アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

DEAD GIRLS DON’T CRY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「パニック時の特効薬は笑いなんです。危機管理を専門にしている連中は、洋の東西を問わずブラックユーモリストですよ。とんでもない時に、みんなを笑わせる」

By 佐々淳行


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*シーズンイン前の準備

 徐々に寒くなってきてはいるが、やっぱまだ余裕で暑いのであるι(´Д`υ)ワタクシが大坊の頃は10月になったら厚着の準備をしてたのであるが、今年はこの季節でも余裕で半袖で過ごせるんだから、やっぱ暑いと言わざるを得ないのである(-_-;)とはいえ走りのシーズンももう間もなくなので、準備をしとかなきゃならんのである。この準備に関して【GTスポーツのDLCでFSWが出てきた】との事なので、今はコレで練習中である。筑波2000は既にDLCで出てきて、FSWの登場はずっと待ちわびていたのである。後ツインリンクもてぎが出てくれば役満なのであるが、まぁ知名度的にも優先順位的にもスパ・フランコルシャンシルバーストーンコートダジュールモナコ)の方が上だろうから、まぁ首を長くして待つとしよう。


 でもって走ってみた感想は「益々以ってリアルに近くなった」である。FSWは4、5、6と出てきてていずれも走ったのであるが、今回のコレがリアルに最も近い挙動をしてるように感じられたのである。どのぐらい良く出来てるかというと、コレがゲームのソレである:

でもってレースカーと市販車という違いはあるが、ワタクシ自らリアルFSWを走ったソレである:

まぁコレは実際に走り比べた人じゃなきゃ分からんのであるが、まんまリアルで見てきたソレがゲームの中に出てきてるのである、コース幅や路面の角度や車体感覚は言うまでもなく、路面の状態や縁石の凸凹までも同じなのである( ̄□ ̄;)前作では上手く再現できてなかった最終コーナーのライン取りの難しさがリアルに再現されてたんだから、そりゃ嬉しいってモンである(笑)リアルFSWでの本番はまだ先の話だけど、その前にタップリ練習できそうである。


*不幸へ道連れ

 障害は不便ではあるけど、不幸ではない。ヘレン・ケラーの言葉であるが、ワタクシもそう思うのである。いや、正確には「そう思うように努力してる」ってトコであろう。ちゅーのも、不便が積み重なると「健常者は苦労しないだろう事で一々苦労しなきゃならないなんて、不幸だぁ〜orz」ってなっちゃうからである(笑)何ちゅーか「不便だけど不幸じゃない」ってのはメンタルの強いヤツだけが言える言葉なのであり、メンタルの弱いヤツは不便さに心が負けてしまったりするのである(^_^;)ンでもって、不幸をテメェだけで抱えきれなくなったヤツが何をするかといえば、他人を巻き込むようになるのである。他人を自分と同じ境遇にして、自分の気持ちを分からせて、自分に同情させようとするのである。


 こう言えば【ストロベリーアレルギーの女性客が搭乗拒否に云々】のアレルギー女性の気持ちが分かると思うのである。フツーなら「別の移動手段を使うか、ガスマスクでも装着して乗れば良いじゃん。なんで他の客が我慢を強いられなきゃならんのよ(`-´メ)」ってなるのだが、彼女の目的が”不幸のお裾分け”ならば自ずとそうなるのである:

そう、何故彼女が他の乗客を巻き込んだかって、自分と同じ境遇を知ってもらうためにそうしたのである。ロゼワインを楽しめなくなるという境遇を体験させる事によって「私の置かれてる境遇の片りんでも良いから味わえば、自分の生き辛さが分かって貰えるッ!同情したくなるッ!」って方向に物事が進む事を期待してるのである。ソレと似た様な事がつい最近ニッポンでも起こったばかりなのを思い出したのである:

そう、この傍迷惑な階段上りパフォーマンスの意義もソレなのである。テメェの不幸の片鱗を他人に味わさせる事で世間が同情してくれるのを期待してるのと同時に、テメェを優遇してくれない社会に対し抗議してるのである。


 真っ当に考えれば「そんな事をすればする程その手の人達がアンタッチャブルな存在になって、距離は益々離れていくだけ」ってなるのであるが、上記の2人みたいなのはそう考えないのである。何故ならば、不幸にドップリ浸かり過ぎたが故に、健常者や健常者社会を憎むようになってしまってるからである。よーするに「自分(達)を理解しないヤツや同情してくれないヤツは差別主義者であり敵」って考えになっちゃってて、全く何もしていない第三者に対しても「自分(達)に賛同し無いヤツは消極的に”敵”に賛同してるも同様」っていうテロリストめいた考え方になってしまうのである( ̄〜 ̄;)繰り返し言うが、こういう人等は悪意があってやってるのではなく、弱くて心が耐えられないからそうしてるのである。


*強弱の彼岸

 このブログのタイトルが示すように、一応ワタクシもあっち側の人間なのである。が、ワタクシはこのやり方を使うのは真っ平御免である。何故ならば同情を買おうとしたり他人を差別主義者だと罵る事は、ソレ即ち間接的に「自分は弱者だぞォォォォ!」って言ってるようなモンだからである。でもって、ワタクシは自分が弱者だとは全然思ってないからである。ヘレン・ケラーは「障害は不便だけど不幸じゃない」と言ったが、ワタクシは「障害者は社会地位的には弱いかも知れないけど、決して弱者ではない」を付け加える次第である。弱者ってのは他人に定義されてそうなるのではなく、自分で自分を「自分は弱いんだから仕方が無い」って考えるからなるモンだとワタクシは思うのである。


 ただこう言っちゃ何だけど、今の世の中って弱者であった方が色々と便利な事が多いのである。例えば上記の二人を批判しようモンなら「障害者を、弱い人を叩くとは何事だッ!」って怒られちゃうのである。どっちが正しいかではなく「強い人間が弱い人間を叩いちゃダメだけど、その反対はおk」っていう空気が、今の世の中にはあるからである、ソレは単なるルサンチマンなんだけど、ルサンチマンでも数を揃えれば相当な力になるのが民主主義というシステムの弊害の一つであり、そして狡いヤツはこの仕組みをフルに悪用して”弱者の味方”を気取りながら甘い汁を吸うのである。まぁマジ話してもウケが悪い事は分かり切ってるんで(笑)もうさっさと寝ようと思う今日この頃であった。