アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

BLESSED BLACK WINGS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「強烈な違和感が偉大なる人物を作るもとになるのである」

By 渡部昇一


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ノーモア違和感

 差別は法律や制度を改革すれば何とか最小限に留められる。偏見も啓蒙を粘り強く続けていけば、コレも何とか最小限に留められる。が、違和感は何をどうやっても消えないし、感じない事を強要する事も出来ない。コレがワタクシの発達障害だとかオタクだとかのマイノリティー問題に対する見解である。そう、根本から趣旨の違う人間と付き合っていくって事は、ソレ即ち違和感を我慢する事なのである。でもって我慢ってのは人によって程度の差こそあれど、必ず限界がある。だから多数派も少数派も互いの違和感に繋がるような言動を控える事が重要であり、ソレこそが相手に対する敬意の示し方なのである。だからワタクシはアスペ当事者な上にオタクだけど(笑)ソレを無暗に前に出す事はしない。相手に敬意を払ってるからである。


 こう書けば、この【発達障害や精神障害を抱える者は結婚や就職など普通の幸せを求めてはいけないのか?】に対するワタクシの見解がお分かり頂けると思うのである。コレの何が問題かって、筆者が終始自分の事しか語ってない点にあるのである。自身のADHDの特性を「仕方ない事、どうしようもない事」として改善を試みず、ソレを「自分は障害のせいで色々と不幸で可哀想なんだから、世間は理解すべき」と一方的に押し付ける。言っちゃ大変アレなのだが、この筆者の文章からは他者や社会に対する配慮や敬意というモンが見受けられないのである。コレまた言っちゃアレなのだが、自分に対して敬意を示さないヤツを、何故進んで理解してやんなきゃならないんだって話である。


*デート・ア・ドライビングポジション

 そう、未だに多い「発達障害に理解ヲー」の問題点は何かって、非当事者側に理解する義務が無く、理解を強制する事も出来ず、かつ理解するメリットが殆ど無いという事である。毎月一定額をユニセフに寄付する人間が殆ど居ないのと同様の理由で、慈悲だけじゃ人間は積極的に動かんのである。現にワタクシだって可哀想な人々の為に寄付するよっかは、こういうモンにカネ使った方が有意義だと感じてるのである(笑)

REV SPEED 2017年5月号 (レブスピード)

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  • 発売日: 2017/03/25
  • メディア: 雑誌

ドライビングポジション(以後ドラポジ)がダメなクルマは何やってもダメ。コレは先日、ワタクシがCX-5乗った時に言った事である。ドラポジがダメだと、フツーに運転してるだけでも変に疲れるのである。最初の内は我慢できるけど、上記にも書いたように我慢ってのは限界があるから、ドラポジがダメなクルマはあっという間に乗りたくなくなってしまうのである。だからワタクシはクルマを買う時には必ず試乗するし、試乗してドラポジに納得できない限りは決して買わないのである。


この辺はもう言う事が殆ど無いので、省略って事で良いであろうか(笑)最近のラノベはなろう系とかいってオタク(てゆーかナード)に媚びる方向性にあるらしいのだが、ワタクシはそういうのは好きじゃないのである。何故ならどんなに現実逃避したって、最後は必ず現実に戻る羽目になり、その時に現実が一層辛くなるからである。喉が渇いた時に海水を飲むのと同じような事が、このなろう系とかやらにワタクシは感じるのである。


*現実>>>理想

 理想ってシロモノは目の前に山ほどある現実問題を1つ1つ片付けていってる最中、気が付いたら何時の間にか達成されてるモン。ロンマニアの方々はどう考えてるかは知らないが、ワタクシはそう思う次第である。だからワタクシは「アスペやオタクであることを無暗に出すべきではない」と言ってるのである。確かにソレに対し拒絶を示すのは差別であり偏見であるし、違和感だって感じないのがベストである。が、そう言われて今日明日にも「ハイ分かりました、差別も偏見も違和感も無くします」ってなるかと言われたら、当然そんな筈はない。だったら此方から違和感に理解を示し、無暗矢鱈にカムアウトしない方が有意義なのである。新しい考えやモノが文化として定着するには、多かれ少なかれ時間が必要なのである。


 そうやって変わったモンに対する違和感に考慮し敬意を示すからこそ、相手も此方を徐々にだけど理解しようと思うようになるのである。正論は確かに重要だが、正論だけじゃ世の中は動かないし、更に言えば正論が無くったって世の中は回るのである。理不尽かも知れないが、コレが現実ってヤツである。だから正論が無くても回る世の中に対して「正論を受け入れた方が一層スムーズに動くんだよ」って時間をかけて説明していく。もし本気で少数派に対する理解を求めてるのならば、そういった不断の努力をし続けていく必要があるのである。今すぐ結果が欲しいとか言うヤツは、何をどうやったってソイツがホントに望む結果は得られない。その事を益々以って思う今日この頃であった。