アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

DIVIDED WE STAND

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「知り合い──相手が貧乏だったとか無名であった場合には”顔見知りぐらいだ”といわれ、金持ちだったり有名だったりする場合には”親密な人間だ”といわれる友人関係を言う」

By アンブローズ・ビアス


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*友達って何ですか?

 ぶっちゃけた話、ワタクシは坂本龍一が嫌いである。ただ「ソイツが嫌いだ」という事は「嫌いなヤツを全否定する」という意味ではない、たとえば【友達が必要なのは自分が確立していないから】という考えにはワタクシも賛成である。ワタクシが思うに、友人ってのは「互いに刺激し合って、一緒に高みへと登る間柄」の事だと思うのである。主観からは死角になって見えない部分でも、客観なら簡単に分かる。そうやって互いの視野を広げていく関係である。そしてもう一つは「いざという時に信頼できる」という事である。つまりこーゆー事である:

コレは1993年に実際にソマリアで起こったモガディシュの戦闘(米軍を中心とする多国籍軍とゲリラとの市街戦)を描いた映画の1シーンなのであるが。どーゆー事なのかというと:

マイク・デュラント准尉が搭乗したUH-60ブラックホーク民兵RPG-7を喰らって撃墜。デュラントは生存するも動けなくなる

へりめがけて民衆&民兵が押し寄せる

( ゚Д゚)マズー

ソコで別のヘリに乗ってたデルタ隊員のゲイリー・ゴードン曹長とランディ・シュガート一等軍曹が「降りたい」と志願

何故ならこのままだと救助は確実に間に合わないから、デュラントは100%殺される

でも2人が降りて時間を稼げば、救助隊が間に合うかも知れない

(゚д゚)ウマー?

ゴードンとシュガートがデュラントの元に駆けつける

多勢に無勢で、ゴードンがやられてしまう

ゴードンが所持してたサブマシンガンをデュラントに手渡し、シュガートは尚も闘い続ける

ソレでもやっぱ多勢に無勢で、シュガートもやられてしまう

デュラントはフルボッコにされるも、殺される事無く捕虜にされる

というワケである。因みにその後デュラントは無事釈放され、ゴードンとシュガートは米軍最高位の勲章である名誉勲章を受賞されたのである。ココまで書けばワタクシの言いたい事は分かると思うが、友達っていうのはゴードンやシュガートみたいなのを言うのである。故にそうでないヤツと役に立たない雑談を延々と交わすなんて、ワタクシに言わせりゃ時間のムダ以外の何でもないのである。でも実際は、その時間のムダに労力を費やすヤツが実に多いのである。今流行(?)のSNS疲れなんかが正にソレである。何で顔どころか名前も知らないようなヤツのために、余計な労力と気遣いをして疲れ果てなきゃならないんだって話である┐( ̄ヘ ̄)┌ メシの写真に「イイね!」しあう関係の中から、シュガートやゴードンが生まれてくるなんて到底思えないからである。


*たかが友達されど友達

 こう言っちゃアレだが、だからワタクシはメシの写真に「イイね!」したり、中身の無いお世辞コメントをするのが好きじゃないのである。だからと言って、その行為を安易に否定するのもアレである。何故なら「数は力」だからである。何だかんだ言って、この世の中は力が全てである。軍事力、経済力、政治力、、技術力、科学力、研究力、説得力、魅力、体力、気力、そして集票能力である。親友の一票も、名前も顔も知らないSNS友達の一票も、価値は等しく同じなのである。だから自分が所属するコミュニティーで影響力を得ようと思ったら、浅く広く交友するのが一番良いのである。集団が大きければ大きいほど勝つ可能性が高くなり、自分がやられる確率も低くなる。つまり友達ってのはただ単に刺激し合ったり守り合ったりする以外にも「自身と友達が権力を得る手段」でもあるのである。誰だって安心したいし安全に暮らしたい。群れるのはある意味自然な行動なのである。


 いじめ問題の何が難しいかって、いじめっ子側は大概大きなグループに所属している&いじめられっ子は小さいグループかグループに所属していない→数、つまり力で負けている点である。いじめられっ子側が反撃したとしても、他の生徒はいじめっ子側に付いてるから、悪印象を持たれるのは寧ろいじめられっ子側になってしまうからである。でもって先生とかが仲介しようにも、当事者以外の生徒の多くがいじめっ子側の人間→いじめっ子を罰するとソイツ側にいる他の生徒の悪印象を先生が受ける事となり、今後のクラス運営に支障をきたしてしまうって話である。いじめ問題とかでよく「担任は何もしなかった」と言われるが、そりゃしないに決まってるのである。だからいじめ問題の解決法は2つしかない。人間関係での負けを受け入れて不登校するなり転校するなりするか、もっと強力な力(警察や弁護士など)で対抗するかである。まぁどちらを選ぶにしろ、クラス内での人間関係は崩壊してしまうが。


*正論vs現実

 つまり上記にある坂本龍一の【友達が必要なのは自分が確立していないから】の話の問題点はココなのである。その話は確かに正論であるが、力を持てないという点である。坂本龍一サヨクだから「正しいという事が全て。支持されなくても妥協は一切しない。たとえソレで死んだとしても、清らかで美しく死ねるなら本望だ」って考えてるんだろうが、ワタクシは現実主義者&命が惜しい俗物なので悪しからず(笑)シュガートやゴードンみたいな友達と、メシの写真を「イイね!」しあう友達。どっちが大事なのか?答えは「どっちも大事」なのである。ソコが(特にニッポンの)サヨクの一番の問題点であり、人間というナマモノは「正しい方に付く」のではなく「強い方に付く」のである。だから正義を貫きたいんだったら、人々が力を求めて正義側に集まってくるようにしなきゃいけないのである。古人曰く「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である」というのは、つまりこーゆー事だとワタクシは思うのである。


 とは言ってもアスペルガーのワタクシにゃ、シュガート&ゴードンも居なけりゃ、SNSで「イイね!」しあう大勢の仲間もいやしない→こんな事を議論するだけムダかも知れないって話である(笑)ワタクシみたいな発達障害の人間は、どうしても”絶対的基準”ってシロモノを追い求めてしまうのである。ちゅーのも、健常者みたいに臨機応変に価値観を変化させて人々からの”力”を得る事が出来ないから、その代わり「正義」だとか「真実」だとかいう更に上位の”力”を持つとされる概念に飛びついてしまうのである。元々障害故に世間から受け入れられない事に対するトラウマやルサンチマンを持ってる当事者も少なくないため、ソレも加わりサヨクに傾倒してしまう者も少なくなかったりするのである( ̄〜 ̄;)まぁワタクシは基本的に他人の事など知ったこっちゃないんで(爆)休日を利用して惰眠を貪りたいとおもう今日この頃であった。