アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

BREEDING THE SPAWN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「わたしたちは日本という国に生まれたと思っていますが、そうではなく、日本語という言語のなかに生まれたのです」
By 長田弘

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ニッポン語という名の非関税障壁
 ニッポン文化を他国のソレと区別し個性化してきたモンは一体何か?ワタクシの答えは「ニッポン語」である。ニッポン語は孤立言語の一つであり、ニッポン以外にニッポン語を第一言語として使ってるトコは無く、似たような言語(マレー語に対するインドネシア語など)も無く、更に言えば習得が最も困難な言語の一つでもあるのである。つまりニッポン文化は海外に広がり難く、海外からの影響も受け難く、結果として売り手も買い手も国内に意図せずも縛られる事になってしまうのである。結果ニッポンならではの独特の進化を遂げたコンテンツだらけになり、コレが良くも悪くもニッポン文化の個性化に繋がっているのである。

 ソレに加え、ニッポンは非常に豊かである。ソレ即ち、内需だけで殆ど何でも成り立つから、諸外国の様に生きてくために外国人とムリして関係を持つ必要が殆ど無いって事である。海外文化を嗜むヤツも居るけど、ソレはあくまで国内だけじゃ満足できない一部のマニアやエリートだけで、大衆に及ぼす影響はあまり無いと言えるのである。でもってニッポン市場はアメリカに次いで大きいから、ニッポン国内オンリーでも世界2位~3位だったりする事もザラである。その事が「他国にとやかく言われなくても、ニッポンはニッポンだけでやってける<( ̄^ ̄)>」っていう自信に繋がるのである。

*The言論統制
 そんな環境の中で、各種メディアをガッツリ抑えたらどうなるか、聡いロンマニアの方ならば容易に想像が付く筈である。そう、世論を自分達で操作できちゃうのである。かつては(つーか今でも)マスコミ内のサヨク勢力がソレをやってたし、芸能界ではこの前シャッチョが死んだジャニーズがやってたのである。ジャニーズの何が秀逸だったかって、ネットがこの世に登場する前に、ニッポン中の主要メディアをガッツリ抑える事に成功しちゃった事である。上記理由でニッポン人はニッポン以外のコンテンツの存在に目が向かないから、ニッポン芸能界の大正義ジャニーズ様には逆らえなくなってしまうのである。


ジャニー喜多川 死去

 無論、ソレが悪い事だとはワタクシは思わない次第である。ソレが違法でない限りは、その土地柄や文化に最も合った方法でシェアを獲得しようと思うのは、ビジネスをやる人間として至極真っ当な考えだからである。違法でないやり方でコンテンツが提供されてて、ソレをファンが喜んでれば、ソコに対し余計な茶々を入れるほどワタクシは無粋ではないのである。実際、今に至るまでワタクシがワタクシの好きなモンを嗜む自由はジャマされていないから、ワタクシ的にはソレで十分である。もしもジャニーズがレコード屋やレコード会社に圧力かけて洋楽や洋画を流さないようにしていたら、ワタクシはジャニーズに宣戦布告していたであろう(笑)


昔のジャニーズってどんな?ジャニーズの歴史!!

 そんなジャニーズが最近不祥事ばっかボロボロ出てるのは、ソレ即ちそういう事なんじゃないかと思うのである。そう、国内コンテンツが国内だけで完結してた時代が終わりに近づいてるからだと思うのである。ネットやスマホが普及したお陰でジャニーズが出てる歌番組やドラマやバラエティー以外にも娯楽の選択肢はグッと増えたし、何だったら韓国とかからもアイドルが入ってくるのである。翻訳ソフトや翻訳機が進化して、たとえニッポン語であろうとも容易に翻訳できるようになった今の時代、一つの国の中で全てを完結させるなんて鎖国でもしない限り不可能なのである。

*ボーダレス令和
 そう考えると、やっぱニッポンにおいてもネット普及の影響は大きかったと言えるのである。ネットが普及する前は、洋楽も洋画も洋書も洋ゲーも外車も何でも外国製は結構高く、ソレが一般的な人々がソレを試すための障壁になってたのであるが、ネットになって実質タダになった事で「取り敢えず試してみよう( ̄▽ ̄)」って考える人間が増えたからじゃないかと思うのである。今はまだ古き良き全盛期ニッポンを知ってる人等が「いや、やっぱニッポンにはニッポンのやり方があるんだッ!」って頑なになってるトコが少なくないけど、あと十数年もすればその声も小さくなるんじゃないかと思うのである。

