ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「人類の不幸の大半は、ものごとの価値を計り間違えることによってもたらされる」
By ベンジャミン・フランクリン
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*儲けるには怠惰をカネに換えよ
前回ワタクシは「大儲けしたいのであればバカを騙せ」と語ったが、実はもう一つあるのである。ソレはサブタイにもある様に「怠惰(及びその他の負の感情)をカネで買えるようにしろ」って事である。ソレの分り易い例が、アイドルの握手会である。本来ならば、一人の男/女が美少女/美少年の手を握りたいと思うのであれば、ソレなりの努力が必要なのである。オシャレや体格に気を使ったり、学力や運動神経や人気といったステータスを身に着けたり、マナーや話術に磨きをかけたり等々。そうした努力を積み重ねて、漸く目当ての美少女/美少年に振り向いてもらえるのがフツーなのである。でもって握手会は、その手間をカネを払って握手券を購入する事でショートカットするのである。
SKE48 握手会に 松井玲奈のブースにファン殺到
DA PUMP 握手会🤝
人間ってのは実に弱いナマモノであり、テメェの怠惰を正当化できるのであれば、多くはその方法に安易に飛びつくモンなのである。ソシャゲのガチャも従来勝負事に勝つ為に必要な努力とセンスを、ダイエット云々も本来必要な忍耐と時間を、意識高い系云々も本来しなきゃならない勉強と経験の蓄積を、其々カネで買い取ってショートカットしてるのである。でもってこういうのを利用してまでソレを得ようって魂胆のヤツは抑々元来の方法で得る事が出来ないヤツであり、ソレで得た快感をもう一度得るためには更なるカネを投入しなければならず、そのままズルズルと課金しちゃうって羽目になるのである。
*タダほど高いモンは無い
話は変わって、アフリカの諺に「施しを与える手は、常に与えられる者の上にある」ってモンがあるのである。コレはどういう事かと言えば、一方的な施しを受けてしまったら、もうその時点で与えた相手の立場の方が上になってしまうって事なのである。そうなると与えた相手に何も意見できなくなってしまうし、最悪の場合は生殺与奪の権利まで与えた相手が握ってしまう事もあるのである。今アフリカ諸国に対して中国がやってる事が、正にソレである。だから施しは一切受けないか、受けても最小限に済ますべしという事なのである。ニッポンにも「タダほど高いモンは無い」って諺があるが、ソレもそういう意味だとワタクシは思うのである。
そういう事があるからこそ、ワタクシはつい最近配布が始まった【100諭吉のお年玉を100名にキャンペーン】に参加してみようとは一切思わなかったのである。こっちが何かを提供して見返りにカネを受け取るのであれば、ソレは等価交換であり平等な立場である事の証左である。が、どんなにデメリットが無いと分かっていても、この金を受け取った時点で、受け取ったヤツの立場は前澤氏よりも完全に下になってしまうのである:
「やったー!」 ZOZO“100万円”当選者きょう発表(19/01/08)
そう、この企画で100諭吉を受け取ったヤツってのは、その100諭吉で前澤氏にテメェの価値を売ってしまったのと同様なのである。ワタクシはたった100諭吉ぽっちで前澤氏の下になるまでワタクシの価値を売る気は無いので、興味を示さなかった次第である。1000諭吉ならちょっとは考えたかも知れんが、ソレはまた別の話である(笑)
あとこの件に関して、ワタクシと面識のあるとあるロンマニアの方が「100諭吉?その程度なら貯金してあるし、自分でも稼げるから、別に欲しくない」って答えていたのであるが、ワタクシもソレに同感である。ワタクシは金持ちでも何でもないが、100諭吉ぐらいなら貯金から余裕を以って払えるし、100諭吉稼ぐのだってソコまで苦痛ではないのである。だから「RT&フォローしてくれたら抽選で100諭吉やる」って言われても「あっそ( ´_ゝ`)フーン」ぐらいにしか思わなかったのである。ソレが故に、今回ココまで盛り上がってしまった事に、ワタクシは逆に驚きを感じているのである( ̄~ ̄)
*分断される社会
あと常々思ってる事は、この手の商売を上手く乗せられるヤツってのは、客の選び方がホント上手いのである。ワタクシの誇る(?)分別と思慮と見識のあるロンマニアの方々ならば、この手のキャンペーンを「努力で得た方が断然面白い」「胡散臭いヤツに自分の価値を売り渡す気は無い」ってハナッから相手にしないであろうけど、こういうのを売る側もワタクシ等なんて見ていないのである。つまり「分別と思慮と見識のある人は他所行ってどうぞ」って姿勢に徹しちゃってて、その代わりそうでない客層に徹底的に迎合して、質で量を補うって感じなのである。
まぁコレも格差社会が進んで二極化が顕著になってきたのに加えて、ネットの発達でニッチ分野でも数を集め易くなったからであろう。もうスポーツカーの世界がそうなってるけど、国産車ですら「350諭吉以下のクルマ」と「700諭吉以上のクルマ」の二極化が進んで、その中間が無いのである。でもって前者は速さよりもコスパを徹底追及する方向に進んでいってて、後者はコスパよりも速さを追求する方向に進んでいるのである。スイスポ乗りはR35をスポーツカー仲間だと思ってないし、その逆も然りである。格差や分断は昔から進んでたけど、今年は更に進んでいく。そんな希ガス今日この頃であった。