ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「民主主義の基本は、いかなることがあっても、他人が主張する価値観を奪ってはならない」
By 川村晃司
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*世界を覆い尽くす非自由と非民主主義
某グレタに代表されるような環境問題云々、ジェンダーやLGBTが云々、献血ポスターが云々ポリコレが云々、何ちゅーか世界的な市民運動ブームが起こってるみたいなのである。まぁ格差が広がり過ぎて激増した貧しい人々が不満のはけ口を求めてて、SNSやネットがそういう声を集め易くなり不満人達が繋がり易くなって、ソコに資本主義陣営を混乱させたい反対陣営の連中が陰からカネ出して支援したりとかあるんだろうけど、ソレはまた別の機会にやるとしよう。ワタクシがこの手の社会運動に興味が無いのは、ワタクシが勝ち組側&引きこもりってのもあるのであるが(笑)やっぱあの類の運動には自由と民主主義が見られないから、ワタクシは受け入れられんのである。
COP25でグレタさん演説 世界の指導者を厳しく批判(19/12/12)
例えば【男の子がスカートはきたいと言ったら?】に関するワタクシの答えは「野郎がスカート履こうが何しようが勝手だけど、その代わりソレを笑われても文句言うな」である。本人にソレをやる自由があるべきなのは当然だけど、同じ様に他人にもソレを受け入れない自由があるのである。良いか悪いかではなく、受容しないのは自由なのである。でもこの手の運動をしてるヤツ等ってのは、受容しない自由や笑い飛ばす自由を認めないのである。テメェが主張する事は正義であり正しく美しく、人々はソレを好意的に受け取るべきであり、そうでない人間は醜く間違った悪党だから叩いて構わないって態度だから、ワタクシは一貫して受け入れられんのである┐( ̄ヘ ̄)┌
*エンジン・クエスト2019▶2020
人間の心ってのは、倫理やルールでは縛る事は出来んのである。だからどんなに抑え込もうとしても抜け道を作られちゃって、その抜け道を塞いだらまた別の抜け道を作られて、そのイタチごっこが続くだけである。そうすると疑心暗鬼になって、何気ない表現でも「差別する意図があるに違いないッ!」って大騒ぎして、結果として不自由で息苦しくなる。肝心の当事者は自由にならず、皆で仲良く不幸になっただけである。まぁソレは一先ず置いといて、と:
ワールド・エンジンデータブック 2019 - 2020 (モーターファン別冊)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 三栄書房
- 発売日: 2019/11/30
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*自由は混沌、民主主義は我慢
たとえ1人を除いて全員が賛成したとしても、残った1人に意見を押し付ける事は出来ない。コレは「民主主義の父」と呼ばれるジョン・スチュワート・ミルの言葉であるが、ワタクシはコレこそが民主主義の基本だと思うのである。全ての人が各々の好きな考えを持ち、自由に意見を述べられて、そしてソレをするための権利と安全は保障されるという事である。だから自由と民主主義があるって事は、実はすんごいカオスな事なのである。でもって民主主義者を標榜するのであればその混沌に耐えなければならないし、自分とは異なる意見が権利を得たとしてもソレを尊重しなければならないのである。そう、自由や民主主義ってのは、ある程度高度な社会スキルを持った人達でないと成り立たんのである。
そしてその混沌に対して忍耐が出来ずに不安を抱えたヤツが、所謂「普遍的な正義」を持ち出して心の拠り所とし、大義名分を掲げて反対者を悪認定して排除して安心を得ようとするのである。ソレは宗教だったり、憲法だったり、自然環境だったり、ジェンダーやLGBTだったり、反人種差別だったり、人其々である。そう、この手の運動に参加するヤツが求めてるのは正義による安心なのである。だからワタクシの様な自由を求める人間にとっては、この様な社会運動は相容れないシロモノなのである。人は突き詰めればテメェ以外の人間には多かれ少なかれ違和感を抱くモンであり、故に忍耐と受容が出来なければ一人になるしかない、改めてそう思う今日この頃であった。