アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

INFERNO

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「"自由"や"権利"を主張する時には"義務""ルール""リスク"を負うのは当たり前でしょ。でもそういうのを抜きにしての"自由"が横行しているよね。鳥のように自由に空を飛びたいなんていうのは勝手だけど、鳥が飛ぶためには何万回翼を動かしているか、よく見てごらんってこと」

By ビートたけし


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 25日のプチオフ会が中止である(T_T)まぁ事情が事情だけに、同じような環境にあったことのあるワタクシにはそれがひじょ〜〜に良く分かるので、こればかりは"仕方が無い"としか言いようが無い。週末は雨だからマトモにサバゲーできる所が無いので、今週末は一人寂しく走るとしよう。こんな時に一緒に乗ってどっか行ってくれるモノホンの彼女がいれば最高なのであるが、生憎そんな人はいない。自棄で地球の石油埋蔵量を減らす事にしよう(笑)


 話は変わって、今になってようやく理解できた事が一つある。"師匠"の教えの1つに「言い訳は絶対にするな」というのがある、実際ワタクシも失敗して"師匠"に御叱りを受けて、それに対して言い訳した事が何回かあるのである。が、"師匠"はワタクシがやらかした事そのものもそうだが、それ以上にワタクシが言い訳した事について腹を立てられておられたのである。後々話し合えて理解しえたのだか、この時ワタクシは「そうするに至る自分自身でもどうにもならない理由があっても、言い訳はしてはいけないのですか?」という質問に対し、"師匠"は一言「そうだ」と答えただけである。あの時のワタクシは納得できないモンがあったが、今になってその理由が良く分かった気がする。


 単純な事である。他人に対して叱ったりアドバイスをしたりするのは、その人に良かれと思って好意でやっているのである。ホントに嫌いな人間か、あるいはどうでもいい人間には叱咤も助言も無い、ただ無視するだけである。ただ人によってその表現の仕方が違うだけの話である。激情家は頭越しに怒鳴り、文学者は皮肉を込め言い回しをし、正直者は単刀直入で指摘し、詭弁家はその人に分からないようにやる。十人十色でその中でもバリエーションが多いのだが、基本は皆同じ「その人に問題点について考えて欲しい」の1つに尽きるのである。


 その熱い気持ちに冷や水をぶっ掛ける行為、それが"言い訳"なのである。指摘する側は相手がその問題に対してどう対処していくか、その1点のみに興味があるのである。それに対して「自分は努力しています」とか「自分にも言い分はあります」等と言い返されたら、指摘する側はこう考えて当然である「オレはお前のためを思って言っているのに、何だその言い草はコノヤロー」と。だから言い訳してはいけないのである。たとえ相手が間違っていたとしても、その気持ちだけは素直に受け取らなければいけないのである。


 最近、ワタクシはこう考える事にしている。ワタクシが叱られたり間違いを指摘されたら、まずワタクシの方に問題があると考え、その叱咤・助言を素直に受け止める。そしてその後自分で調べたり考えたりしたり、他人にその事を聞いてみるなりしてみるのである。そうすると以外や以外、大抵の場合ワタクシの方に問題がある場合が殆どなのである。やはり苦言を呈する人間、叱咤する人達は、大概同じところで失敗や苦労をしていて、必死で努力して克服した場合が殆どなのである。それに対して言い訳したところで:


「自分は努力しています」→「オレだってテメェ以上に努力したんだぞコノヤロー」
「自分の言い分を聞いてください」→「テメェの言い分なんてたかが知れているんだよバカヤロー」
「自分には自分のやり方があります」→「じゃぁテメェの好きにしな。もうオレの知ったこっちゃねぇ、あばよ!」


 言い訳は何をどう言ったとしても、決して結果にはならないのである。たとえ議論に議論を尽くしても、互いの心に蟠りが残るだけで心の底から分かり合える事など決して無い。助言してもらったら「ありがとうございます」、問題点を指摘されたら「よく反省します」、叱られたら「すみません」、これが答えなのである。これなら指摘した側は「アイツはオレの言葉に素直に耳を傾けてくれた。良いヤツだ」となり、言われた側は多少なりともカチンと来る事もあるが、冷静になって考えれば多かれ少なかれ自分のためになると判断し「あの人はコレを言いたかったんだ、おかげで助かった。あの人は良い人だ」で両方が気持ち良く収まるのである。正しかったかどうかは別にして、である。


 とまぁ、人間の心というモンは難しいモンである。皆自分の価値を誰かに認めてもらいたくて、自分も自分の価値を誰かに認められたがっている。カミュではないが、例えそれが「条理の中の不条理」の中で絶えず変動する不安定なモンだとしても、である。ワタクシは自慢じゃないが、学生時代にはカミュを含めカント、ヘーゲルニーチェスピノザヒルティ等の哲学書を読み漁ったモンであるが、実際に役に立ったのは上記の"言い訳無用"の哲学だけだったのである(爆)やっぱ人間、ライヴが重要なんだな〜と深く考えさせられる今日この頃であった。