ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「プライドのあるチームは、プライドのないチームよりも良いプレーをする」
By ジネディーヌ・ジダン
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*洋ゲー時代の到来
さて先日ネタにしたニンテンドースイッチ(以後NS)とゼルダの新作であるが、早速どんだけ売れてるのかが気になってみたんで調べてみたのである。そうすると以外にも【ゼルダは2位で、1位はホライゾン】という結果になったのである。この結果についてどう思うかで、ワタクシはその人がどんな人だか大まか想像が付くのである:
- ゼルダは2位かぁ(´△`)あとニーア結構売れてるのね → 和ゲーマー
- ホライゾンやるじゃん(゚∀゚)やっぱグラフィックが良いと売れるよね → 洋ゲーマー
- ホライゾンやGTA5は兎も角、フォーオナーがフツーに売れててワロタ → ロンマニア
といったトコであろう(笑)キャラや世界観もニッポン人向けだから、ホライゾンが売れるのは分かる。知名度と今までの実績があるから、GTA5が売れるのは分かる。が、流石にフォーオナーがソレなりに売れてるのはワタクシもビックリした次第である(^_^;)だってフォーオナーって、この上なく洋ゲーな新規タイトルだからである:
テイルズとかペルソナとかダンロンとかが好きそうなな和ゲーに親しんだゲーマーたちが、コレ観て”欲しいッ!プレイしてみたいッ!”って思うだろうかって話である(笑)ソレがソレなりに売れてるんだから、そりゃ驚くに決まってるのである。
まぁGTA5がニッポンでもミリオン突破した&ウィッチャー3がニッポンでも相当売れた事から何となく分かってたけど、洋ゲーは確実にニッポンのゲーム界に浸透してきているのである。ウィッチャー3とかラスト・オブ・アスとかが良い例だけど、やっぱシッカリしたローカライズさえ施せば良いモンは売れるんだって事にメーカーが気付いた&良いローカライズを通じて洋ゲーの魅力に気付いた人が増えてきたってのが大きいと思うのである。コレは実に良い事だとワタクシは思うのである。洋ゲーマーとして洋ゲーが評価されるのもそうだけど、ニッポン人が「国内外問わず、良いモンは良い」って感じる事がである。確かにニッポンのモノは優れてるけど、だからと言って他国のモンを見ようとしないのは良くない事だからである。
*洋ゲーとの出会い
ワタクシは今でこそ洋ゲーを中心に遊んでる洋ゲーマーであるが、昔はバリバリの和ゲーマーだったし、和ゲーは今でも嗜んでるのである。ワタクシがゲームを知るようになったキッカケは幼坊の頃に遊んだ任天堂のゲームウォッチが最初で、本格的にゲームにハマるキッカケになったのは9歳の誕生日の時にファミコンを買ってもらった時以来である。ソコからファミコンブームに巻き込まれる形で、ワタクシのゲーマー人生が本格的に始まったワケである。初めての洋ゲーは多分アタリのゲームだったと思うが、タイトルは全然思い出せない次第である(^_^;)本格的に洋ゲーを意識したのは、多分ファミコン時代にやったウィザードリィとウルティマだと思うのである:
その時代ドラクエやFFにハマってたワタクシ的には「何コレ(;´Д`)やたら不親切だし、操作性は悪いし、ゲームバランスも最悪だし(-_-;)」だったのだが、何故か投げ出さずにプレイし続けてしまったのである(笑)当時の”ファミコン必勝本”って雑誌がウィズ推してた影響もあるんだろうけど、やっぱ和ゲーには無いその独特の世界観に引き込まれてしまってたのであろう。
後に「ドラクエやFFはウィズやウルティマに影響受けて作られたモン」と知ったのだが、その時は全然知らなかったのである。多分この頃の経験があったからこそ、ワタクシは洋ゲーに偏見を持たなくなってしまったのであろう。ハードがファミコンからスーパーファミコンに変わっても、やっぱ洋ゲーはちょくちょくやっていて、その和ゲーには無い世界観に魅力を感じていたのである:
ファミコン時代からは進化したとはいえ、やっぱ当時は世界を席巻していた和ゲーと比べると完成度は今一つだし、相変わらずバランスや親切さや操作性に欠けていたのである(^_^;)が、ソレでもやっぱ洋ゲーは面白いと感じてたのである。何ちゅーか、外車乗りが故障や不具合を楽しむのと似たような感じである(笑)
でもって21世紀になって、インターネットが広く普及し始めてから、和ゲーと洋ゲーのパワーバランスは大きく変わっていったのである。和ゲーが未だに据え置きゲーム機とRPGに固執してる間、洋ゲー勢はオンラインゲームに力を入れるようになって、PCをベースにして開発してるが故に技術がグングン上がっていったのである、その事が良く分かるのがコレである:
この辺りででオンラインゲームの人気が盤石になって以来、洋ゲーと和ゲーの技術力が逆転したのである。特にPS3になって以来「資金的技術的にも余裕でそのスペックについていった洋ゲー勢と、資金も技術もインフラでも負けてきた和ゲー勢」がクッキリ分かれるようになり、そしてコレ等の作品をキッカケに、ワタクシは洋ゲーマーになったのである:
もうこの頃になると「洋ゲー=作りが雑で大味で、不親切でバランスが悪い」ってイメージは完全に無くなっていて、寧ろ和ゲーのが雑で大味だと思ってしまったほどである。開発者がやりたい事にゲームハードの方が追いついてきて、洋ゲーの魅力がフルに表現されてるって感じなのである。ココから先は、ワタクシが以前から何度も言ってきた通りである。洋ゲーは日進月歩でグラだけじゃなくゲームとしての出来も完成していって、ソレに反比例して和ゲーの技術力は停滞していったのである。
*洋ゲー好きの矜持
そう、ワタクシは別にアンチテーゼやルサンチマンとして洋ゲーを嗜んでるワケではないのである。価格帯が明確に違う外車ならソレはあるかも知れんが、価格帯が同じな洋ゲーにソレは当てはまらないのである。ワタクシが洋ゲー好きなのは、純粋に面白いからである。何ちゅーか、文化上のソレで自由と個性をホントに理解してるからこそ作れるオープンワールドの世界、ワタクシはソコに魅かれてるのである。和製オープンワールドが今一つチグハグさが残ってしまうのは、やっぱ文化の違いだと思うのである。自由には責任が、個性には自立が其々セットになってるのだが、ニッポン人開発者にはソコんトコがピンと来ないからじゃないかと思うのである。だから自由過ぎるトコとか制限が過ぎるトコがチラホラ見られて、ソレがチグハグの原因になってるのである。
つまりワタクシが洋ゲーの何に魅かれたかって、その自由と個性を最大限尊重するスピリットに対してである。洋ゲーを良く知らないヤツに限って「洋ゲーって一般人を無差別に殺しまくれるんでしょ?」というのだが、実際は全然違うのである。確かに人を殺せたりモノを盗めたりてしまうのだけど、その行為に対してのペナルティーは確実にあるのである。そのペナルティーを承知の上で、やるかやらないかを選ぶのである。そういう自己責任を「全てをプレイヤーに委ねてくれるから気持ちいい」と感じるか、或いは「何やっても良いと言われると選べなくて戸惑う」って感じるか、ソコが洋ゲーを好きになるかならないかの境界線である。さて今日はもう遅いので、お暇するに限る今日この頃であった。