ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「人々は宗教を軽蔑している。彼らは宗教を嫌悪し、宗教が真実であるのをおそれている。これを矯正するには、まず宗教が理性に反するものでないことを、示してやらねばならない」
By ブレーズ・パスカル
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*ナマポがあるからだいじょーぶ
ワタクシは常々「発達障害当事者は可能な限り就労すべし」と言ってるのであるが、何故か行政や発達界隈はソコに関してはあまり熱心でないように思えるのである。二次障害を起こさないように長所と個性を伸ばして云々、社会の理解があれば云々、社会に出ると苛められる云々。ワタクシは「理想を追いかける前に現実を満たすのが先」って考えてるのだが、ソイツ等は先ず理想ありきなのである。何故そうなるんだろうと考えたのだが、恐らくはサブタイにある様に「いざという時は障害年金やナマポがあるから」って考えてるんじゃないかと思うのである。現実を良くするのは色々と大変&ヤバくなったら年金やナマポ貰えば取り敢えず死なないから、じゃあ理想でいいやって感じにである。
病院では教えてくれない!発達障害で使える3つの制度~アスペルガー・ADHD
行政としては憲法で定められてる「ニッポン国民は健康で文化的な最低限度の生活を送る権利が云々」さえクリアできればおkだから「じゃあ年金やナマポで良いじゃん」になるし、発達界隈からしてみれば「自立を目標として就労を目指すとソコから二次障害だとか当事者同士の嫉妬だとか色んな問題が起こって面倒臭い」って事になるから、自ずと「トラブらないように当事者や家族を持ち上げておこう。ダメなら年金かナマポで」ってなっちゃうワケである。最後にソレがあるから緊張感に乏しくなるし、支援する側もリスク上等じゃなくなってしまうのである。
*禁書に勝つ
当然だけど、ワタクシは年金やナマポに頼るのは基本反対である。最後の手段としては仕方ないが、早い段階でアテにするのはNGだと思うのである。ちゅーのも先日も述べたように、何時か必ず満足できなくなるからである。幸福に対する人間の閾値ってのは上昇し続けるモンであり、他力本願なソレならば尚更なのである。何時か必ず満足できなくなって不幸感で満たされるようになり、ギャンブルに走ったり他人や社会を妬んで攻撃したりするからである。さて話は変わって、と:
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*社会からは逃げられない
何故ワタクシがココまで当事者の社会進出に拘るのかといえば、サブタイに示す通りである。現代人として、社会インフラの恩恵に預かる事で質の高い生活をしている以上、社会が課す責務からは逃げられないからである。社会を皆で支えてるから電気やガスや水道に困らない生活ができるのであり、社会があるから警察や病院や消防が機能するのである。その恩恵に預かってる以上、積極的に社会参加して貢献するのが筋ってモンであり、より多く貢献する事で発達障害の地位を高める事にも重要な事なのである。ソレがイヤならば、無人島なり山奥なりで全てを自給自足で暮らしてみれば良いのである。断言して良いが、現代人には多分ムリである。
【 テレビ番組 】 そも そも 電気も食料も自給自足で生活するのはどんな感じ
でもって更に言えば、今のニッポンは資本主義社会であり、資本主義社会である以上は格差が存在し、富は常に上の方に集中してしまうモンなのである。そう、大変世知辛い話であるが、ニッポンという国は最低限度の生活を送る権利は保証しても、全ての国民の万遍無い満足までも保証してないしできないのである。別にニッポンに限らず、自由主義を標榜する国は大概そうである。ソレがイヤなら、革命でも起こして共産主義社会を樹立するっきゃないのである。が、残念な事に古今東西、全ての人民が満足できた社会主義or共産主義国家は存在せず、より酷い上に理不尽な格差社会ができただけである。民主主義は最低だけど、他よりマシ。チャーチルの言葉が重くのしかかる今日この頃であった。