アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE TROPIC ROT

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「自賛してみるがいい。自分を称讃する愚者どもを間違いなく見つけるだろう」
By ウィリアム・ハズリット

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

制限こそ醍醐味
 格闘技は星の数ほどあって、流行り廃れが色々ある中、何故ボクシングだけは昔からずっと支持され続けているのか。ワタクシが思うに「制限が多いから」なのである。制限が多いからこそ駆け引きが複雑になり、その駆け引きの複雑さこそが奥深さの秘訣なのである。初期UFCがソレだったけど、制限が無かったら皆が一番の有効打しか狙わなくなって、結果退屈なモンになってしまうのである。ワタクシがタイムアタックマシンを好きになれない理由がコレである:
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ココまで何でもアリにしてしまうと「もうレースカーで走った方が速くね?」ってなってしまうのである。結局何もかもをレース専用品に換装してしまうんだから、市販車をベースにする意味が無くなってしまうのである。

 何ちゅーか「小林幸子」と書いて「タイムアタックマシン」と読むである。その心は「パーツが際立ち過ぎて本体が埋もれてる」である(笑)ココまで色々と弄りまくったら、もうベース車両の個性なんか消えてなくなってしまうのである。ワタクシが思うに、チューニングカーってノーマル市販車の延長線だからこそ親近感が沸くのであり、ソコを逸脱したら本末転倒だと思うのである:
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じゃあ「制限を何処に置くのか?」と問われたら、ワタクシは「車検」と答える次第である。市販車とレースカーの分水嶺は何処かって「車検に通るか否か」にあるのであり、車検に通る限りソレは市販車側のクルマなのである。だから車検通るのならば、ソレは「チューニングカー」であり、市販車の延長線にあるシロモノなのである。

誉め言葉は麻薬
 チューニングカーといえば、何故SNSとかでクルマやクルマ弄りを自慢するヤツにチー牛が多いかって、答えは「チー牛だから」である(笑)勉強も仕事もガチれない、スポーツや芸術の才能も無い、トークもユーモアもヘタだからモテない等々。そうやって能動的に褒められた事が無いがために劣等感やら承認欲求やら自己肯定感を拗らせたヤツにとって、褒められる事はこの上ない快感なのである。たとえソレがカネで買ったモンだとしても、タダで得られないヤツにとっては掛け替えのないシロモノなのである。何せソースはワタクシだから、ソコんトコ自信以って言えるのである(爆)

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 まぁ何ちゅーか、握手会のCD爆買いやvTuberへの赤スパチャやホストへの貢ぎと一緒である(笑)傍から見ると「あんなもんにカネ注いでアホかアイツ等は(^Д^)」ってなるけど、カネ使ってる側はそうすることでしかあの麻薬的な自己肯定感を得られないんだから、ヤク中が如く払い続けるのである。そう考えれば、何故アイドルや声優に彼氏が居ただけで大騒ぎするのかが分かって頂けると思うのである(爆)たとえ一緒になれる可能性は天文学的に低かったとしても、もうソコにしか可能性が無いヤツからすれば「生きる希望を断たれた」って事になるからである。

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 ワタクシはGDB時代にソレをタップリ経験したので、その経験は今やワタクシの宝である(笑)ロドスタのミーティングとかオーナー同士の交流に興味が無いのも、実は同様の理由だったりするのである(^_^;)無論、外車や高級車にもドラ息子なチー牛は居るには居るが、ソレでも国産(特に安いヤツ)のソレよっかは数も程度もマシなのである。マジで一度経験したから分かるのであるが、アレは気持ち(・∀・)イイ!!のである(爆)まぁ「他のヤツはもっと凄い事して褒められてるッ!」って焦りや、他人からの「お前ばかり目立ちやがってッ!」って嫉妬もあったり、もう二度とやりたくはないけど「良い経験」だったと思うのである。

自分に正直であれ
 こういうのを脱するにはどうすればいいかって、答えは「自分自身に正直である事」である。他人に褒められようが褒められまいが、マジのガチで自分がやりたい事だけをやるのである。要するに「自己肯定基準の主体を自分に取り戻す」って事である。ちゅーのも他人と比較すると、上には上が常に居るからである。特に外車界隈がソレで、どう逆立ちしても追い付けないようなヤツが上にゴロゴロ居るのである。ソレを見て「アイツの方が周りにチヤホヤされてて羨ましいッ!」なんてやってたら限が無いのである(笑)テメェでテメェを褒められなきゃ、マジで終わりが無いのである。

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 テメェは何ができる人間で、何ができない人間で、何処まで伸ばしていけるのか。そうやってテメェを俯瞰視して、テメェに出来ない事や至らないトコを認めちゃうのである。そして認めた上で「じゃあテメェに何が出来るのか?」を考えて伸ばして、その上でテメェに一番合ったカーライフを見出してく。取り敢えずワタクシがやってるのはこんな感じである。劣等感が強過ぎて自己肯定感が低過ぎると、テメェの至らなさを受け入れる事が出来ないのである。だからテメェを超えたムリをして、ムリをした挙句に潰れる。他人は自分を幸せにできない、マジでそう思う今日この頃であった。.