ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「もし人格のないものが無闇に個性を発展させようとすると、他を妨害する。権力を用いようとすると、濫用に流れる。金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです」
By 夏目漱石
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*紙の本がこの先生きのこるには
あくまでアマゾンの中だけの話であるが、遂に【電子書籍の売り上げが紙の書籍を上回った】んだそうである。まぁワタクシはこうなる事を予言してきたので、今更驚きはしない。端末一つさえあれば、世界中どこに居てもジョジョ全巻とワンピース全巻とナルト全巻が読める。この便利さを知れば、その他諸々がどうでもよくなるってモンである(笑)昔は旅行なんかに行く時は持ってく本を厳選してたりしたモンであるが、今はタブレット端末一つあれば、その時の気分で何でも好きなモンを読める。前々から言ってきたワタクシの持論であるが、人間というナマモノは本能的に便利さを求めるのである。船→飛行機然り、馬車→クルマ然り、ガラケー→スマホ然り、そして紙本→電子書籍然りである。圧倒的に便利でさえあれば、必ず流行るのである。
じゃあ紙の本は無くなるのかと言われたら、ワタクシの答えは「ノー」である。何故かと言えば、電子書籍にも弱点はあるからである:
- 「所有してる」という実感や満足感
- 「大元のサービスが終われば読めなくなる」という保存性
- インテリアの一部としての存在感
だからワタクシが思うに、紙の本がこの先生きのこる方法があるとしたら、ソレは「プレミア化」である。よーするに、機械式腕時計やスーパーカーと一緒である。長持ちするような上質な紙を用いて、中身よりも本そのものとしての価値を高めるのである。つまり「雑誌やマンガみたいに読み捨てちゃうか、辞書みたいに道具として使う本→電子書籍」「画集や文学全集や高級品のカタログみたく、形がある事に価値がある本→紙書籍」って住み分けちゃうのである。だから本が売れないなら安売りするのではなく、逆に値段を上げちゃえってのがワタクシの意見なのである(笑)
*作家vs権力
話は変わって、最近は”ヘイトスピーチ”なる言葉が流行ってるみたいなのである。無論、ワタクシもヘイトスピーチには反対である。差別云々もそうであるが、こういうルサンチマンを刺激するやり方で得た支持ってのは、歴史上見て長続きした事が無いからである。じゃあ最近話題になってる【ヘイトスピーチ規制法云々】についてどう思うかと問われたら「自粛できないんだったらしゃーない。国際法的にもNGなんだから、規制しても良いんじゃね?」ってトコである。ところがサヨク連中の意見は、どうやら違うようなのである。この前某SNSで自称社会民主主義者のエロゲ作家がこの事について語ってたが、曰く「ヘイトスピーチ反対。でもヘイトスピーチ規制はもっと反対」だそうである┐(´д`)┌
じゃあ何故反対なのかと言えば「デモやスピーチを国が規制できるようになったら、権力者は必ずソレを悪用して、善良な市民の正しいデモまでも規制するから」だそうである。んじゃ、どうやって規制すんのよって問いの答えが「市民的自治規範に基づいて、市民が自立的に無くしていく」だそうである。ソレが出来ないから世界中どの国にも警察や裁判所や各種規制が存在するのに、お前は一体世の中の何を見てるんだって話である┐(´-`)┌まぁ”社会民主主義者”を自称するだけあって当然ながらサヨクであり、言うまでも無く「国家権力=悪」「権力に虐げられてる人々=善」の善悪二元論に凝り固まってるヤツなので、反論するだけムダである。何故ならこの手の輩は、絶対に自分の非を認めないからである。
この手の「国家権力=悪」って考えに凝り固まるヤツってのは、昔から相場が決まってるのである。ソレは「テメェの不甲斐無さを他人や世の中のせいにしてるヤツ」である。モテなくて友達できなくて出世できなくて、でも惨めになって死にたくなるからテメェの不甲斐無さを認められず、その原因を「他人が意地悪だから」「社会が不寛容だから」「国がいじめっ子を規制しないから」って自分以外に転嫁する。そしてその溜まりに溜まったルサンチマンを、社会主義や共産主義という大義名分で正当化する。このエロゲ作家も正にソレであるが、サヨクってのはテメェと仲間以外には兎に角不寛容で、敵対者や反対者に対し悪意と憎悪をぶつけまくる。何故なら「自分が不幸なのは貴様らのせいだ!」って本気で考えてるからである。
