬ他者に対する主権侵害に他ならないのである。


中核派がコミケに出展していた…

 この連中が過去に起こした各種暴力事件に対し真摯に反省の意を示して賠償して、匿ってた指名手配犯を全員差し出して、名前を変えた上で非暴力宣言をしたっていうのなら、ワタクシも「一回ぐらいはチャンス与えても良いかも知んない( ̄~ ̄;)」って感じに迷うであろう。が、連中はその手の声明を何一つ出していない。つまり暴力行使の可能性があるんだから、出展は認められんのである。コミケで稼いだカネが活動費として勢力拡大やテロ行為に用いられる可能性も否定できないし、コミケに集まってきた参加者の何人かにオルグが行われる可能性だってある。連中をコミケに出展させるという事は、そういう危険性をはらんでるという事なのである。


ドキュメンタリ宣言 カメラが見た右翼と左翼

 故に「表現の自由ガー」に対する答えは「連中を表舞台に出す事でソレ以上の自由が阻害されるからNG」なのである。連中のテロ行為によって命を落とすかも知れない人の生存権や、オルグされたが故に一般世間から総スカン喰らった上に公安にマークされる人達の人権。ソレを考えれば、表現の自由の一部が失われても止む無しって事である。抑々100%の自由なんて、当たり前だけどあり得ないのである。あり得るのは最大公約数の自由だけであり、ソレを得るためには連中の排除は必要悪なのである。幸いコミケは公的機関でも何でもないので、ソコんトコは「当方の判断にて云々」で十分に正当化できるのである。コミケの理念は大事だが、自由や生命はもっと大事なのである。

*やりたいなら日陰でコッソリと
 ただまぁワタクシも鬼ではないので、発言する機会を完全に奪えとは言わない次第である。ウ○コですら肥料としての使い道があるんだから、こういう連中の言葉も全てムダだとは思わんのである(笑)表現の自由が(勿論、他人の主権を侵害しなければ)悪いヤツにも適応されるのは、そういう微レ存な可能性を否定しないためにあるのだとワタクシは思うのである。が、ソレには条件があるのである。コレはコミケ云々に関してワタクシが常々言ってる事であるが「やりたいのであれば自己責任を取れる相手だけを対象に、日の当たらない場所で自己責任でコッソリやれ」である。

 ワタクシが極左のソレ以外にもエロいモンやグロいモンに対して否定的なのは、つまりそういう事である。表に置く事で、テメェのケツをテメェで拭けないヤツが感化される可能性があるからであり、そういうヤツが他人の主権を侵害する可能性があるからである。ワタクシは常々「自由とは”何をやってもいい”ではなく”やっちゃいけない事をやらない”って事」と言ってるのは、つまりそういう事である。やっちゃいけない事が分からないヤツや、やっちゃいけない事をやった責任を取れないヤツには、表現の自由を行使させても享受させてもいけない。2019年になってもその考えは変わらない今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20190105234443j:plain