アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

STREAM OF CONSCIOUSNESS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「産業が衰退する最初の兆候は、能力と意欲のある者に訴える力を持たなくなることである」

By ピーター・ドラッカー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*全然良くないけど「いいね!」

 まぁ何ともfacebookらしい話っちゃらしい話だが【会社をクビになったとfacebookに書いたら150イイネされた】んだそうである(-_-;)そんな事を書く方も書く方だが、いいね!する方もする方である。ワタクシが前々から主張してるのは「”いいね!”ボタンは廃止して、その代わり”喜””怒””哀””楽”ボタンを設置する」というモンである。コレなら「コメントするには腰が重いけど、でも厳密に”いいね!”に該当するかと言えば(^_^;)・・・」っていうトコから更に一歩踏み込んで、もっと事細かに感情を表現できると思うのである。最早ワタクシが言うまでもないと思うけど、最近の”いいね!”ボタンは本来の意味を全く成していないのである。もうただ単に「意識してますよ」って意思表示だけで、熟読なんかしてないのが殆どである。


 まぁでも、そうは問屋が卸さないだろうことも容易に想像はつく。何故かと言えば、SNSとかやるヤツってのは、多かれ少なかれ自意識過剰だからである(笑)物事は何でも賛否両論あって然りなのに、SNSで意見を問うヤツってのは、ほぼ間違いなく賛同しか求めていないからである。でもってネットってのは相手の顔が見えないモンである。何ちゅーか、人間ってナマモノは「直接殴られない」って分かるだけで、謎の度胸が湧いてくるモンなのである(爆)そうなると・・・

トピ主は賛同しか求めてない

賛同以外の意見を述べてしまい、トピ主がキレる

お互いに相手がそばにいないから、言葉の応酬がエスカレートする

その際、今まで隠していた本性が露になる

ソレを知ったら最後、もう元には戻れない

( ゚Д゚)マズー

・・・ってワケである。人間関係ってシロモノはある程度本性を隠すから上手く行くのであり、相手に対し「自分とは絶対相容れないモンがある」と分かった途端、その関係は終わりになるか、あるいは上っ面だけのソレになってしまうモンなのである。だから余計な事は言わず、無難に”いいね!”ってやっとくのが無難なのである。つくづく思うのだが、やっぱ”いいね!”ボタンを考え付いたヤツは、モノホンの天才だと思うのである。


*ゲームセンターは何処

 ココ数年、サバゲー以外にも「昔アレだけ好きだったのに、今じゃ殆ど興味なくなっちゃった」ってモンが、ワタクシにはもう一つあるのである。ソレは「ゲーセン通い」である。ワタクシはゲーセンが大好き・・・だったのである。というのも、ロンマニアの皆様も既にご存じだと思うが、ワタクシが大のゲーム好きだからである。物心ついた時からヒマさえあればゲーセンで他人がやってるのを見てて(当時幼坊〜小坊だったワタクシにゃ、ゲームするだけの小遣いは貰えなかった^_^;)小遣いが増えだした中坊時代からは、余裕さえあればゲーセン行ってたモンである。特にコレが全盛期の頃は、ソレはソレは通い詰めたモンである:

この「ストリートファイターII」が全盛期の頃が、恐らくゲーセンが一番活気あった頃ではないであろうか。この頃は家庭用ゲームと言えばまだファミコンが現役&スーパーファミコンが出たばかり→ゲーセンにはスペックが到底及ばず、優れたゲームをプレイするためにはゲーセンに通い詰める必要があったのである。でもって格闘ゲームだけでなく、その他のゲームもラインナップが充実してたから、あの頃のワタクシにとっちゃゲーセンは天国だったのである。断言しても良い、あの頃のワタクシに無制限にカネを渡したら、恐らく一週間はゲーセンから出て来なかったであろう(笑)


 その全盛期を知ってたからこそ中坊→高坊→大坊→研修医時代と欠かさずゲーセン通い詰めてたのであるが、ある日突然足が遠のいたのである。まず1つ目は「サバゲーとクルマを知ってしまった」である。そうすると自ずとそっちにカネ使うようになってしまい、ゲーセンに注ぎ込むカネも時間も無くなってしまうって話である。二つ目は「ゲーセンのレベルが上がり過ぎてしまい、ワタクシの方がついて行けなくなった」である。ゲーマーのレベルが上がり過ぎてしまい、ソレに合わせてゲームも難解化&複雑化の一途を辿る一方である。当初の「スト2」や「グラディウス」の時代ならワタクシもまだついて行けたが、今じゃこうである:


自慢ではないが、ワタクシは反射神経の鈍さ&咄嗟の判断の拙さには相当自信があるのである(笑)ココまでレベルが上がってしまうと、最早ワタクシの手には負えないのである(^_^;)アレだけ大好きだったスト2であるが、今のスト4はプレイすらした事が無い。したって敵わない事は火を見るよりも明らかだからである。


*家庭の逆襲

 そして3つ目が「家庭用ゲームが異常なくらい進化したから」である。スト2全盛期は間違いなく「アーケードゲーム機>>家庭用ゲーム機」だったが、今じゃ間違いなく「ゲーミングPC>家庭用ゲーム機>>アーケードゲーム機」である。ワタクシがゲーセン行くのは「より優れたゲームがしたいから」であり、家庭用のが優れてるのであれば、もう用は無いって話である。その他、昔のゲーセンには「大勢の他人と対戦する」って醍醐味があったが、今じゃネット回線に繋げば世界中のゲーマーと繋がれる。つまりゲーセン行く意義も、ゲーセンでゲームをやる意義も無くなってしまってるのである。今はゲーセンが次々と潰れていって、プリクラとUFOキャッチャーしか生き残れないらしいのだが、そりゃ当然の帰結である。


 そう、今のワタクシにとっちゃ「面白いゲームがしたきゃ、家でやればいい」って認識なのである。特にワタクシが今年度最大注目してるタイトルがこの「グランセフトオート5」である:

思いっきり広い箱庭世界を陸・空・海と自由に駆け巡り、その中で家を買ったり、クルマを改造したり、服やタトゥーを自由に変えたり、好きな時に好きな主人公で好きなようにミッションをこなす。奴隷根性が染みついていない限りは、この圧倒的な自由を前に心が躍らない筈が無いのである。ホントに今後ゲーセンはどうすれば発展するのか、全く見当もつかないのである。何ちゅーか、時代の移り変わりを痛感する今日この頃であった。