*脱ルサンチマンのススメ
前々から言ってる事だが、ワタクシは別に左翼思想に反対してるワケじゃないのである。マルクス主義って基本的にフィクションだけど、マルクスの洞察力は本物だと思うし、見習う点は多くあるからである。ワタクシが反対してるのは、ソレをテメェの自己正当化に使うサヨク人間たちなのである。もう上記を読めば分かると思うが、サヨクやるヤツってのは基本的に他責的で自己中心的なのである。そんなヤツと仲良くなれるはずなんか無いのである:
左翼とサヨクの違い:
左翼 サヨク ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ オリジナルの社会主義・共産主義からは既に脱却 公言しないが、オリジナルの社会主義・共産主義に 現在は社会民主主義が主流 未だ傾倒しており、支持母体が正にソレ 時代の変化に対応して、新自由主義や軍隊や核の 時代錯誤と呼ばれようとも、新自由主義や軍や核を 存在意義を(積極的ではないが)肯定している 頑なに否定する 基本的にリア充&勝ち組の反主流派がなる 基本的にいじめられっ子や負け組がなる 故に世の中や世界に対し肯定的 故に世の中や世界に対し否定的 政治社会活動はポジティブな動機からやってる 政治社会活動はネガティブな動機でやってる 正義は議論により深めるべきだと考えていて 正義は常に我にあると考えていて、議論さえすれば 持論が受け入れられるかどうかは分からない 必ず自分達の意見が勝つと考えている 持論が受け入れられなかった場合、ソレを自分達の 持論が受け入れられなかった場合、ソレは世間が 説得力不足だと考え、今後の対策を講じる バカだからと考え、反省はしない 自分達はあくまで市民国民の一員であり、基本的に 自分達は”正義”を理解した前衛的な人間と考えていて フツーの人たちと同等の立場に置く 基本的に上から目線 基本オープンで寛容な立場をとり、異論反論は 基本閉鎖的で排他的。自分達の考えは絶対正しいから 自分達が成長する糧だと考え受け入れる 異論反論は自分達への攻撃とみなし拒絶する 右翼とは立場が違えど、同じように愛国心がある 愛国心は忌々しきもの、唾棄すべきものだと考え 批判するのは、より良い祖国にするため 否定するのは、国というシステムは破壊するため 批判屋 否定屋
批判屋と否定屋の違い:
. 批判屋 否定屋 ───────────────────────────────────── 批判対象に対して基本的に悪意はない. 基本的に悪意を以って対象を否定する . 対象が欠点を認め、改善する事を . 否定対象に改善は期待していない。 期待してるからこそ批判する 対象を憎んでるから否定する . 世の中は基本的に善だという前提の元. 世の中は基本的に悪だという前提の元 ボタンの掛け違えが問題と考える 人間や社会はバカばかりだと考える . 異論の存在を基本認め、共存を否定 異論の存在を認めない。共存は不可能 しない 反論が有益なものであるならば、ソレを. 反論は自分に対する攻撃と受け取って 認めて受け入れようとする . 悪意と憎悪を以って拒絶する 基本的に人間不信は無いから、意見の 基本的に人間不信。自分に同調する 違う他人と友達になる事は可能 人間以外とは友達になれない 批判と共に対案も用意してあるし 否定はするが対案は示さない 改善のための行動も行う準備がある ただ単純に世の中をブチ壊したいだけ 基本的に自分自身に肯定的 世の中もそうだけど、自分自身も大嫌い
とまぁ、こんな感じである。ようするにホントの意味での左翼ってのは、他人も自分も愛して許容できる人間じゃなきゃなれないのであり、ルサンチマン抱えまくって捻くれたヤツには絶対なれないのである。そんなヤツが”社会民主主義者”だなんて、寝言は寝て言えって話である( ´,_ゝ`)ワタクシはモニター前のロンマニアの皆様が、批判屋の左翼である事を願って止まない次第である(笑)もしもモニター前の貴方が否定屋でサヨクであるという自覚があるのなら、このワタクシ自らがハートマン軍曹宜しく、泣いたり笑ったり出来なくなるまで可愛がってあげたいと思う次第である(爆)さてもう疲れてしまったので、〆るに限る今日この頃であった。