アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE INFERNAL STORM

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「人間を堕落に導く最も大きな悪魔は、自分自身を嫌う心である」

By ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*戦後72年目

 今更気付いたのであるが、今日は終戦記念日だったのである。終戦の何を記念するのかがワタクシにはサッパリ分からんのだが、まぁそういう事なのであろう(笑)あの戦争(つまりWWII)についての感想を問われたら、ワタクシの答えは「愚かな戦争だった」である。ココで言う”愚か”というのは「間違った戦争だった」という意味ではなく「勝てないのにやっちゃった戦争だった」という意味である。こう言っちゃアレなのであるが、戦争をするからには勝たなきゃならんのであり、勝てないのなら戦争をすべきではないのである。ワタクシは思うのである、世の中には”正しい戦争”も”正しい歴史”もなく、唯一あるのは”戦勝国が押し付けてくる価値観や歴史観”のみなのである。



 ワタクシが言うまでもなく、戦争ってのは古今東西、特定のアイデンティティー(国家、部族、宗教など)を持つモン同士がシェアの奪い合う為の手段の一つであり、ソレ以上でもソレ以下でもないのである。じゃあ何故ニッポンや韓国で「戦争の正当性ガー」とか「正しい歴史認識ガー」って大騒ぎするのかというと、この2国が実質単一民族国家→他民族や他文化とのシェア奪い合いという認識が薄く、同一の善悪の価値観をほぼ全国民で共有してるからである。だからニッポンじゃ戦後72年経った今も「あの戦争は正しかったのか否か」って論争が起こるのである。繰り返し言うが、戦争は正しかったか否かではなく、勝ったか負けたかのどちらかだけであり、勝った方の価値観が優位に立つ。そんだけの話である。


悪魔崇拝のススメ

 こんな事言うと「ロンの野郎は鬼だッ!悪魔だッ!」って言われるかも知れないが、ワタクシは別に天使になりたいワケじゃないので悪しからずである(笑)てゆーか、キリスト教的価値観と、ソコから生まれた数々の概念(人権、法の下での平等など)ってのも、キリスト教勢力が戦争で勝ったからこそ普及しているのである。もしもイスラム教勢力が戦争に勝って世界を支配していたら、男尊女卑がグローバルスタンダードになってた筈である。そうそう、悪魔と言えば、つい最近【チャーチ・オブ・サタン(悪魔教会)】なるHPを見つけたのであるが、ココにある「サタニズムの基礎」ってヤツが実に面白いのである:

悪魔の9箇条 :

  1. サタンは節制ではなく放逸を好む
  2. サタンは夢想ではなく実存である
  3. サタンは偽善的な自己欺瞞ではなく純粋な英知である
  4. サタンは敵に愛を浪費せず、値する者にだけ恩恵を施す
  5. サタンは「右の頬を打たれたら左の頬も向ける」のではなく復讐を要求する
  6. サタンは心理的吸血鬼など問題にせず、責任を負うべき者に対して責任を持つ
  7. サタンは獣のような人間である。あるときは四足の動物よりも賢く、また、あるときはより凶暴になる。高度に発達した知性と精神を持つために、地上でもっとも恐ろしい動物なのである
  8. サタンは罪といわれるもの全てをよしとする。それは肉体的・精神的な欲求を満たしてくれるのだから
  9. サタンはキリスト教会においても人類の最高の友であった。彼は太古からそれを自分の仕事としてきたのである

一見過激な内容に見えるが、ワタクシとしては「合法的で、且つ他人の主権を侵害してなけりゃ、別に良いんじゃね( ̄▽ ̄)」って感じなのである。回り回って結局テメェの利益のためにやってる偽善なんぞよりは、こうやって明確に「俺は自分のやりたい事をやる。文句あっかコノヤロー凸(`Д´メ)」と言ってくれた方がスッキリしてて好感持てるのである(笑)


 そう、結局コレって「偽善はやめましょう、欲望があるならあるってシッカリ言いましょう」って事だと思うのである。表向きは聖人君子を演じていても、裏ではドロドログチャグチャした事をやっている。そんな光景、イヤというほど見て来てるからである。だったら正直になった方が断然良いと思うのである:

地上における悪魔の11のルール:

  1. 求められなければ、自分の意見や助言を与えないこと
  2. 聞きたがる人でなければ、自分のトラブルについて話さないこと
  3. 他人の巣穴に入ったら敬意を表すこと、さもなければ出ていくこと
  4. 自分の巣穴でうるさい客は、情け容赦なく扱え
  5. 交尾を認めるシグナルがなければセクロスを進めてはならない
  6. 自分のものでないものを奪ってはならない。さもないと、他人に重荷を負わせ、助けを求める悲鳴を上げさせることになる
  7. 魔術で願いが叶えば、その力を認めること。成功したにもかからわず魔術の力を否定すると、得たものを全て失うことになる
  8. 自分に関係ないものに対して、不満を並べてはならない
  9. 小さな子どもを傷つけてはならない
  10. 人間でない動物を殺してはならない。ただし、襲われたり、食用にしたりする場合はこの限りではない
  11. 公共の場を歩く時は、他人をわずわらせてはならない。他人をわずらわされたら、やめるよう要求し、やめなければ攻撃せよ

何ちゅーか、ヘタな天使よりもずっと天使してると思うのは、きっとワタクシだけじゃない筈である(笑)コレって要するに、個人主義の延長線にある価値観そのものだからである。集団主義で他人を気にしながら生きてるヤツには受け入れ難いかも知れないが、ワタクシは無個性な集団主義よりも断然こっちの方が良いと思うのである。