 元号が変わる前後でワタクシは「令和はどんな時代になるか」って話を色々したと思うが、ワタクシはその一つに「令和はニッポンも他国同様にボーダレス化する」と考えてる次第である。ジャニーズに限った話じゃないけど、多分ニッポンはもう昭和の時みたいに国内だけで全てを賄う事はできなくなると思うのである。既にサッカーややきうがそうなってるけど、国内外の人の出入りが珍しい事じゃなくなると思うのである:

【2019夏移籍情報】移籍が確定・移籍の噂がある選手

野球選手のメジャーリーグ移籍に対する世間の反応について思うことや個人的な意見
優秀なニッポン人が更にデカいチャンスを求めて海外の大学や企業に挑戦するようになったり、或いはアジアやアフリカの優秀な人達がチャンスを求めてニッポンに挙ってやってきたりとか、平成になって徐々に増えてきた事が、令和には定着して本格化するんじゃないかとワタクシは睨んでるのである。ソレが良い事かどうかは色んな意見があるが、ワタクシは良い事だと思うのである。確かに混乱や衝突は増えるかも知れないが、ソレ以上にチャンスや視野が広がるからである。虎穴に入らずんば虎子を得ず、正に古人の言う通りだと思う今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20190712235328j:plain

EFFIGY OF THE FORGOTTEN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「安全を得るために自由を放棄する者は、そのどちらも得られないし、得るに値しない」
By ベンジャミン・フランクリン

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*やっと出てきた20年モデル
 ワタクシは何だかんだ言って、国産車が好きである。何故好きかって、信頼できる機械だからである。特にサーキット走行とかをするにあたっては機械の信頼性がそのまま生死に直結するため、信用できるマシンは何より重要なのである。ワタクシは今まで計4台ほどの国産車でサーキット走行を嗜んできたが、その何れもノントラブルで30分程度の全力走行をこなせてきたのである。だから出来るのならば今のR35の後継車は国産車が良いと思っていたし、この【20年モデルR35NISMO】には「ひょっとしたら・・・ひょっとするかもッ(;´Д`)」っていう淡い期待を抱いていたのである(笑)


日産GT-Rニスモ MY2020 世界初試乗!@アウトバーンで時速300キロ超え⁉︎

 何が問題なのか。巷で2460諭吉と噂される価格もそうであるが、一番はやっぱりブレーキである。ワタクシが小耳に挟んだ話、コレの鋳鉄ローターは用意されてないんだそうである(´・ω・`)コレが100%のガチカーボンローターならまだ考えんでもないが、残念ながら他所のスーパーカー同様にセラミックカーボンである。何がアレかって・・・

100%のガチカーボンローターなら効きも耐久性も最高レベル

ただし100%のガチカーボンは200℃以上にならないと効かないから、街乗りじゃ使えない

( ゚Д゚)マズー

低温で効くようにする為、カーボンにセラミックを混ぜる

低温で効くようにはなるけど、その代わり耐久性が落ちる

サーキットで使うと鋳鉄ローターと同じようにガリガリ削れていく

しかも値段は鋳鉄の何倍もする

( ゚Д゚)マズー

・・・という事である。街乗りオンリーならばカーボンセラミックローターでも全然問題無いし、寧ろそっちの方が乗り心地抜群である。でもサーキット走行を嗜むにおいては、コストパフォーマンスが余りにも悪過ぎるのである。因みにポルシェやフェラーリとかは鋳鉄ローターのオプションがちゃんとあって、サーキット走行を嗜む顧客にはそっちを勧めてるのである。こういうクルマにコスパを求めるべきではないというのは正論であるが、生憎ワタクシのサイフには限界があるのである(笑)というワケで、残念ながらこの新型R35NISMOは候補から外れてしまったのである。

*軽自動車を選ぶべきではない理由
 話は変わって、ワタクシは軽自動車をあまり好きではないのである。軽自動車というコンセプトは秀逸だし、ニッポンらしいクルマ文化の一つである事は認めるのである。が、ココ最近の軽はまるで十徳ナイフめいて色んなモンを詰め込み過ぎて、本来の軽自動車らしさを見失ってるように見えるのである。車体は小さいままエンジンも小さいまま、車内は広くして快適装備や安全装置も出来るだけ多く付けて、そんで値段はできるだけ安く。そんなん何処かで限界が来るに決まってるし、或いはとっくに限界が来てるのをあの手この手で誤魔化しているかである。


人気の軽自動車 衝突試験まとめ【JNCAP自動車アセスメント】

 言っちゃ何だが、ワタクシはこの手の衝突試験を殆ど信用していない次第である。ちゅーのも正面やオフセットは事故の中でも一番多く、ソコにはエンジンルームもあって、FFだから操舵性にも関係してるから、そりゃ何処のメーカーだってシッカリ作り込むだろうからである。が、問題は真横と真後ろである。今時の軽自動車って車内空間を出来るだけ広くしようとしてるから、ボディーは薄くなり背丈も高くなってるのである。そんな中で真横からぶつかられたら潰れるだけでなく転がるし、後ろからぶつけられたら飛んでくこと必至であろう。当然、クルマは廃車である。

