ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「日本人は、英語ができないから国際交渉に弱いのではない。日本語ができないからだ」
By 猪瀬直樹
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*必須ではなく、利便性
英語はできないよりも、できた方が圧倒的に良い。もし「子供の習い事は何が良いですか?」と問われたら、ワタクシは「英会話」と答える次第である。何故なら世界のインターネットの言語の8割が英語で書かれていて、あらゆる分野における最重要人物は英語をメインに話していて、あらゆる分野の最重要情報の殆どは英語で記されているのだから、英語は必須じゃないとしても学ぶ価値は大いにあるのである。ソレが【田中将大に「英語を覚えろ」と解説者が差別発言】に対するワタクシの見解である:
やきうはアメリカが本場であり、という事は当然だけどやきうの最重要関係者は英語をメイン言語にしていて、やきうに関する最重要情報や最重要資料も英語で記されているのである。つまりどういう事かというと、英語は単なるコミュニケーションのツールではなく、やきう人として成長するために大いに必要なモンなのである。だからワタクシは敢えて解説者に賛同する次第である。
野茂は「自分はやきうするために渡米したのであり、英語を学ぶためじゃない」とは言ってたけど何だかんだ英語は話せたし、黒田も上原も現地の人らと簡単な英語でやり取りしてるし、松井秀はフツーにヤンキース傘下マイナー球団のコーチ業やってるし、ダルビッシュも最近の映像じゃ通訳使わずにチームメイトや監督コーチらと話してるのである。イチローに至ってはコレである:
彼らがMLBで長く現役をやってこられたのは実力もそうだけど、英語が出来た事と無関係ではないとワタクシは思うのである。英語ができるからこそダイレクトに気持ちのやり取りができるし、得られる情報も桁違いに多くなるし、困った時に相談する相手もグッと増える。だから必須じゃないとしても、英語はできた方が断然良いのである。
*”音”を”楽”しむと書いて音楽
ただ音楽に関しては、少しばかり見解が違うのである。洋楽属性のあるロンマニアの方ならご存知だろうと思われるが、洋楽の歌詞って結構テキトーなのである(^_^;)ニッポン人は”音”じゃなくて”歌”が好きだから、邦楽じゃ「歌詞に感動した云々」とか言うのであるが、洋楽は”歌”以上に”音”を楽しむのである。言い換えれば歌詞も楽器の一つだから、歌詞は分かんなくったって良いのである(笑)だから洋楽を楽しむコツは「先ずは単純に演奏を楽しんで、歌は後回し」ってトコであろう。洋楽はカラオケで歌って楽しむモンじゃなく、ギターを鳴らして楽しむモンなのである:
- アーティスト:ランシド
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2017/06/09
- メディア: CD
ワタクシは「一番好きなパンクバンドは?」と問われたら、0.01秒で「ランシド」答えるぐらい、このバンドが大好きなのである。前のアルバムから3年振りの今作、何時ものランシドならアルバム出すのが5〜6年に1枚のスパン→次のアルバムまであろ3年ぐらい待つと思ってただけに、嬉しい以上に驚いたのである(笑)音楽の方は「良くも悪くも平常運転のランシドだった、安心した(^-^)」といったトコであろうか。さて、今からまた5〜6年待つとなると、気が遠くなる次第である(爆)
- アーティスト:キッド・ロック
- 出版社/メーカー: Warner Records
- 発売日: 2015/01/06
- メディア: MP3 ダウンロード
思いっきり久しぶりにキッド・ロックの名前を聞いたと思ったら、音楽性が全く変わってしまっててダブルでビックリだったのである( ̄Д ̄;)ワタクシが大坊の頃はバリバリのラップメタルをやってたのだが、今じゃラップやメタルの”ラ”や”メ”の字すら見当たらないバリバリのカントリーロックになっちゃってたんだから、驚くなっていう方がムリな話である(^_^;)ただワタクシは今の音楽の方が好きなので、アルバムをDLした次第である。
洋楽ばかりだと色々と偏ってしまうので、たまにはこういうのを聴くのも良いのである(笑)洋楽でも邦楽でも、メタルでもポップスでもアニソンでも、分け隔てなく聴く。コレが音楽に関するワタクシのジャスティスである。音楽に限った話じゃないけど、ホントに良いモンがあるのも関わらず「信仰の対象外だから」って理由でスルーするのは、ワタクシ的にすんごい勿体無いと思うのである。全ての音楽を聴くために人生は余りにも短過ぎるので、ジャンルに捉われてたら損するだけなのである。
*ブロークンでもおk
あと音楽に関しても何だかんだ最重要音楽関係者の大多数は英語を使ってて、音楽に関する最重要情報や最重要資料も大部分は英語なんだから、やっぱ英語は出来た方が断然良いのである。できるといってもTOEIC満点レベルである必要は何処にもなく、読み書きや必要最低限のコミュニケーションさえできればいいのである。やきうの話に戻すと、英語なんてこのレベルで十分なのである:
川崎の英語は発音も文法もメチャクチャなのであるが、誰もその事を責めたり嘲笑したりしない。何故かと言えば、たとえ英語がメチャクチャでも、川崎の「私は貴方とコミュニケーションがしたいッ!」って気持ちは十二分に伝わってくるからである。だから周りの人たちも何とか聞き取ってあげようとしてるし、話しかける時も優しい口調で話しかけているのである。
そう、英語を使うって事は単に教法を得る手段として以外にも、周囲の英語を使う(使える)人達に対し「私は貴方と仲良くなりたい」っていう敬意の表明でもあるからである。余程の捻くれモンか悪意ある人間でない限り、敬意を示せば敬意が返ってくるのである。たとえ合法であって権利があったとしても、敬意を示さない相手に優しくしろなんてのはムリな注文なのである。馬をムリヤリ水飲み場に連れていく事はできても、馬にムリヤリ水を飲ます事まではできない。アメリカの諺であるが、ホントその通りだと思うのである。法律や権利をいくら振りかざしたトコで、好意や敬意までは得られない。その事を肝に銘じて、明日に備えて早めに寝ようと思う今日この頃であった。