アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

RECORRUPTED

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「民主主義、民主主義っていうけど、意外と社会主義だった」

By 朝青龍明徳 〜 「日本の社会はどうでしたか」と記者に聞かれて


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ニッポン人vs資本主義

 ニッポン人に資本主義と民主主義は合わない。49%はジョークだが、51%はマジでそう思うのである(笑)何故そう思うかって【日高屋シャッチョの美談】が喜ばれる事や、某ワ○ミの「社員は家族」思想が(もしホントならば)美談になるからである。アメリカなんかじゃ一流大学の学生が目指すモンは「独立する、起業する」だけど、ニッポンじゃ「省庁や大企業に入って出世する」である。よーするにニッポン人ってのは、何事にも揺るがない強靭なお上に支配されて、永遠の安定安心安全さえ得られるのであれば、ソレが一番なのである。テメェで資本を集めてようだとか、安心安全安定をテメェの力で得ようとかいう発想が乏しい事が、ニッポン人が資本主義を完全に受け入れられない証左だとワタクシは考えてるのである。


 カネが欲しい、自由が欲しい、安全と安心と安定が欲しい。でも自己責任はイヤ、自分の身を自分で守るのもイヤ、ニッポンを去るのもイヤ。ニッポンにおいて官僚支配と自民党政権が延々と続く理由って、このワガママな願いを叶えたからだと思うのである。ワタクシに言わせれば、官僚支配や自民党政治を終わらせるなんて簡単である。全ニッポン人が何が正しいのかをテメェで学んで考え、テメェのやりたい事を(当然合法的な範囲内で)やりたいようにやれば良いのである。つまり支配者階級に「俺達は簡単には騙せねーぞ」って思わせれば、その時点で支配は終わるのである。でも今のニッポンの状況は、右も左も兎に角群れを作って思考停止している。コレじゃ支配されたってしゃーないのである┐(´∀`)┌


*大相撲に物申す

 話は変わるのだが、ワタクシは何故大相撲に外国人力士の制限があるのかサッパリ分からんのである。だって相撲は神事なんだから、神事だったらニッポン人である必要なんか無いはずである。ローマ法王が何処の国の出身であろうとも、カトリック教会の運営に何ら支障が無いのと一緒である。ニッポン人中心じゃないと興行が成り立たない?だったら海外に新天地を求めれば良いだけの話である。ニッポン国内は少子化&サッカーはじめ他スポーツの台頭で先細る傾向しか見られないが、海外には幾らでも可能性があるからである。故に神事としても興行としても、大相撲をニッポン国内に留めておくってのは理に叶ってないとワタクシは考えるのである。


 だから外国人力士の数を制限なんてしないで、ガンガン入れちゃえば良いってのがワタクシの意見である。よく「ニッポン人が居ないと相撲がつまらない」っていうヤツが居るけど、ワタクシはソレに対し「お前は相撲が好きなのか、ニッポン人が好きなのか、どっちなんだ」って問い返す次第である。ワタクシはソイツが相撲道に忠実でさえあれば何処の国の人間だって気にしないし、ド迫力の取り組みさえ見れれば尚更国籍なんて関係無いのである。キリスト教ユダヤ人だけの、イスラム教がアラブ人だけのモンじゃないのと同様に、神道八百万の神々もニッポン人だけのモンじゃないのである。ワタクシに言わせりゃ「相撲はニッポン人ガー」とかいうヤツは、単なる外国人アレルギー以外の何でもないである。


 こう書くと「海外に対し相撲を開放すると、相撲の本質ガー」っていうヤツが居るが、変わったとしてもソレはソレで良いってのがワタクシの見解である。寧ろ形が変わっても生き延びるモンってのは、本質が良いからこそ生き残れるのである。F1はイギリスで生まれ、イギリスから離れたけど、悪くなったのかって話である。だからワタクシはニッポンだけでなく世界中に相撲協会があっても良いし、其々の地域で興行を行ってても良いと思うのである。でもって世界中から集まってきた横綱達で最強の横綱を決める、言うならば横綱ワールドシリーズがあったら絶対盛り上がると思うのである(笑)

世界中の相撲協会で計6場所分の巡業を行い、総合優勝者を1人決定する

その世界中の総合優勝者が、年末に両国国技館に集う

総当たりなりトーナメントなりで世界最強の力士を決める

定番の年末イベントとして大盛り上がり

ネット放送なんかも上手く絡めれば、更なる収益もアリ

(゚д゚)ウマー

・・・という感じにである(笑)流石にココまで上手く行くとは思わんけど、例えば【MLB公式サイト】みたく、先ずは国内だけでも外国人力士制限解禁&世界中へ向けてネットで仕掛けるのはアリだと思うのである。繰り返し言うが、神道八百万の神々もニッポン人だけのモンじゃないのである。


*ニッポン語バリアー

 でもまぁ、ニッポン人がニッポンのやり方に固執するのも分からんでもないのである。何故ならニッポンの文化ってのは、昔からニッポン語というバリアーにより守られてきたからである。ニッポン語ってニッポン以外じゃ第一公用語として使われてないから、ニッポンで生まれニッポンで育つと、自ずとニッポン語しか出来なくなるのである。しかも島国だから外国人と接する機会も少ないため、外国語の習得機会も少ない。そうなると外国から入ってくる情報が自ずと制限されるし、ニッポン国内の情報も外へは出難くなるワケである。世界的ブームからニッポンだけが外れるのも、つまりそーゆー事なのである。だから相撲見るような年配者にとっては、外国人ってだけでアレルギーが出るのであろう。


 が、今は既にネット時代のグローバル時代だし、ペリーが来て二度の世界大戦と高度成長期を経て、ニッポンって国は世界的に有名になってしまってるのである。つまり国際化によってニッポンが益々資本主義化していくのは避けられない状況であるが故、相撲にしろ経済にしろ覚悟を決めておけってのがワタクシの意見である。今じゃネット翻訳使えば(不完全とはいえ)外国の情報なんて簡単に手に入るんだから、右も左も国民を騙す事なんて出来なくなるのである。この先ニッポンがどーなるのかはワタクシにも分からんが、少なくとも高度成長期のニッポンが戻ってくることは無いとワタクシは断言しても良いのである。さて積みゲーの処理が忙しいので(笑)お暇させてもらう事にする今日この頃であった。