 こう書くと「ちゃんとした衝突安全基準を通ってるんだから問題ないじゃないか」と言われそうだが、問題はソコである。その安全基準とやらが落とし穴で、ソレ故にワタクシは軽自動車の安全性を信用してないのである:

  1. フルラップ前面衝突試験:時速55kmでコンクリート製の壁に衝突させ、乗員保護性能の度合いを評価
  2. オフセット前面衝突試験:時速64kmで運転席側だけを前面衝突させ、乗員保護性能の度合いを評価
  3. 側面衝突試験:側面から質量950kgの台車を時速55kmで衝突させ、乗員保護性能の度合いを評価
  4. 後面衝突頚部保護性能試験:後面衝突を再現出来る試験機を用い同一質量の自動車が停車中の自動車に時速32kmで衝突した際の頚部保護性能の度合いを評価

分かり易く言うと、コレって車重によって変わるのである。でもって軽は車重が軽いから、その分強度は低くて済むのである。特に後部衝突に至っては「試験機を用いて32km」である(´ヘ`;)でもって事故ってのは自分でぶつけるだけでなく、他車もぶつかってくるのである。でもって他車も軽だとは限らず、ミニバンだった場合は車重が2トン近くなる→衝突試験の基準値を遥かに超えるのである(;´Д`)でもって軽自動車というクルマの成り立ち上、コストがかかるであろう衝突試験基準を遥かに超えるような安全性を確保してるとは思えんのである。

*カネがあるならベンツに乗れ
 故にワタクシは軽自動車が好きでないし、カネ払ってまで乗ろうとも思わんのである。こんなトコでカネをケチって、つまらん貰い事故で死んでしまったら、死んでも死にきれないってモンである。よく金持ちやVIPがベンツを好んで乗り回しているのであるが、アレはステータスの誇示以外にも、安全だから乗ってるってのもあるのである。ベンツってクルマは高いだけあって、安全性もバッチリなのである。アサルトライフルでフルオート掃射でもされん限り、ベンツに乗ってれば死ぬ事はまず無い。その安全性こそが、世界中でカネ持ってるヤツにベンツが選ばれる理由でもあるのである。


Mercedes E-Class (2017) CRASH TESTS

 理解の無いヤツ等は「何故クルマにカネをかける必要があるの?走れるんだったら軽で十分じゃん」って言うだろうけど、上記のソレがその問いに対するワタクシの答えである。このような自分の意志だけじゃ不可避な状況に対する不可逆的な損害を防ぐために、クルマにはある程度のカネをかける必要があるのである。たとえ自分が全く悪くなくて、事故った相手に損害賠償をフルに求める事が出来たとしても、失われた命は決して戻らんのである。ユダヤ人のことわざに「カネで幸せは買えないが、不幸から身を守る事はできる」って言葉があるが、その言葉の意味が身に染みる今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20190710235706j:plain

9

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「政府が日本の政府なら、人民も日本の人民だ。それなら政府を恐れず近づくべきだし、親しむべきで、疑う必要などない」
By 福澤諭吉

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*普遍的正義など存在しない
 ニッポン人には民主主義、及びソレを支える選挙システムは合わない。ワタクシは以前からそう主張してきたのである。何故選挙があるかって、人は出身や民族や宗教や所属によって、各々違う正義感や倫理観を持つからである。細部に至れば、人単位で違ったりするモンなのである。その状況では当然コンセンサスなんか得られないから、消去法で選挙というシステムを取るのである、でもニッポンは実質的な単一民族で単一文化だから、コンセンサスが取り易い土壌があるのである。だから安易に「コンセンサス≒普遍的正義」って考えてしまい、明確な実体の無いソレを最上級の価値観として考えちゃうのである。

 大人になるにつれて社会というモンを学んでいけば「法治とは何ぞや」「価値観とは何ぞや」が分かってきて、選挙の意義も理解し結果を尊重するようになるのだが、偶にソレが理解できないヤツ、理解したくないヤツがいて、そういうヤツは「選挙よりも法律よりも、先ずは正義ッ!」っていう思い込みを拗らせてしまい、酷いのになるとこういう事までしでかしちゃうのである:

【参院選2019】安倍首相登場 妨害あり 7月7日 自民党丸川珠代候補 街頭演説会 立川駅北口
大人なロンマニアの方ならば、この妨害の何がダメだかが分かると思うのである。野次るという行為が下品なのもそうであるが、一番はやはり「演説を聞きたい人の権利を侵害してるから」である。野次る側は「正しい事をしてるんだから、野次って何が悪いッ!」って言うだろうけど、その”正しい事”は人其々違うのである。だから言論の自由があるのだし、他人の権利を侵害してはならないのである。ソレが分からないから、野党は負け続けるのである。

