アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

PROFANE NEXUS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「今の日本人はまさに思考停止状態。考えることをやめてしまっている。だから世間や他人のことばかりが気になる。そんな不自由の中に幸福はありません」

By 安藤忠雄


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*免許なんて要らない?

 若者のクルマ離れ(正確に言うと”カネの若者離れ”だが)が騒がれるようになって大分経つが、今度は【若者の免許離れ】なんだそうである(^_^;)まぁ確かにネット通販が定着してしまった今の時代、大きな買い物だってネットで済ませる事が出来るであろうから、著者の言わんとしてる事も分からんでもないのである。が、ソレでもやっぱワタクシは免許とクルマを欲する次第である。何故ならクルマには、自由があるからである。経済的な理由でクルマを手放す事はあるかも知れないが、自由を手放す事だけは出来ないのである。そう、クルマの維持費だとか何だとかいうのは、ワタクシは自由に対する対価だと思っているのであり、カネというのは自由を買うために存在するモンだとワタクシは考えているのである。



 クルマならば路線や時刻表に縛られる必要もナシ、座れるか座れないかを心配する必要もナシ、周りの目を気にして自分を抑える必要もナシ、他人の迷惑行為に心を煩わされる心配もナシ、そして痴漢冤罪で人生を台無しにされる心配もナシである(笑)自分の行きたい時に好きなルートで行って、疲れたらコンビニなりサービスエリアなりで好きなだけ休んで、寒がりでも暑がりでも自分に合せてエアコンの温度を決めて、誰にも咎められる事無く好きな音楽を大音量で流して、そして誰の目を気にする事無くハナクソ穿ってケツ掻いて屁をこく(爆)その自由の為にワタクシはカネを出すのである。自由がどんだけ重要なのかは、独立や自由の為に戦争も厭わないヤツが古今東西どんだけ居たかを調べれば、最早説明不要だと思うのである。


*デート・ア・ブレーキ

 だからワタクシに言わせれば「カネが勿体無いから免許なんて要らない」とかいうヤツの相場は決まっているのである。ソレはズバリ、自由の価値が分からんヤツである。断言しても良い、そういうヤツは免許取らないが故に貯めれたカネを、きっと有効活用できないであろう、と。まぁ「自由とは何か」を語り出すと話がつまんなくなるんで、話題を変えようジャマイカ(笑)

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アクセルはバカでも踏めるというか、無暗にアクセル踏むヤツは間違いなくバカ。賢いヤツだけがブレーキを上手く踏めるのであり、ブレーキを上手く踏めるヤツが速さを制する。昔サーキット走行を始めたばかりの時に、とある上手い人から授けられたアドバイスである。その言葉の通り、ブレーキングって実に難しいのである(^_^;)スポーツ走行って基本的に「減速→操舵→加速」の繰り返し→ブレーキングは全ての始まりだから、最初がコケると後の全てに響くのである。今後もブレーキングとの悪戦苦闘は続きそうである。


デート・ア・ライブ17 狂三ラグナロク (ファンタジア文庫)

デート・ア・ライブ17 狂三ラグナロク (ファンタジア文庫)

  • 作者:橘 公司
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/08/19
  • メディア: 文庫

幸いな事にこっちはバカでも余裕で楽しめるので、ブレーキングよりも遥かに楽である(笑)堅苦しい仕事して毎日マジメな事ばっか考えてるから、コレみたいに脳ミソを空っぽにして楽しめるモンが実に心地良いのである(爆)思いっ切り腹が減った時にがっつく牛丼特盛つゆだく生卵入りが死ぬ程美味いのと同じだと思って貰えれば、ワタクシの言わんとしてる事がお分かり頂けると思うのである(核爆)


*免許レス時代の到来?

 ただ自由の為に免許云々が大事になるのも、ひょっとしたらワタクシかワタクシの下の世代で終わるんじゃないかなとも思うのである。ちゅーのも、あと20年ぐらいすれば自動運転が普及するだろうからである。今はまだソコまで技術が追いついてないから免許は未だに必要だろうけど、もしもレベル5の自動運転が確立されたらどうなるのかって話である。完全自動運転ならば免許も必要無くなるのもそうだけど、ソレ以上にカーシェアリングが劇的に使い易くなる事が予想されるからである。レベル5になれば完全自動運転に加え無人運転も可能になる→使い終わったらそのまま乗り捨てればよく、使いたい時に他の誰かが乗り捨てた車両を呼び出せば良いからである。



 だからそう遠くない未来においては、クルマの免許は船舶免許と同じように、持ってる方が逆に珍しい時代になるんじゃないかとワタクシは予想しているのである。もしワタクシがあと40年遅く生まれていたら、多分クルマ免許は持たないであろうと思うのである。公道は責任を伴わない&事故る可能性が非常に低い自動運転に全委任する事になるし、自力でスポーツ走行する場合はサーキットでやる→サーキット内ならば運転に免許は必要無いからである。ようするに馬術が今現在置かれている状況に、モタスポもなってしまう可能性があるのである。クルマを上手に運転できるという事がステータスにはならず、スポーツ的な存在として一部のモノ好きだけの技術になる。退屈になるか新たな楽しみが生まれるか、未来が実に興味深くなった今日この頃であった。