アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

CONSTELLATIONS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「己自身を熱愛する人間は、実は公共の敵である」

By フランシス・ベーコン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*Theパブリックエネミー

 言うまでもなくワタクシはオタクであり、そしてソレをこの【オタクはパブリックエネミー云々】に出てくるサヨク議員の定義に照り合わせると、三段論法で「ワタクシはパブリックエネミーである」と結論付けられるのである(笑)オタクに対するバッシング諸々なんて今更過ぎるから騒ぎ立てる事じゃないと思うのだが、何故だかオタク連中がコレに噛みついて大騒ぎしてるようである(´σ `)曰く「立憲主義であり、憲法に基づいた表現の自由を守るべき立場にある筈の野党側の人間が、何故オタク差別をするんだ云々」という事であるが、ワタクシに言わせれば「リベラルは兎も角、サヨクなんて昔からこんなモン」なので、サヨクが極めてサヨク的な言動に出たと考えれば、こんなモンは驚くに値しないのである。



 ちゅーのも古今東西サヨクってのはテメェ等に対する内外からの異論や批判に対し耳を傾けるなんて事は基本無いからである。その事は学生運動時代のサヨク団体が分裂と内ゲバを繰り返した挙句にあさま山荘事件を引き起こしてたり、今の党首が選挙無しで18年権力の座についてて中央の命令に異を挟む事が絶対に許されない今のニッポン共産党の現状を見れば分かる筈である。サヨクにとって最も重要なのは「大義」であり、大義を果たせば理想郷が完成するのであるから、その為に法律やら憲法やら自由やら人権やらがジャマになるのであれば、連中は躊躇いなくソレを蹂躙するのである。要するにサヨク連中がオタクを守るのはソレがテメェ等にとって都合の良い場合にのみ限るって事であり、決して表現の自由の守りてなんかではないのである。


*エンジェルを数値化するテクノロジー

 あと前々からワタクシが言ってる事であるが、自由とは「何をしても良い」という事ではなく「したらダメな事をしない」という事なのである。でもって児ポ云々ってのは、法律的憲法的にどうのこうのではなく、今現在の価値観では”したらダメな事”の一つなのである。ソレでもやりたいならやればいいが、その代わりやった側をボロクソ罵る自由だってあるって事を忘れてはならんのである。そうやって果てる事の無い言い争いを延々と続けるよっかは、陰で誰にも知られずにコッソリとやった方が得ってモンである。よーするに忖度ってヤツである(笑)さて話は変わって、と:

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昔Sオーナーから聞いた話によれば「ベンツじゃ剛性を数値化したりしない。クルマ作って、ソレを熟練のテストドライバーがニュル北で全開走行をして、安心して走れればソレで”剛性は十分”と見なされる」んだそうである。水野和敏氏も「感動だとかワクワク感だとかいうものは数値化して客観視できるものじゃなく、主観的に感じるものだ。ベンチマークやシミュレーターでクルマを作るなんて古臭くてバカげている」と言っているのであるが、どうやらクルマ作りの現場はそう考えてはいないみたいなのである。果たしてどっちが正しいのかは【水野氏が開発したクルマ】の売れ行きが決める事であろう(笑)


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ヒマだった&元GDB乗りとしてちょっとだけ興味あったんで読んでみたけど、率直な感想は「つまんなかった」である(笑)何ちゅーか、公道でのクルマバトルマンガってのは「頭文字D」と「湾岸ミッドナイト」が殆どのネタを枯渇させちゃったんだなって事が実に良く分かるのである(^_^;)あとは「現役JKプロドライバー」という設定を上手く利用した萌え路線しかないんだけど、ソコも作者が途中で方向転換したものの時既に遅しって感じに、折角の新規クルママンガもたった4巻で終わってしまったのである( ̄〜 ̄)

何ちゅーかキャンプや軽音楽や戦車やアイドルとは違って、クルマはどうやらJKを使ってもダメなぐらい新鮮味が無いようなのである(笑)今クルマに夢中になってるのってあの時代から今に至るまで乗り続けていた40〜50代のオッサンか、その頃は中高生として憧れてた30〜40代の青年(?)か、マンガやゲームや映画でクルマの持つマッチョイメージに憧れたオタクぐらいしかおらず、フツーの若い子がヤバいぐらいに少ないのである(^_^;)そんな時代だから、公道バトルはもう流行らないんだろうなって思うのである。


アイデンティティーは何処に

 さて、話を戻すとしようジャマイカ。上記の議員の発言だとか、世間のオタクに対する偏見や差別に対してどう思うかと問われたら、ワタクシの答えは「何とも思わない」である。ちゅーのもワタクシはオタクである事に信念も誇りも持っちゃいないし、今のオタクの在り方に疑問を持っていたので、叩かれたり差別されたりしても「まぁある意味自業自得だからしゃーない(´ー`)」って気持ちなのである。あと「オタクをバカにされた≠ワタクシをバカにされた」だし、オタクというだけでワタクシ自身を否定するヤツは抑々相手にする気ナッシングなので、別に何とも思わないのである。よーするに「オタクである」って事はワタクシという樹に生えている枝葉の一部であり、ソレを切り取られたからって大したダメージにはならんのである。


 だからこの件で怒ったり悲しんだりするヤツの相場は決まってるのである。ソレは「所属や属性が樹になってて、自分自身が枝葉になってるヤツ」である。古今東西、国や社会や宗教や会社や部活や家族にぶら下がる事でテメェのアイデンティティーを形成してるヤツは数多く居るのであるが、SNS時代になって「オタク」もその概念の一つになったのである。昔と違って今はネットやSNS経由でマイナー過ぎるジャンルでも範囲を広げる事で大きな繋がりを作れちゃうから、ソレがアイデンティティーになるのである。でもってオタクである事を否定される→樹を否定される→樹の否定は枝葉の否定につながるから、連中はキレているのである。他人にぶら下がってるヤツに安住の地は無い、改めてそう思う今日この頃であった。