*オタクを見下してはいけない
 伊集院光曰く「アニメオタクはアニメが特別好きなのではなく、人生逃げた先にアニメがあっただけ」との事であるが、アニメ以外のオタクにも概して言える事だと思うのである。皆が皆そうとは言わんが、コミュニケーションや人の多いトコが苦手で、ソレを必要としない趣味を求めてたら、世間でいうトコの”オタク趣味”ってヤツに辿り着くのである。そういう背景があるから、オタクは一般世間に対する怨嗟やコンプレックスを多少なりと抱えており、そしてその反面自分(達)が一般世間から評価される事を望んでいるのである。オタクがよく「オタクはニッポン経済に貢献してるッ!」って豪語するのも、そういう背景があるからである。

 だから選挙なり何なりでオタクに向かってアピールしたいのであれば、そういうオタクが抱えた背景を良く知る必要があるのである。現に山田太郎とか麻生太郎とかはソコんトコ分かってるからだろうか、上手い具合にアキバの住人達に受け入れられてるみたいなのである。だがしかし、ソレが分かっていないのならば、安易にオタク受けを狙うべきではないのである:
www.jiji.com
何ちゅーか、アニメの聖地となったトコの町興しに通じるモンがあるのである(笑)その作品の事を良く分からないジジババが、アニメキャラの絵を使ったテキトーなグッズを「お前等オタクはこういうのが好きなんだろ(・∀・)」って言わんばかりのソレである。玉木雄一郎ガンダム好きって話は聞いた事が無いので、恐らく「コスプレすればオタクが寄ってくるだろう」って安易な考え方から来てるのであろう。この時点で、アキバ地区での勝敗は決したようなモンである。

 本気じゃないパフォーマンスの何が問題かって、相手に対し「お前相手にマジになる必要は無い」って言ってるのと同じ事だからである。別に選挙に限った話ではないが、相手に話を聞いてほしいのであれば、話す方もマジになる必要があるのである。たとえ言ってる事がメチャクチャでも本音で本気で話していれば、たったソレだけで聞いてみようと思う人は出てくるのである。カルト教祖だとかブラック企業社長とか「なぜこんなヤツの周りに人が集まる?」って思わされるヤツが稀に居るが、ソレはソイツが本音で本気で話しているからである。もしもロンマニアの方の中に「自分の話を誰も聞いてくれないッ!」って思う方が居たら、本気度と本音度を見直してみると良いと思うのである。

*選挙とは相対的正義なり
 今回の参院選についてだけど、ワタクシの感想は「まぁ何時も通りの選挙になるだろうな」ってトコである。新聞が予想した通りに与党が消極的に支持されて過半数を占めて、サヨク連中が「民主主義の敗北ガー」「ニッポンの終焉ガー」って騒いで、結局何も変わらないってヤツである(笑)まぁコレは民主主義の欠点とも言えるモンだけど、50年先100年先を見据えた政策なんてのはウケるはずもなく、世界情勢や安保体制についても然りである。民主主義において、有権者の知識や良識ってのは一切問われず、無知と悪意を以って票を投じるのも自由なのである。

 だから選挙ってシロモノの重要性は分かっていても、ワタクシは選挙ってヤツをあんま信用してないし、選挙結果に依存する気も無いのである。こういう事ばかり書いてると「ロンはネトウヨ」とか呼ばれそうであるが(笑)リアルのワタクシを知ってるロンマニアの方ならば、ワタクシがネトウヨになれる筈がない事は分かってると思うのである。昔も今も、ワタクシはリバタリアンである:

第1094回 リバタリアニズム 2018.02.24
だから選挙結果や政治家に対しても「ワタクシのジャマをしなければソレでおk」「自由と権利だけ保証してくれればソレでおk」ぐらいにしか考えてないのである。さて今日はもう遅いので、さっさと寝るに限る今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20190708235645j:plain

DEAD AGAIN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「何かを始めるからにはとことんやらねばならない。途中でやめれば中途半端に終わったことが脳裏から離れなくなる」
By チョギャム・トゥルンパ・リンポチェ

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ようこそ非日常の世界へ
 スポーツカーが好きな人はスポーツカーに何を求めているのか。サーキットでの速さ?多分ソレをマジで追い求めるのは、スポーツカーオーナーの1割も居ないであろう。多分一番多いのが「非日常が欲しいから」じゃないであろうか。所謂「日常においてモノとヒトを運搬するための道具」というクルマ本来の役割から離れて「速く効率的に走る」という機能だけに一点特化した非日常的な機能美を味わう。そのために余計なドアやシートは省いて、高くても良いから軽い素材を優先的に使って、乗り降りし難かろうが最適なドラポジを優先して、燃費が悪くなると分かっていても更なるパワーを追い求める。そんな非日常が好きだからスポーツカーに乗るのである。


