アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

DAMNED DAMNED DAMNED

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「あんたに会えたことじゃ」

By 蟹江ぎん(きんさん・ぎんさん)〜 小学生に「生きていて嬉しかった事は」と尋ねられて


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 一芸が欲しい、とは言っても宴会の一発芸の事では無い(笑)何かこう、一つ何か秀た技能、資格、及び知識が欲しいのである。今の部署でやって行く分には何の問題も無い。内科の様に多くの患者やコメディカルと長く付き合っていく必要も無いし、外科みたいに医師同士の阿吽の呼吸を求められる事も無い。しかも給料はバッチリ満額もらえる。極端な話、ここにずっと居れば食っていくには何ら問題が無いのである。


 が、それでは生きていけないのが21世紀。「これなら自身がある、これなら誰にも負けない」という"何か"が無いとそこから先へは行けない。そして何より、今の場所がなくなってもその"何か"でやっていける。その"何か"を心臓血管外科か脳神経外科に求めたのだが、どうも上手く行かなかったのである。んでもって、睡眠医学にそれを求めようとしたのだが、結果は先日の日記に記述した通りである。そこで考えたのだが、"一芸"ってものは別に医学でなくても良いのではないか、と。そこで一瞬「そうだ、英検一級を取ろう」と考えたが、僅か1秒で自発的に却下。理由は二つある。


 一つ、英語は外国語ではなく(事実上の)第二公用語である事。"21世紀は英語の世紀"とワタクシは考えている。インターネットの普及や国家間移動の簡易化、高速化に伴って最も重要になるのは何か、と言われればワタクシは"言語"だと考える。でもって、その標準語になるのは何語か、と聞かれれば答えは「英語」である。認めようが認めまいが、学問の世界やビジネスの世界ではそれが常識である。ザメンホフの理念や信念、それとその独創性は認めるのだが、いかんぜんエスペラント語はその役目を果たしていないし、恐らくワタクシが生きている間はエスペラント語が世界中に普及する事は無いだろうと思う。


 二つ、日本国内では"活きた"英語は学べないと言う事。言葉は文化である、言葉の構成、概要というのはその国の文化を表現するのに最も相応しく出来ている。例えば映画「フルメタル・ジャケット」でハートマン軍曹の罵詈雑言を日本語に翻訳すると、初めて聞く人には違和感を感じるのと一緒である。"和"の民族である日本人の使う日本語には、"和"を乱すと考えられる言葉のバリエーションが少ないからである。だからハートマン軍曹の英語を訳すことは出来ても、その正確なニュアンスは伝わってこない。


 よーするに、本格的に英語を学びたかったら、TOEICや英検一級を取るよりかは、アメリカへ行って、そこで現地の人とガチンコの異文化コミュニケーションをしなければいけないのである。これは、実際に数年アメリカやイギリスで臨床をやってきた上の先生達も同じ事を言っていた。でもって、次のアイディアは?と聞かれたら「無い」という答えしか出てこない今日この頃であった。