 そう、悪魔主義とかいう物騒な名前はついてるけど、とどのつまり個人主義の延長線であり、キリスト教の教えを文面通りにしか受け取れない&テメェの頭で考える事が出来ない&キリスト教の権威に便乗する事しか出来ないヤツに対するアンチテーゼなのである。では最後のヤツであるが:

悪魔主義における9つの罪:

  1. 愚鈍:悪魔主義の大罪の最たるもの。苦痛を伴わないから始末に悪い。無知もその一つである。
  2. 知ったかぶり:上辺だけの威厳くらいうんざりさせられるものはないが、これも、愚鈍と同じく世間で金を動かす力を持っている。
  3. 唯我主義:自分より劣った者に自分の意志や感性を押し付けるのは、悪魔主義にとって危険である。他人に自分と同じことを要求するのは間違っている。
  4. 自己欺瞞自己欺瞞が許されるのは、それを自覚して楽しんでいるときだけで、その場合は自己欺瞞とはいわないのだ
  5. 集団への同調:集団の気まぐれに振り回されないためには、良い主人を選ぶことが肝要である
  6. 見通しの欠如:全体をよく見極めて部分を組み立てよう。集団の意見に左右されてぐらついてはならない
  7. 過去の権威を忘れること:過去を忘れて"創始者"の才能ばかりを称えるのは、使い捨て社会を助長するものである
  8. 非生産的なプライド:あなたが大切なものまで捨てるはめにならなければ、プライドは素晴らしいものである
  9. 美意識の欠如:美意識は個人的なものだが、多くの人を喜ばせる調和のとれた配列というものがあることも否定できない

何ちゅーか、悪魔主義者になりたくなってしまったのは、決してワタクシだけではない筈である(笑)ワタクシが考えるに、ココに書いてある事ってのは、所謂自分自身ってシロモノを確立していない、何らかに属する事(この場合キリスト教など)でしか自分の存在意義を見いだせない、テメェの意見を押し殺してでも大樹の陰に寄りたい、そんなヤツにとっては絶対に認める事の出来ない事実なのである。そういうヤツにとっては、コレは正に”悪魔の囁き”って感じる事であろう。


ディベート大歓迎

 昔読んだHR/HM専門誌のインタビューで、とあるバンドのメンバーに「貴方は悪魔を信じてますか?」って聞いた所、そのメンバーは「俺は神を信じてないけど、悪魔も信じていない。悪魔への熱狂的な信仰ってのは、要するに神への熱狂的な信仰の裏返しだからだ。だから俺はどっちも信じない、自分だけを信じる」と答えていたが、ソレと似たようなモンだと思うのである。ワタクシは別に既存の宗教が悪いとは思っていないし、不在が証明されていない以上は神のような形而上的な存在も否定はしない。ただ上記にもあるように、ソレを絶対的なモンとして他人に押し付けたり、他の考え方を頭ごなしに否定したり、自分で考える事を止めたり、テメェの弱さをオブラートするために使うヤツは大嫌いなのである。


 ワタクシが上記にあるような歴史云々の問題で、左翼は受け入れるけどサヨクを嫌うのは、つまりそういう事である。リベラリズムに未来を見出していて、ソレを現実的且つ具体的な方法で実践していくのであれば、意見は違えどリバタリアンのワタクシも大歓迎である。そういう人との議論は楽しいし、自分の考えにある欠点や矛盾点に気付かせてくれるからである。が、ただ単に人権や憲法を盲目的に掲げるヤツは、存在する意義を見いだせないのである:

左翼 サヨク
オリジナルの社会主義共産主義からは既に脱却、現在は社会民主主義が主流 公言しないが、オリジナルの社会主義共産主義に未だ傾倒している
時代の変化に対応して、新自由主義や軍隊や核の存在意義を(積極的ではないが)肯定している 時代錯誤と呼ばれようとも、新自由主義や軍や核を頑なに否定する
基本的にリア充&勝ち組の反主流派がなる。故に世の中や世界に対し肯定的。政治社会活動はポジティブな動機からやってる 基本的にいじめられっ子や負け組がなる。故に世の中や世界に対し否定的。政治社会活動はネガティブな動機でやってる
正義は議論により深めるべきだと考えていて、持論が受け入れられるかどうかは分からないと考える。持論が受け入れられなかった場合、ソレを自分達の説得力不足だと考え、今後の対策を講じる 正義は常に我にあると考えていて、議論さえすれば必ず自分達の意見が勝つと考えている。持論が受け入れられなかった場合、ソレは世間がバカだからと考え、反省はしない
自分達はあくまで市民国民の一員であり、基本的にフツーの人たちと同等の立場に置く。基本オープンで寛容な立場をとり、異論反論は自分達が成長する糧だと考え受け入れる 自分達は”正義”を理解した前衛的な人間と考えていて基本的に上から目線。基本閉鎖的で排他的。自分達の考えは絶対正しいから異論反論は自分達への攻撃とみなし、拒絶する
右翼とは立場が違えど、同じように愛国心がある。批判するのはより良い祖国にするため 愛国心は忌々しきもの、唾棄すべきものだと考える。否定するのは国というシステムは破壊するため
批判屋 否定屋

そう、宗教にしろ悪魔主義にしろ、保守にしろリベラルにしろ、お互いを尊重できさえすれば意見を違えても問題無いのである。でもココ最近の歴史云々政治云々の話を聞くと、どっちも互いを否定し合うだけである┐(´д`)┌意見の相違を恐れるのは弱いヤツだけであり、強い人間は意見の相違をも飲み込んで成長できる。そう思う今日この頃であった。