スーパーカー大集合!!世界の高級外車たち!!!ランボルギーニ フェラーリ他

 ワタクシがFFのスポーツカーをあんま好きじゃないのも、スーパーカーにFFが存在しないのも、理由は同じである。FFってのは日常性を追求するのに最適化した駆動方式であって、非日常を追求するには向いていないからである。FFの利点ってのは、殆ど全てが日常シーンにおける利点なのである。無論、FF車で走りの良さを追い求めるなとは言わないが、ワタクシの場合はソコに条件を設けてるのである。ソレは「日常と両立すること」である。日常と両立させてこそFFスポーツカーがFFである意義を持つのであり、走りに特化するならばFFである必要性は皆無だとワタクシは考えるのである。

*The中途半端
 ワタクシがシビックTypeRの初代(EK9型)と2代目(EP3型)は評価するけど、三代目以降(特に【現行のFK8型】)を評価してない理由も、つまりそういう事である。走りに偏り過ぎて、肝心の日常性との両立が成り立ってないからである。特に現行モデルが一番顕著であるが、あんなハデなクルマでで子供の送り迎えをしたり、家族で旅行へ行ったり、スーパーへ買い物に行けるのかって話である(笑)じゃあ非日常はどうなのかというと、走りを極めるにおいて全く以て不要な後部座席と後部ドアが気分を萎えさせるのである(爆)正に「二ナントカを追う者は一ナントカをも得ず」の典型である。


ホンダ・シビックタイプR試乗【公道&サーキット】

 良い例を上げろと言われたら、ワタクシは【VWゴルフR】とか【ルノーメガーヌRS】を挙げる次第である。コレだったら旅行にも買い物にも冠婚葬祭にも使えるし、過度に攻撃的な内外装じゃないから変な期待を抱かずに済むのである(笑)こういうのだったらFFでも全然良いと思うし、寧ろFFのが両立するにおいて最適とも言えるであろう。WRXランエボもだけど、エボリューションモデルのスポーツカーってのは両立感が重要だとワタクシは考えるのである。だからこのようなキワモノを更にキワモノにするカスタムを公式が出した事は、ワタクシ的には遺憾オブ遺憾なのである(爆)

clicccar.com

 コレのフルコンプリートカーに乗って買い物行けと言われたら、全裸で土下座して許しを乞える自信がワタクシにはあるのである(笑)このクルマを1/10の値段・・・いや1/100の値段で売ってやるって言われても、ワタクシは迷う事無く新しいエアガンの購入を選ぶであろう。何ちゅーか、アニメの聖地の町おこしと似たようなモンである。場にそぐわないアニメキャラの使い方をして「お前らオタクはこういうのが好きなんだろ( ̄▽ ̄)」って暗に仄めかしてるアレである(核爆)ホンダも無限も、いい加減過去の栄光を忘れて一からやり直せとワタクシは言いたいのである┐(´д`)┌

*気持ちは前に、エンジンは後ろに
 コレ以上余計な事を言うとホンダファンにフルボッコにされるので、ココまでにするとしようジャマイカ(笑)NDの方は普段の足として重宝してるから、まだまだ乗り続けるのは決定として、問題はR35の後継車である。実はまだ全然決まっていないのであるが、やってみたいと思ってる事が一つあるのである。ソレは「エンジンを後ろに搭載したクルマに乗ってみたい」という事である。日常性はNDが受け持つから、R35後継は思いっきり非日常に振っちゃおうかって話である。MRにするかRRにするかは全然決まっていないが、やっぱクルマ好きならば一度は自分の後ろにエンジンがあるクルマを所有してみたいモンだからである。


駆動方式 MRとは?? なんだ!?

