アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

DIE WITHOUT HOPE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「連帯保証人には簡単になってはいけない。しかし、連帯保証人のハンコを押す友人が一人もいないというのも、また淋しい人生である」
By 加藤諦三

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*第三者をお忘れなく
 北海道の方で【演説中の政治家に野次を飛ばしちゃいけないのか】ってデモが起こってるらしいのである。表現の自由だから認められるべき云々、迷惑だから認められない云々、双方が色々揉めてるみたいであるが、ソレで議論してる連中は一つ大事な事を忘れてるんじゃないかと思うのである。ソレは「多かれ少なかれ、その政治家の演説を聞きたい観衆だって居る」って事であり、そしてその観衆には演説をジックリ聞く権利があるのである。だからこの問題で一番重要なのは何かって「演説を聞きたい人の権利が侵害されたのか否か」なのである。ぶっちゃけた話、この権利さえ侵害されなければ、何も問題は無かったのである。


首相演説"ヤジ排除" 道警に説明求める デモ隊撮影の警察官に抗議も 札幌市 (19/08/12 19:25)

 表現の自由もそうだけど、各種自由ってのは「他者の権利を侵害してない限り」って条件付きで認められるモンであり、その野次が演説を聞きたい聴衆の聞く権利を侵害してるのであれば、ソレは表現の自由の正当な行使とは認められないのである。例えば一言二言「帰れコノヤロー!」とか「ウソついてんじゃねーよ!」って言うぐらいなら権利の侵害って言っても許容できるレベルだが、拡声器を使ったり大勢で押しかけたりは明らかに聞く権利の侵害になるのでNGである。野次飛ばす側が何故選挙に勝てないかって、実に簡単な話である。こういう聞きたい聴衆に配慮できないから勝てないのである。ワタクシは何度も言ってるが、目的は手段を正当化しないのである。


*The冤罪製造機
 以前にも【痴漢に対し安全ピンで云々】って話が出たが、ワタクシはこのやり方に反対した次第である。理由は「安全ピンを用いる側の公平性が保証できないから」である。安全ピンの所有者が「満員電車の中で痴漢だけを正確に見分けられて」「正当防衛として」「過剰防衛にならないよう」用いれるのなら何の問題も無いのであるが、ソレがムリだから問題なのである。冤罪で刺された男性の被害もあるが、ソレと同じかソレ以上に安全ピンを用いた女性が傷害罪とか軽犯罪とかの被害に合うのである。そう、ワタクシは冤罪被害に合う男性もだけど、女性のためを思って使用に反対したのである

 同様の理由でワタクシは【シャチハタの痴漢撃退スタンプ】にも反対する次第である。ハンコを押す側の痴漢を正確に見抜く技量に対する疑問もだけど、痴漢被害者以外が悪用する可能性だってあるからである。特にニッポン社会はコンセンサスや人間性善説からくる「疑わしきは罰せよ」的な傾向がある為、一度疑われると一気に信頼を失ってしまう&名誉回復も困難なため、尚更運用が危ぶまれるのである:

「痴漢撃退ハンコ」注文殺到!“冤罪は恐怖”の声も(19/08/27)
こういう事を言うと「ロンは痴漢の味方」とか言われちゃうので、念のため弁明しておくとしようジャマイカ(笑)ワタクシも言うまでもなく痴漢には反対だし、無くせるのなら無くした方が良いに決まってるとも考えてるのである。が、その為に痴漢加害者と痴漢被害者以外の人の権利を侵害しても良いって考えには納得できないってだけの話である。そう、上記の政治家の街頭演説に対する野次と同じである。

 そう、ワタクシはこの様な「強者に人権無し」「正義の為なら違法行為も致し方なし」って考えに同意が出来ないって事だけの話である。ワタクシは前々から何度も言っているのであるが、差別に逆差別をぶつけたって互いの遺恨が倍になるだけで、差別は決して相殺されないのである。あとこういう「強者は弱者の横暴を我慢すべし」って考えを持つ側にワタクシが問いたい事は「じゃあ、その弱者よりも更に弱い人達が居たら、その更に弱い人達の横暴も弱者は我慢するの?」って事である、言っちゃ悪いが、そういう主張をするヤツの中に、そんな事を考えた事があるヤツは皆無であろう。何故なら、自分等が一番弱いと思い込んでるからである。

*正義は普遍的に非ず
 あと正義云々に関しても、ワタクシが以前言った通りである。正義ってモンは出身や受けた教育や民族や宗教や所属によって変わるモンであり、各論レベルで言えば一人ずつ解釈が違うモンなのである。だから普遍的な正義ってのは存在し得ず、あるのは選挙などの暫定的な方法で決める相対的な正義だけなのである。だから「各々テメェの正義を主張したり貫いたりするのは自由だけど、最低コレだけは守れ」って理由で法律やルールや憲法が存在するのであり、正義の不完全さを補うために言論はじめ各種自由が欠かせないのである。だからガチの正義が欲しいんだったら、テメェの正義を決して押し付けちゃならないのである。

 でもテメェの思ってる正義が普遍的であると信じて止まないヤツが実に多く、そういうヤツは演説への野次や痴漢撃退のソレみたいに”正義”が上手く果たされない状況に苛立ちを感じてしまうのである。そして狡賢いヤツがそういうヤツ等のルサンチマンを煽り立てて、票として集めて、力としてしまうのである。特に今はSNS時代だから、尚更煽り易さに拍車がかかってしまうのである:

YA!YA!YA! 野党共闘
まぁ何ちゅーか、民主主義の最大のデメリットの一つが、今のSNS全盛期時代に如実に表れる結果となってしまったのである(´ヘ`;)民主主義における一票ってのは超賢者もド愚者も等しく一票な上、その一票にどんな気持ちを込めようとも自由だからである。だからルサンチマンを煽りに煽って、理屈や議論ではなく数と勢いで物事を成そうとする狡賢いヤツが跋扈する時代になってしまったのである。ソレが今の韓国で・・・コレ以上は流石に限が無いので(笑)ココまでにしようと思う今日この頃であった。

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