アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

I’M A REBEL

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「人間が自己の敵対者の長所を認めるとき以上に大きな利益はめったにない。このことが彼に、敵対者に対する明確な優越を与える」

By ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*私はお前(達)よりも優れている

 上記のサブタイこそが、菜食主義だとかフェミニズムだとか環境保護だとかサヨクだとか動物愛護といった活動に過度に夢中になるヤツの根底にある感情である。見た目や頭や性格やセンスが悪いが故に一般社会ではモテなかったり出世できなかったり、或いは行き過ぎて嫌われたり虐められたりしたヤツが、上手く行ったり成功したり人等の粗を探すためにこうした活動に飛びついて、そして「こんな重要な事を疎かにする連中は愚かなんだッ!カネや地位や権力よりもずっと尊いモンを追求する私の方が偉いんだッ!」っていうルサンチマンによる精神勝利法で優越感を得るのである。だから連中はテメェ等に賛同しないor関心が無い人を見下しているし、そういう人等の意見は尊重せずにテメェの意見を押し付けてくるのである。


 そういう「皆が関心を抱かない政治に関心を抱く私は偉いッ!」って優越感があるからこそ、音楽やら漫才やらに政治要素を入れただけで「やっぱ私等は偉いッ!」って思い上がって、一番肝心な「ソレが面白いか否か」を忘れてしまうのである。そう、政治要素を入れる事が問題なのではなく、そのネタが面白くない事が問題なのである。政治ネタを入れてウケを狙うってのは相当なセンスを要するのだけど、ソレが分かってないヤツが実に多いのである┐(´-`)┌

単純に面白くないからウケなかっただけなのに、ソレを「何も考えないヤツ等には政治ネタは難し過ぎたかな(´ー`)」とか「ニッポンは遅れてるから政治ネタはウケない」とか勘違いしてるから、色々とややこしくなるのである。政治思想ってのは人其々違うモンであり、相対的なモンであるが故に正解は無いのであるが、でもソレを固く信じてるヤツはソレこそが絶対的な正解だと思い込んでしまうのである。だからこそ賢い人は政治ネタを敢えて言わないのであるが、バカなヤツはソレが分かっていないのである┐(´д`)┌


*過去を変えてはいけない

 ネットが無かった昔なら各地の少数グループにバラけてて微々たる力しかなかったこの手の連中が、SNS時代の今は安易に国境やジャンルを超えてルサンチマン者同士の連帯を組めるようになったから厄介である( ̄〜 ̄)言ってる事は非生産的なルサンチマン以外の何でもないのだが、数が揃うとカネも力も集まる様になり、そのカネと力を目当てに狡賢いヤツがソレに便乗して火に油を更に注ぐのである。だからこの【Netflix版聖闘士星矢でアンドロメダ瞬が女性化】もその影響だと思ってるのである。下らない事でもネットで拡散して大規模デモの呼びかけやボイコット運動の呼びかけも出来るし、権力者を叩きたいだけの他ジャンルのヤツも便乗するし、サヨク政治家がコレに乗っかって票を伸ばそうとする。所謂ルサンチマンによる数の暴力ってヤツである。



 コレに関するワタクシの見解は「全く新しいキャラクターでの新シリーズなら女性もアリだけど、オリジナルのキャラを使うのなら設定は原作に忠実に」ってトコである。未来は自由に作る事が出来るし、そうあるべきだとワタクシも考えるが、過去に余計な改変は要らないのである。分り易く言えば、第二次世界大戦モノの映画に女性兵士が出てきてたり、18世紀アメリカを舞台にした作品から黒人奴隷を無くすようなモンなのである。確かに現代の価値観にはそぐわないかも知れないが、あの当時はソレが当たり前だったのであり、その事実を否定する事は出来ない&すべきではないからである。寧ろ視聴者に「昔は何故そうだったのか?」を考えさせる事こそが正しい歴史教育だとワタクシは思うのである。


 まぁ作品に関しての「ギリシャ神話のアテナは嫉妬深い女神だった事が”聖闘士=原則的に全員男性”の元ネタになってる」とか「女性の聖闘士は仮面しなきゃならないんだけどソコんトコどーすんの」とかいった作品設定の矛盾に関するソレはファン達が十分過ぎるほどやってるので、ワタクシから敢えて言い足す事は無い次第である。一時的なルサンチマンに流される形で、昔の表現から得られる教訓を抹殺してしまう、ソレがこの問題のバカバカしさの本質なのである:

この様に新しいシリーズでは敵味方共に女性キャラがちゃんと居るんだから、ソレで良いんじゃないかとワタクシは思うのである。人間というナマモノの歴史は「何故昔はこうだったのか?」から始まって「じゃあ今はどうなのか?」を考え、ソコから「未来はどうするのがベターなのか」を考える事の繰り返しなのであり、過去はそのままでなければベターな現在も未来も生まれないのである。都合の悪い過去を無くすだけじゃ、良い未来は築けないのである。


*ノーモア逆差別

 でもってワタクシ的に、この手の男女平等云々に関して思う事が一つだけあるのである。ソレは「”女性差別ガー”は聞いた事があっても”男性差別ガー”は聞いた事が無い」って事である。男性ばかりのソレに「女性が居ない」って怒るんだったら、その反対に女性ばかりのソレにも「男性が居ない」ってクレームをつけるべきだと思うんだけど、そういうニュースは一度たりとして聞いた事が無いのである:

例えばガルパンみたいな作品に対しても、本来ならジェンダー云々な人が「女性ばかりで男性が一切居ないのは差別だッ!男性も入れろッ!」って言い出すんだったら、ワタクシも「筋を通すんだねこの人等w( ̄o ̄)w」って感服して主張を聞いてやらん事も無いのであるが(笑)そんな話は一度も聞いた事が無いのである。だからワタクシはこの手の連中の言い分には耳を貸さないのである。


 先日も述べたと思うが、差別に逆差別をぶつけたって、差別は決して相殺されないのである。そんな事したら被差別感情が互いに生まれるだけであり、更に深い遺恨を残して溝が更に深まるだけだからである。でもルサンチマンを数の力で正当化する事で突き動かされてる連中は、そういった懸念もまた数の力で押し通そうとしてるのである(-_-)ワタクシは別に、ジェンダーだとか環境だとか言論の自由だとか、そういった運動に反対する気は全く無いし、寧ろやり方が正しいのであればドンドンやるべきである。が、ルサンチマンに踊らされた上でソレをやる事には大反対なのである。帝国主義テロリズムよりも、人類はルサンチマンを根絶させるために戦うべし。そう願ってやまない今日この頃であった。