アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

STABBING THE DRAMA

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「もし、他人に何かのインパクトを与えるような生き方が出来なかったとしたら、人生などそれほど重要なものではないと思う」

By ジャッキー・ロビンソン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ホンダ\(^o^)/ハジマタ?

 ワタクシはホンダに”フツーのクルマ”なんぞ望んじゃいないのである。何故ならフツーのクルマが欲しければ、トヨタ車を買えば良いだけの話だからである。てゆーか、フツーである事に関しては、ニッポンどころか世界にだってトヨタに敵うトコなんか無いであろう。ホンダ車に望む事は「イノベーティブである事」である。昔のホンダ車ってのはイノベーションを生み出した結果としての走行性能なり環境性能なりだったが、ココ最近はずっと逆になってたのである(´・ω・`)でも最近は景気良くなったせいか徐々に元に戻りだして、久しぶりに【シビック・タイプR復活】といった話も聞こえてきたのである。でもって、ワタクシが一番関心あるのは、勿論次期NSXを置いて他には無いのである。早速走行動画が入ってきたので貼る事にしたのである:

ワタクシは以前「先ずはエキゾースト音、次に内装」と言ったのであるが、ホントにこのエキゾースト音ならば悪くは無いと思うのである。でもって、次はコクピットである。コレに関しては「次期NSX 内装」でググると出てくるのであるが、コンセプトモデルのソレほどアテにならんモンは無い。前にも言ったように、ワタクシはただ速いだけのクルマはもう食傷気味なのである。ただ単純に速くしたいだけなら、どんなクルマだって弄れば速くなるからである:

コレは例として出すには極端過ぎるのがアレなのだが(笑)レギュレーションのある公式レースなら兎も角、その気があれば&カネに糸目さえ付けなければ無制限なチューニングにおいて、ただ速さだけを求めるなんて無粋で不毛だとワタクシは思うのである。速さと、デザインと、乗る楽しさと、そしてイノベーション。このバランスとハーモニーこそが重要だと最近のワタクシは思うのである。どうやら来年デビューっぽいので、ボチボチ観察を続けるつもりではある。


*感動という名の麻薬

 良い作品だった。芸の細かさや演出の上手さは流石だと思うけど、インパクトが無い。前の作品と同じ感じ。コレがワタクシの職場の若い看護師による、宮崎駿(以後パヤオ)最新作「風立ちぬ」のインプレである。ソレ聞いてワタクシは「ああ、やっぱ今作もそうなのね('A`)ココ最近のパヤオ映画って、ずっとそんな感じだったしね」と答えてしまった次第である。何ちゅーか「千と千尋の神隠し」からそんな感じで、次の「ハウルの動く城」もそんな感じで、だからワタクシは昔からずっとライフワークにしていたパヤオ映画の観賞を「崖の上のポニョ」で止めてしまったのである。当初はポニョは「映画行く気はしなかったけど、DVDで観よ( ´_ゝ`)」と思っていたが、結局観ぬまま今に至ってしまった次第である(笑)


 パヤオ映画の最高傑作は「天空の城ラピュタ(以後ラピュタ)」である。普段は寛大なワタクシであるが、コレについて異論は認めない(笑)初めてラピュタを観た時の感動は、ワタクシ未だに忘れられないのである。ストーリー、音楽、演出、映像、思想、躍動感etc。至る所に数えたら限が無い程の感動が詰まっていて、ソレが短時間で強引にワタクシの脳ミソに怒涛の量で詰め込まれ、ワタクシの脳ミソを強烈に刺激し覚醒させるのである。ワタクシは良い作品に巡り合えた感動を「脳ミソをハンマーで殴られたよう」と表現するのは、つまりそういう事である。ソレが映画の最初から最後まで途切れる事無く続いていて、まるでドラッグでトリップしたかの如く作品世界に引き込まれるのである。


 でもって終わった瞬間に、余りにも濃厚な世界から切り離されてしまうため「あぁ、無味乾燥でクソッタレな現実世界に戻ってきちゃったよチクショウ(´;ω;`)」という途方もない虚脱感に見舞われるのである(笑)この感動という名のドラッグによる恍惚感と、ソレから切り離される事による禁断症状的な虚脱感。ソレがラピュタナウシカと、あと「となりのトトロ」と「紅の豚」にはあったのだが、ソレ以降は徐々にその要素が減ってるのである。確かに以降のパヤオ映画は「面白いか?」と問われれば「面白い」と答えるが、インパクトが無いのである(-_-;)何ちゅーか、麻薬中毒者がビールを飲むような感じを、ワタクシは今のパヤオ作品に感じてしまうのである。酔えるけど、ハイにはなれない(爆)


パヤオメタリカ

 ワタクシがパヤオ映画に関して言ってる事は、何ちゅーか「メタリカはクリフ・バートン在籍時の初期三作品こそ至高。ソレ以降は認めねぇ」というメタル原理主義的ファンと同じだって事に今気付いたのである(笑)多分メタリカと同じ事が、パヤオにも言えるんじゃないかなと思うのである。初期三作品の頃は「モテなくてカネも無くて問題を抱えていて、抑えきれない衝動を歌にしている荒くれモン」を絵に描いたような音楽をやってたけど、ソレで成功してカネも名誉もこの上なく得られるようになれば、そりゃ考え方も変わるってモンである。その事は【メタリカ:真実の瞬間】にも描いてあるが、今の彼らはバリバリのセレブなのである。


 名声もカネも死ぬほど手に入れて、酸いも甘いも経験し、色々勉強もして大人になった。そんな彼らが、若かった頃の音楽をまた作れるであろうか?答えは当然「ノー」である。所謂「仏作って魂入れず」ってヤツで、音だけはマネできても、あの当時の荒んだ心までは再現できないからである。そりゃスーパーカーチョロQ感覚で買っちゃうようなセレブが「貧しく惨めな俺。その心は鋼鉄をも溶かさんばかりの憤怒に燃えている!」と歌ったって「ふざけんなバカヤロー!」って言われてお終いである(笑)多分パヤオも有名になって名声を得るようになって、心情に変化が生じていると思うんだけど、今のワタクシにはソレを知る術が無いっちゅーのが現状である。さて、久々にメタリカ聴きたくなったので、さっさと切り上げたい今日この頃であった。