アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

BLAH BLAH BLAH

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「"人付き合いに疲れる"って?自分を演じていない?」

By 小泉吉宏


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 思いっきり久々に医学ネタである(笑)良く言われるサーカディアンリズムというヤツで、人間の体内時計は24時間サイクルではなく、実は25時間なのである。だから、ヒトが外界との接触を断った状態で時計を持たずに生活すると、睡眠時間や食事のサイクルが1時間ずつ伸びていって、およそ12日間経つと外界との接触を断たれた本人の自覚が無いまま昼夜逆転してしまうのである。んで「それじゃあ、何でフツーの生活していると24時間リズムがキープされるの?」と聞かれたら、ワタクシの答えは「太陽光の有無や時計を見たりして時間を意識する事により、外側から体内リズムを意図的に早めているから」なのである。


 別にサーカディアンリズムの様な肉体的な現象に限った事ではなく、精神的な面でも外界からの情報による本能的な部分の意図的な修正は必要だとワタクシは思うのである。何故急にそーゆー事を言い出すかと問われたら(笑)某Q&Aサイトにてこんなモンを見つけたからである:

質問:ミクシィ読み逃げするマイミク!


ミクシィのことで悩んでいます。私は女性で、マイミクが20人くらいいます。普段は楽しく、参加していますが、
マイミクのうちの1人が日記にコメントをしてくれないのです。
いわゆる「読み逃げ」=密かに読みにくるけど、コメントしないという状態です。
日記の内容によって、コメントしないのは構わないんですが、もう30回以上連続なので、かなり気になってしまっています。
こちらはそのマイミクの日記には半分くらいコメントしています。
ミクシィ上のメールの交換もありません。私が日記にコメントをすると、それにまたコメントはしてくれますが、
いつも自分の話ばかりです。
こちらが旅行に行ったことや、おいしい食べ物、同じコミュニティーについての話題を書いても知らん振り。
それなのにそのマイミクは、
'日記にコメントが少なくて寂しい〜。素通りは悲しいからやめてね♪’と自分の日記には書いています。
そしてほぼ毎日自分の日記を書いています。
彼女は自分が読み逃げをしているという意識はゼロかと思いますが、どんな考え方なんでしょうか?
自分にしか興味がないのか、自分の伝説をよく書いています。
ミクシィで悩みたくはないし、このマイミクのように他人に興味がない人とは、
お付き合いできそうにないと思っています。
何とか改善できればと思います。彼女に気づいてもらう方法は何かありますか?

・・・初めて見たときは唖然としたモンである。ヨハネの黙示録ではないが「世界\(^o^)/オワタ」って思ってしまったぐらいである(笑)「人の事言えるのか、人の事を」とか「今すぐ広辞苑で"日記"の項目を検索して下さい」とか「コレが悩みになるんだから、日本って平和だな〜(´ー`)」とか「放っときゃいいじゃん」とか「何で読み逃げしゃちゃイカンの?」とかツッコミ所があまりにも多過ぎてとてもじゃないが1日で全部書ききれないし、かと言って1週間かけて書くほどの価値も無いので(爆)要約してしまう事にした。


 よ〜するに「質問者はミクシィ外の世界を全く見ていない」という事である。簡単な事である。毎朝起きたらケータイに登録してある人全員に「おはようございます」ってメールするであろうか?真っ当なライヴ生活を送っている人なら99.99%しないに決まっている。ミクシィのマナーだか何だか知らないが、ソレがライヴと如何に乖離しているかを考えれば1発で答えが出る質問である。余計なお世話であるが(笑)ワタクシ的な補足をさせてもらうと「他人へコメント/他人からのコメントにしか自分の存在を見出せないヤツ=そもそも自分の存在が無いヤツ」である。ドストエフスキーゲーテなんかは死んでから100年以上経っているが、今でもその存在は忘れられていないし今後100年も忘れられないであろう。そんなに皆から注目されたかったら、ドストエフスキーゲーテのレベルまで文章力を上げろ、そーゆー事である。


 こんな事言うとアレなのであるが、プラトンの「共和国」のソレである。通常のライヴの視点から見ると明らかに異様なのであるが、中にいる人達はそう思っていない。閉鎖的な空間の中で同じような気質を持った人達だけで集まって一致団結すると、ライヴからの「一般的認識」っていう理性的な修正が効かなくなり、その代わり他人に対する「愛」やソレを失う「恐怖」といった本能的な感情が無意識的に優位に立ってしまう。すると当初は常識的な集団でも徐々に徐々にライヴから乖離していってしまい、最悪の場合地下鉄で毒ガスぶち撒けた某宗教団体みたいになってしまう。


 そう、冒頭で述べたサーカディアンリズムの如く、外界と乖離されるに従がって徐々に善悪が逆転してしまうというワケである。「好きなように生きる」って言葉は美しいかも知れないが、その反面こういった人間というナマモノが抱く旧皮質的(動物的)本能に「自分は理性的である」って思っていても知らず知らずの内に理性を失っていた、みたいな事も大いにあると思うのである。自分の本能を丸出しにするのは良いが、サーカディアンリズムがかくあるように外部からの修正も重要だとワタクシは考えるのである。こうして医学ネタで始まり医学ネタに終われる事はホントに何回あったであろうと指折り数える今日この頃であった。