アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

DESTROY THE MACHINES

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「金銭・土地・株式・債権も富だが、水も空気も太陽も山も海も樹木も草花もすべて富であり、それの恩恵を十分に受けられる人が富める人々なのです」

By ジョセフ・マーフィー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*人を撃つ勇気

 最近、またアメリカの方で銃乱射事件が起こったそうである。ワタクシは前にも言ったと思うが、銃に関しては規制派である。銃で護身する事の何が難しいって「咄嗟の状況で」「相手が撃つ前に素早く反応して」「他には当てずに悪人だけを」「躊躇いなく撃つ」事がこの上なく難しいからである。特に一番最後の「躊躇いなく撃つ」が鬼門であり、コレはフツーの訓練じゃ何ともならんのである。普段は的を撃つ訓練しかしてないヤツが、果たして本番で人を撃てるのかって話である。訓練を受けた軍警察関係者ですら難しいのに、何の訓練も受けてない一般人にはムリな話である。この”躊躇いなく”があるからこそ、ワタクシは【教師が訓練を受けた上で銃を所持してればいい】って言い分を素直に賛成できんのである。


 モニター前のロンマニアの皆様は、相手が100%悪人で&殺しても罪に問われないとしても、躊躇いなくソイツを殺せるであろうか。もし「はい」と答えた方が居たら、ワタクシのご近所さんでない事を願うばかりである(笑)たとえ仕方が無いにしても、容易じゃない事は間違いないであろう:


何故軍隊の訓練でこういう事をするかって、人を躊躇いなく撃てるようにする為である。撃つ相手はどうしようもない下等生物であり、撃つ事は国や国民の為の正しい事であり、上官の命令は絶対である。こういう風に身体を以って躊躇わない事を徹底的に叩きこんでも、やっぱ戦争に出て人を撃ってPTSDになっちゃう軍人が後を絶たないのである。ペーパーターゲットだけしか撃った事の無いの教師に躊躇わず撃てるのか&撃った後に罪の意識に苛まれないか、正直疑問である。


*税金が育てる人

 さて話は変わって、敢えてソースは何処だか言わないが、先日のワタクシのブログに対し「行動していない自分を正当化してるんじゃねーよ( ゚Д゚)ヴォケ!!」ってってレスが届いたのである(笑)ただそうは言われても、ワタクシは「シッカリ働いてガッツリ消費して、納税という行為を以って生き辛さを抱えてる人を間接的に支える」って事の何が行動的でないのかサッパリ理解できんのである┐(´-`)┌ワタクシは社会人なので、世の中を動かす上で税金がどんなに重要か分かってるのである。NGONPO助成金も、ナマポの財源も、健康保険の財源も、全部税金である。あとワタクシが今こうして生きていられるのも、税金のおかげなのである。だからワタクシは税金を払ってくれる人達を「行動していない」なんて口が裂けても言えないのである。


 ワタクシは国立大医学部出身である。知ってっる人は知ってると思うが、医学生を6年間教育するためには6000諭吉前後のカネが必要になるのである。私立だとソレを学費から賄う(故に私大医学部の学費はバカ高い)のであるが、国立の場合だと学費はどの学部も年54諭吉である。そう、足りない分は何処から補うかって、税金である。その税金があるからこそ医学生が医者になれて、その医者が色んな人を助けるのである。でもってワタクシもその一人であり、税金があったからこそ医者になれたのであり、そのお陰で人生のヤバい瞬間も何とか乗り越えてこられたし、自分で言うのも何だが他人をソレなりに助けてきたし、医者の肩書が講演や執筆でも有効に活用できたのである(笑)



 ワタクシも親からは「医学部は国公立だけ。私立に行かせるカネはねぇ」って言われてて、否が応にも税金のお世話になる以外の選択肢は無かったのである。そんなワタクシ如きの為に多額の税金が投入されたのだから、そりゃ感謝以外の気持ちは出てこないのである。もしも国立大医学部が存在しなかったら今頃ワタクシは路頭に迷っていて、このブログのタイトルも「アスペルガー無職ロンの日常」とかになってたかも知れないのである(笑)だから納税を「行動してるに値しない」とバカにされる事は、ワタクシを育ててくれた人をバカにされた気分がして、正直不愉快なのであるo(`ω´*)oそういうお前は税金のお世話になった事は無いのか、カネの価値がホントに分かってるのかとワタクシは問いたいのである。


*社会を好きな人・嫌いな人

 無論、税金の取り方が正しいか、使われ方が正しいかと問われたら、ワタクシの答えは「問題点は少なくない」である。世の中には理不尽は少なくないし、改善しなきゃならん事も山ほどあるのである。が、ワタクシは何だかんだ言って、この社会が好きなのである。この社会システムのお陰で今のワタクシが居るし、そしてその社会に住む人々から色々良くしてもらったし、色んな事を学んできたのである。確かに改善はこの上なく必要だと思うが、変えてしまおうとは全然思わないのである。だから巷でよくある「〇×の為に社会を変えよう」って考え方には殆ど賛同できんのである。変える事によるメリットとデメリットを正確に示した上で「結果的にこうすれば更に良くなります。だから変えましょう」なら話を聞いてやらんでもないが、そうでなければお断りである。


 ワタクシに言わせれば、無暗矢鱈に社会を変えたがるヤツの相場は決まってるのである。ソレは「社会を嫌ってるヤツ」である。変化ってのはどんな形であれ必ずデメリットがあるモンであり、場合によってはそのデメリットから連鎖反応的に崩れていく場合だってあるのである。ワタクシは今の社会が好きだから、ソレを思うと賛成できないのである。そう、社会を嫌ってるヤツってのは多かれ少なかれそのデメリットと崩壊を望んでるトコがあり、今までワタクシが出会ってきた社会の変化を望む人間の多くもソレを望んでる節があったのである。もし社会や世の中への愛や恩を抜きにして変化を望むのであれば、ワタクシは全面的に反対し、必要があらば抵抗させてもらう。この事だけはハッキリしておきたい今日この頃であった。