 やっぱ何ちゅーか、リアエンジン(特にMR)は非日常の一番のシンボルだとワタクシは考えてるからである。FFとは逆に、MRのメリットは殆ど非日常にあって、日常的な利点は殆ど無いのである。だが、ソレだからこそソコにシビれて憧れるのである(笑)エンジンがリアにある事で走りが変わるのはゲームで既に分かっているが、実際に所有してどうなのかというのはゲームじゃ分からんからである。絶え間ない非日常の追求、ソレがスポーツカー好きの宿命であり、永遠の課題とも言えるのである。さて、明日は日曜だけどもう疲れたので、さっさと休みたい今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20190706235544j:plain

INTO THE UNKNOWN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「(その人の)長所や欠点は性格の特徴でね、個性じゃない」
By 志茂田景樹

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*個性って何ですか?
 1つ、自分の食い扶持は自分で稼ぐ事。2つ、他人の主権を侵害しない事。3つ、ルールやマナーを守る事。この3つさえ守る事が出来れば、後は何をしても自由である。最近「発達障害者をムリヤリ社会の枠に嵌める必要は無い。当事者の個性ガー」っていう声が大きいのであるが、その声に対するワタクシの答えがソレである。上記3つさえ問題無く出来ていれば、どんな形で個性を表現しようが自由である。男でも女でも、若造でも老人でも、健常者でも障害者でも、ニッポン人でも外国人でも、シス異性愛でもLGBTでも、その3つさえ守れてれば立派な社会人であり、立派な社会人であれば個性は自動的に尊重されるのである。


障害って個性なの?

 そう、ソレが社会で生きるって事である。何故ガキんちょが「個性ガー」って叫んでも認められないかって、つまりそういう事なのである。だから色んな人に迷惑をかけておいて「障害なんだから仕方がない、個性です」って言っても、その言葉に説得力は無いのである。たとえその行為に法的な正当性があったとしても、ソコに説得力があるかどうかはまた別の話なのである。ワタクシが常々「発達当事者は可能な限り就労すべし」って言ってるのも同様の理由である。主張というモンは説得力があって初めて聞いてもらえるのであって、そして説得力は立派な社会人であればあるほど強くなるのである。

*夏だけどネタ切れ
 大坊時代の先輩が「人は革命の理念についていくのではなく、革命家についていく」って言ってたけど、正にその通りだと思うのである。何が正しくて何が正しくないかなんてのは、実はTPOとともに変わっていくモンなのである。だから正しかろうが正しくなかろうが、その中で最良の決断ができる人間が重宝されるのであり、故に人の持つ説得力は理念よりも重視されるのである。さてサブタイにもあるように、もう話す事が無いのである(笑)というワケで:

アスペルガー医師ロンのど〜でもいい話・その164:浮気

夫が2週間の出張から帰った。

「おかえりなさい、あなた。浮気なんかしなかったでしょうね?」
「するわけないだろう」
そして激しく愛し合う二人。

すると隣の部屋の男が怒鳴った。
「毎晩毎晩、いい加減にしろーっ!」


アスペルガー医師ロンのど〜でもいい話・その165:夢

「将来、絵師になった方がいいのか、ラノベ作家になった方がいいのか迷っているんだ」
「そりゃ絵師になった方がいいよ」
「僕の絵を見たのかい?」
「いや、君の書いたラノベを読んでみたんだ」


アスペルガー医師ロンのど〜でもいい話・その166:女になる

男1 「娘が女になるのって、どのくらい時間がかかるのかな?」
男2 「ひとつきさ」


アスペルガー医師ロンのど〜でもいい話・その167:朝刊

ニューヨークのセントラルパークで、少年が獰猛なイヌに襲われた。
そこへ一人の勇敢な青年がイヌに向かって突進し、イヌを殴りつけて少年を救った。
その場には偶然新聞記者が居合わせ、まさにその現場写真を撮影し、青年に言った。

「あなたの素晴らしい勇気を賞賛します!
 ぜひあなたの勇敢な行為を明日の朝刊に載せたい。
 見出しは『ニューヨークの青年、狂犬から少年を救う!』でいきましょう」
「いえ、僕はニューヨーク出身ではないので・・・」
「では『勇敢なアメリカ青年、少年をイヌから救う!』ではどうでしょう」
「いえ、僕はアメリカ人でもないので・・・」
「どちらのご出身ですか?」
アフガニスタンです」

翌朝の朝刊の見出しはこうなった。
イスラム原理主義者、セントラルパークでイヌを惨殺!』


・・・といった今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20190704234951j:plain

TIME

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「障害そのものは、何も特別なことではありません。でもあなたの障害に対する意識について考えることは、あなたを特別な存在にします」
By ステラ・ヤング

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*政策は何ですか?
 政治家はどう評価されるべきか。ワタクシの答えは「ハッキリした現実的な理念と、ソレを実行するための具体的な方法で評価されるべき」である。ソレが出来るのであれば若造だろうが年寄りだろうが、男だろうが女だろうが、健常者だろうが障害者だろうが、シス異性愛だろうがLGBTだろうが、ワタクシは一切気にしない次第である。そしてコレが【れいわ、重度障害の女性擁立】に対するワタクシの答えである。ワタクシはこの候補がどういう理念の下でどういう政策を出すのかが一番知りたいのであるが、この記事は後にも先にも障害の事ばかり。コレじゃ納得なんてできないのである┐(´д`)┌


