ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「生きたいと思わねばならない。そして、死ぬことを知らねばならない」
By ナポレオン・ボナパルト
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*緊急事態宣言再び
緊急事態宣言の何が一番ムカつくって、予防に頑張ってきた人や感染リスクの低いモンまでも巻き添えにしてしまう事である。明後日にも公表されるらしいが、もうソレだけで色んなイベントが「新コロ感染拡大を鑑みて云々」で中止になってしまうのであるから、頑張ってきた人等からすれば「ふざけんなバカヤローヽ(`Д´)ノ」である。確かに「辛い時は皆で苦痛を分かち合う」って精神は重要であるが、ソレは誰も悪くない場合に限ってである。忘年会でマスク外して大声で騒いで感染広めて、ソレが原因で感染者が増えて緊急事態宣言出さざるを得なくなったら、そりゃ文句の一つも言いたくなるに決まってるのであるo(*`ω´*)o正直者がバカを見るようになったら、誰も社会規範なんか守らなくなってしまうのである。
ただまぁ前回のブログでも書いたように、ニッポンは豊かなだけに無主体で世の中で起こってる事をテメェで学ばず考えず生きてるヤツが思ったより多く、そういうヤツにとって人生や仕事は「やらされてるモン」であり、故にデメリットを受容できないのである。そういうヤツ的には「世の中にバカなヤツが居るのも、バカがバカな事をやるのも、全部国や政治家が悪いッ!ソイツ等を選挙で選んだ国民も悪いッ!だから辛さは全員で分かち合うべきだッ!」って考えるのである。そしてそういうヤツは当然だけど「新コロが完全に無くなるまで自粛して、補償もガッツリ出せッ!財源?ンなモン何とかしろッ!」って考え方だから、話にならんのである┐(´д`)┌
*40過ぎたらメメント・モリ
実は医学的に言えば、40過ぎたらもう老年期なのである。ソコから先は何をどうやっても肉体は衰えていく一方であり、成人病にもガンにもなり易くなってくるのである。だから40代に差し掛かったらソレに捉われる必要は無いけど、自分の死は頭の片隅に置いておくべきだとワタクシは考えるのである。所謂「メメント・モリ」ってヤツである。ワタクシが今回の新コロ禍でムカついてても恐怖が殆ど無いのは、多分このメメント・モリがあるからだろうと思うのである(笑)そしてこのメメント・モリの量と質が【ヤバ過ぎ派と騒ぎ過ぎ派の対立が云々】でヤバ過ぎ派と騒ぎ過ぎ派を分けているんじゃないかと思うのである。
ご存知でしたか? 「メメント・モリ(死を想え)」とは、本来、「いまを楽しめ」という意味を持つことばだったそうですよ。「明日死ぬかもしれない」。だからこそ「歌い、踊り、遊んでしまおう!」と。#162
だからワタクシはヤバ過ぎ派に「もしお前や、お前の家族が新コロったらどうするんだッ!」って言われても「新コロったら治療に専念する、もし死んだとしても、ソレは運命だからしゃーない」と答える次第である。ちゅーのも、ワタクシはニッポンで今の生活が出来てる時点で、既にこの上なく幸運に恵まれてると思ってるからである。ワタクシは元インドネシア人で、発展途上国で貧しく生まれた事による理不尽な運命の数々をリアルで見てきたし、伝聞も彼是聞いてきてるのである。平和で豊かなニッポンに住んでると理解し難いかも知れんが、世界は理不尽で不平等なモンであり、死は無情で無常なモンなのである。そういうのに比べれば、ニッポンでの新コロなんぞ屁みたいなモンである。
インドネシア脅かす過激派 ジャカルタ襲撃の前にも
デヴィ夫人が語るインドネシア大虐殺の真実(14/04/06)
蛇足だけど「ジャカルタのホテルでテロ云々」で爆破されたホテル向かい側のビルに、実はカーチャンのオフィスがあったりするのである(^_^;)でもってインドネシア大虐殺があった時代、トーチャンは渦中のジャカルタで学生してたりしたのである( ̄▽ ̄;)まぁ流石に21世紀になったら大分マトモになってきたけど、トーチャンの若かった頃のインドネシアの話にゃシャレにならんモンも少なくなかったりするのである(;´Д`)だから安全で豊かなニッポンで暮らすようになった今尚、ワタクシの頭の片隅にはそういうのに対する意識があるのである。だからワタクシ的には”この程度”の事は注意は必要だとしても、大騒ぎするには値しないのである。
*永遠を積み重ねよう
まぁコレはあくまでワタクシの私見だけど、どうすれば死を恐れ難くなるかと問われたら、ワタクシは「永遠の価値があるモンを積み重ねる」と答える次第である。家族作って子供達を一人前に育て上げる、公式記録に残る様々な実績をゲットする、会社や組織を興して後継者に上手く後を継がせる、友達をたくさん作って思い出を作りまくる、ボランティア等で多くの人の役に立つ、偉業を達成して歴史に名を残す等々。そうやって「自分が死んだ後も、自分という存在が後世に継がれる」ってシロモノが多ければ多いほどに「自分は死ぬけど無になるワケじゃない」って確信を強く持てるようになると考えてるのである。だから若い内から仕事も勉強も遊びも全力でやるべしなのである。
だからワタクシはクルマを買う時は、欲しいモンに絶対に妥協はしないのである(笑)ちゅーのもワタクシは生業上、人間というナマモノが如何に脆いかを知ってるからである。だから今回「ポルシェ乗りたいッ!」って思った時も「もう少し年取って余裕が出来たら(^▽^;)」とか考えなかった次第である。数年後何らかの理由でクルマ運転できなくなって、臨終の場で「一度はポルシェでFSW走りたかった~(ToT)」ってなったら死んでも死に切れんのである(爆)逆に乗れる時に乗っとけば「思ったより短い人生だったけど、ポルシェでFSW走れたから悔いはないッ( ー`дー´)キリッ」ってなるのである(核爆)死はクルマのデフ同様、意識し過ぎるのもしないのもダメ。そう思う今日この頃であった。