アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

ORDINARY CORRUPT HUMAN LOVE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「左翼とは何者であるか?不平等な分配を熱望する輩である。自分の銅貨を支払って、他人の銀貨を着服しようとする怠け者である」

By エベンザー・エリオット


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*SNS時代の功罪

 ネット時代のSNS全盛期になって、人はより個性的になったか?ワタクシの答えは「むしろ没個性化が進んだ希ガス」といったトコである。SNSの最大の特徴は何かと問われたら、ワタクシの答えは「数を搔き集め易くなった」である。1000人に1人ぐらいしか居ないレアな属性持ちで、自分の住んでる街じゃ1〜2人しか居なくて孤立してた存在でも、ネットを介する事で他の街、他の県、何だったら他の国の同じ属性持ちと繋がれるようになるのである。そして「自分は一人じゃないッ!」って事を知れば、良い意味でも悪い意味でも勇気ってヤツが湧いてくるのである。認めてくれる人さえ居れば自分の属性に自信を持てるし、周りから叩かれてもネットの向こうの仲間が励ましてくれるし、リアルのイベントで集まる算段も立て易い。ソレが良い属性であれ、悪い属性であれ、である。


 ココ数年、オタクの行動が過激化してきたってのも、つまりそういう事だとワタクシは思うのである。認めてくれる、褒めてくれる人が居るってだけで、人は思った以上に大胆になれるのである。でもって数が更に数を呼び寄せ、大きな数はカネや権力を生み出し、そのカネと権力を目当てに資本や政治がやってくる。そう、オタクは認められたから社会に受け入れられてるのではなく、カネと票を呼び寄せるから社会に受け入れられてるのである:


何故こういう事が出来てしまうかって、一人じゃないからである。よーするに「より過激でマニアックな事をすれば、仲間はより自分を認めてくれるッ!」って考えてるから、そういう行動に出るのである。ネットやSNSの時代になってより広く世界と繋がれるようになった筈なのに、一部の内向的なヤツはネットやSNSがあるからこそより一層内向的閉鎖的排他的になる。正にSNSの功罪なのである。


ルサンチマンによる数の暴力

 同じ様な事が、社会や政治にも言えると思うのである。今のニッポンの政治社会の何が問題かって、左派のサヨク化が著しい事である。この【安倍政権への批判を逆効果にならないように言うには】にもあるように「我々は絶対的な正しく、正義を完遂する為ならば我々の意見を強引に押し付けても、反対する相手を口汚く罵っても許される」って考えてるルサンチマンに塗れた連中がSNSなどを介して数と勢いを取り付けて、理論的にモノを考えられて真っ当に議論できる左翼を隅に追いやってるのである( ̄〜 ̄)でもって野党連中は本来就くべき後者ではなく、より一層票を集められる前者の方に媚びてしまい、ナンセンスな揚げ足取りの政治パフォーマンスに翻弄してしまってるのである。



 こうやって災害のドサクサに紛れてデマ流すとか、ワールドカップに引っ掛けてつまらんイチャモンつけるとか、調べれば他にも山ほど出てくるので、この場では省略させて頂く次第である。何をどう見てもルサンチマン塗れのクソ意見でも、所謂「共感を得る」って目的ならばこっちの方が有効なのである。クソ意見でも匿名ならば安心して賛同の意を示せるし、数が集まれば尚更安全なのである。でもって数が更に数を呼び、民主主義というシステムが数に正当性を与えてしまうのである。そうSNSという数を搔き集められるツールは、民主主義というシステムと大変相性が良いのである。ソレで生まれてしまったのが、ご存知アメリカのトランプ政権である。正しさや中身はどうでもよく、共感と数だけで押し切れちゃうっていう悪しき前例である。



 とあるロンマニアの方がコレを「ルサンチマンによる数の暴力」と称していたが、ホントその言葉がピッタリ合うのである。ちゅーのも民主主義ってシステムは賢者も愚者も一票の価値は同じであり、そしてその一票にどんな気持ちを込めようとも自由なのである。そしてソコに、SNSという数を搔き集める事に長けたツールが登場する事によって、バカでネガティブな意見や思想に勇気を与えてしまってるのである。そして頭の回る狡賢いヤツが、この仕組みを上手く利用してカネや権力を巻き上げるのである。そう、コレの何がダメなのかって、バカさとネガティブさが正当化されるのもだけど、狡賢いヤツが弱者を搾取する事に繋がってるからである。古人曰く「賢くなければ民主主義は扱えない」との事であるが、ホントそう思うのである。