れいわ新選組公認候補予定者 木村英子 発表記者会見 2019年6月28日

 コレの何が悪質かって、障害を盾にその事を追求させない&少数派で野党であるが故の判官贔屓を利用してるトコにあるのである。もしも何処かの誰かがワタクシの様に堂々と指摘したら、ソイツは間違いなく差別主義者扱いされて、スクラム組んだサヨク文化人&サヨク支持者に徹底的に叩かれる事は想像に難くないのである。山本曰く「障害者利用上等。利用して制度を変えていけばいい」らしいが、ワタクシはコレに反対である。こういう「正しい事の為なら何をやってもいい」って考え方のヤツが権力を握ったらどんな事になるか、ワタクシが言うまでもなく世界の歴史がその害悪を証明しているのである。

*内へ籠る人、外へ出る人
 まぁワタクシの専門(?)は発達障害なので、身体障害に関してはまた別の機会にという事である。以前ワタクシは「発達障害当事者には大きく分けて2つのパターンがある。発達障害界隈の中でしか生きられない人と、発達障害界隈の外でも生きてける人」と語ったが、その話には色々考えさせられるトコがあるのである。発達障害界隈って何故か知らんが言い争いが多く、ワタクシも何故かしょっちゅう巻き込まれるのであるが(笑)アレってよく考えると前者と後者の間で起こるか、或いは前者同士で起こってる場合が殆どなのである。後者に属する発達当事者同士の言い争いは、ワタクシの知る限り見た事無いのである。

 というのも後者の発達界隈の外で生きてる当事者達ってのは、良くも悪くも個を確立してて、社会性もソレなりに学んでるからである。外の世界に触れて「人間は意見が合わなくとも互いを尊重さえしてれば一緒にやってける」って事を知ってるから、互いの意見の違いに口を出さないのである。ソレが分かる事が、社会でやってけるかどうかの分水嶺なんじゃないかとワタクシは思うのである:

界隈の中でしか生きられない人 界隈の外でも生きてける人
作業所や当事者会や講演会などの各種イベントが活動範囲 学校や職場、及び職業訓練施設などが活動範囲
健常者との付き合いは家族か支援者か理解者のみ 支援者や理解者以外とも幅広く健常者と交流する
同じ生活圏に居るため、メンバー間の結束や一体感が重要視される 生活圏が基本的に違うため、結束や一体感はあまり重要視されない
界隈を守る事が何よりも大事 界隈はあって損する事は無いけど、無くても別に構わない
実は社会と協調する気はあんま無い 社会との協調は最優先課題
金銭的にも精神的にも余裕は少ない 金銭的にも精神的にも余裕はソレなりにある
生活は楽で結構ヒマ 色々と忙しく各種負担も少なくない

何故界隈の中でしか生きられない人達の間で言い争いが多いかって、多様性を享受できないからである。発達界隈って思ったより小さく人も少なく、ソレ故に発言力や影響力も小さいのである。だから連帯感や結束力が一層重要になるのであり、異なる意見や考え方は当事者間に分裂をもたらす→界隈が弱体化するから、齟齬を無くしたいor異論は排除したいと思い、相手を批判し始めるのである。

 ワタクシもそういう界隈でしか生きられない人を何人か知ってるから分かるのであるが、あの人等はマジで自分達を社会に合わせる気が乏しいのである(^_^;)あの人等が望んでるのは社会の方から自分達に歩み寄ってくれる事、自分達に合わせて社会の方が変わってくれる事なのである。その手の活動してる人なんかは「他分野の生き辛さを抱えた人たちで横の連携を築いていこう」って言ってるのだが、要するに界隈そのものを大きくして発言力や影響力を増やそうって事である。まぁワタクシはこの界隈と関わり合いは最近無くなってきたので、コレ以上首を突っ込む気はない次第である。

*外へ出よう
 でもって言うまでもなく、ワタクシは界隈の外でも生きてける人である。つーか、界隈の中には居場所が無かったりするのである(笑)でもワタクシはソレで良かったと思ってるし、そうするべきだったと確信しているし、他の当事者にも外へ出る事を強く勧めてる次第である。まぁその所為で色んなトコから色んな凸を喰らったりもしてるが、ソレもまた一興である(爆)サッチャー曰く「平和は大事だけど、自由はソレ以上に大事」って事だけど、実際外と中を比べると、自由が持つ意味が如何にデカいかを思い知らされるのである。何故なら外に出れば、ソコには発達や成功の可能性が数多くあるからである。