サヨクvs左翼

 そう、この手のルサンチマンによる共感連合の何がダメかって、回り回っても民衆の利益にならないからである。共感に流されれば流されるほど、ルサンチマンに塗れれば塗れる程、本来の民主主義から遠さがっていくのである。だからホントの意味で「民主主義ガー」をやりたいのであれば、自分とは異なる考え方を拒絶してはいけないのである。受け入れられなくとも拒絶はせず、理性的且つ論理的に話し合う、互いにソレを根強くやるしかないのである:

左翼 サヨク
オリジナルの社会主義共産主義からは既に脱却、現在は社会民主主義が主流 公言しないが、オリジナルの社会主義共産主義に未だ傾倒している
時代の変化に対応して、新自由主義や軍隊や核の存在意義を(積極的ではないが)肯定している 時代錯誤と呼ばれようとも、新自由主義や軍や核を頑なに否定する
基本的にリア充&勝ち組の反主流派がなる。故に世の中や世界に対し肯定的。政治社会活動はポジティブな動機からやってる 基本的にいじめられっ子や負け組がなる。故に世の中や世界に対し否定的。政治社会活動はネガティブな動機でやってる
正義は議論により深めるべきだと考えていて、持論が受け入れられるかどうかは分からないと考える。持論が受け入れられなかった場合、ソレを自分達の説得力不足だと考え、今後の対策を講じる 正義は常に我にあると考えていて、議論さえすれば必ず自分達の意見が勝つと考えている。持論が受け入れられなかった場合、ソレは世間がバカだからと考え、反省はしない
自分達はあくまで市民国民の一員であり、基本的にフツーの人たちと同等の立場に置く。基本オープンで寛容な立場をとり、異論反論は自分達が成長する糧だと考え受け入れる 自分達は”正義”を理解した前衛的な人間と考えていて基本的に上から目線。基本閉鎖的で排他的。自分達の考えは絶対正しいから異論反論は自分達への攻撃とみなし、拒絶する
右翼とは立場が違えど、同じように愛国心がある。批判するのはより良い祖国にするため 愛国心は忌々しきもの、唾棄すべきものだと考える。否定するのは国というシステムは破壊するため
批判屋 否定屋

そう、今の左翼がサヨクに隅に追いやられてる状況は、ニッポンの政治にとって非常によろしくない状況なのである。ホントは政治家がソレを止めなきゃ行かんのであるが、票目当てにサヨクに媚びやがったのである┐(´д`)┌


 もう何回も言ったと思うが、ワタクシはリバタリアンである。故に自民党支持ではないし、ましてや安倍信者でもないのである。その事はリアルのワタクシを知っているロンマニアの方ならば分かる筈である。ワタクシは批判屋は歓迎するが、否定屋は歓迎しない次第である:

批判屋 否定屋
批判対象に対して基本的に悪意はない 基本的に悪意を以って対象を否定する
対象が欠点を認め、改善する事を期待してるからこそ批判する 否定対象に改善は期待しておらず、対象を憎んでるから否定する
世の中は基本的に善だという前提の元、ボタンの掛け違えが問題と考える 世の中は基本的に悪だという前提の元、人間や社会はバカばかりだと考える
異論の存在を基本認め、共存を否定しない 異論の存在を認めない。共存は不可能
反論が有益なものであるならば、ソレを認めて受け入れようとする 反論は自分に対する攻撃と受け取って、悪意と憎悪を以って拒絶する
基本的に人間不信は無いから、意見の違う他人と友達になる事は可能 基本的に人間不信で、自分に同調する人間以外とは友達になれない
批判と共に対案も用意してあるし、改善のための行動も行う準備がある 否定はするが対案は示さず、ただ単純に世の中をブチ壊したいだけ
基本的に自分自身に肯定的 他人や世の中もそうだけど、自分自身も大嫌い

そう、サヨクの何がダメかって、正しいか正しくないか、合法か非合法か以前に、人間として仲良くし難いのである。人間として尊敬できるのであれば、たとえ立場は違って批判し合うような関係であっても、ソレなりに仲良くやって行けるのである。が、否定屋はダメである。こういうヤツは相対する主張の持ち主どころか、仲間すらも信用してないからである。人は革命の理念にではなく、革命家についていく。昔先輩から聞いた言葉だけど、ホントその通りだと思う今日この頃であった。