発達障害の就労の最新事情 2018 | 発達障害応援企業 株式会社Kaien 保護者会より

 簡単な事である、界隈の中にずっと籠ってたって、良いクルマを買う事はできないからである(笑)でも界隈の外に出れば(ハードルが高い事は否定しないが)成功のチャンスは幾らでもあるし、この成功を掴むために試行錯誤する間にこそ発達当事者が発達する可能性が見出せるのである。ワタクシの知る限り、心底マジで何かを掴みに行こうとしない限り、ソイツは絶対に成長しないのである。コレ実は健常者だけでなく、障害者も同じなのである。能動的な情熱からくる努力の積み重ねと試行錯誤の繰り返しこそが、発達当事者に発達をもたらす。コレだけは自信を以って言える今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20190702235341j:plain

IN THE SHADOWS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「陽気は美徳、陰気は悪徳」
By 宇野千代

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*結婚にご用心
 フィリピン人orフィリピン人の伴侶のいらっしゃるロンマニアの方ならご存知と思われるが、フィリピンはカトリックが国教なので、離婚という概念が存在しないのである。でもソレだと「借金のカタに娘を云々」って形の結婚で人権的にアレなんで、裁判所が「この結婚は無効である」という判決を出す事で「抑々結婚が成立してなかった」って形でデファクト上の離婚が出来るのであり、コレがフィリピンで離婚する唯一の方法なのでる。聡いロンマニアの方ならば、この時点で「え~っと、コレって腐敗の温床になるんじゃ( ̄▽ ̄;)」って気付くだろうけど、ビンゴである。今はもう出来なくなったらしいが、昔は離婚の裏ビジネスが横行してたのである。


カトリックは離婚できない!?言葉の裏に隠されている悲惨な末路 | 国際結婚アドバイザー Vol.2 - フィリピン国際結婚|サマサマ・ネット

 離婚したいカップルは、裁判長及びその部下達全員に対し、ブローカー経由で賄賂を渡すのである。1人30諭吉前後が相場で、ブローカー含め5~7人が携わる場合は150~200諭吉ほどの金額をブローカーに渡す必要があるのである。ココでこの「ブローカーに渡す」って言葉にでピンと来なかったロンマニアの方に対し、ワタクシは「お人好し過ぎる」と言わざるを得ないのである(笑)当然だが、ココでハズレのブローカーを引き当ててしまうと、150~200諭吉を持ち逃げされて泣き寝入りするっきゃないのである( ̄~ ̄)だからブローカーを見つけるにも、各種コネや各種情報を駆使する必要があり、情弱やぼっちは地獄を見る事になるのである。


陽キャラ天国、陰キャラ地獄
 何故いきなりフィリピンの話になったかって、フィリピンにビジネスしに行って帰ってきたロンマニアの方とお話しする機会を得たからである。そのロンマニアの方曰く「フィリピンじゃ陰キャラは長生きできない」んだそうである(^_^;)フィリピンは中国のオワコン化に従い経済が活発化してきたとはいえ、未だ発展途上国で貧富の差は大きく、治安が悪い上に法整備やら社会インフラが色々と機能不全を起こしてるんだそうである。そんな中で安全に生きるために必要なのがカネであり、カネを得るために必要なのがコネや情報であり、コネや情報を得るためには陽キャラである必要があるのである。

 ワタクシが上記に書いた「情弱やぼっちは地獄を見る事になる」というのは、つまりそういう事である。コネやカネや情報が無いと、悪いヤツとそうでないヤツを見極められないのである。ソレ等が無ければ悪いヤツに良い様に食いモンにされた挙句、司法警察の機能不全に阻まれて取り戻す事も出来なくなるのである。だから陰キャラであるという事は、フィリピンにおいては死に等しいという事なのである。

フィリピン経済とフィリピンのビジネスチャンス(2016/3/7放送)

SHABUで覚醒するフィリピン
フィリピンじゃないが、ワタクシもあのあたりの東南アジアに住んでた事があるのである。あの辺りは若干の差こそあれど、大体何処も似たり寄ったりである。数十年前のニッポンもそうだったし、オワコン化しつつあるとはいえ中国もそうだし、フィリピンや中国よりも結構マシとは言えど台湾や香港だってそうである。社会が人間本位で成り立ってる以上、人間はまず人間についていくモンなのである。法や社会インフラが未整備な分だけ目立ち易くなるってだけであり、先進国も実はあんま変わらないのである。

 でもってそのロンマニアの方にフィリピンについて聞いてみたところ「人の目がギラギラしていてエキサイティングだった」って返事が返ってきたのである。確かに色々とヤバいけど、でも情報さえ手に入れば危険を防ぐ事が出来るようになるし、コネを手に入れて信頼を得ればカネだってガッツリ貸してくれるようになるし、ニッポンにはない様々なチャンスに満ち溢れてるんだそうである。その話聞いた後だと、サヨク評論家やサヨク支持者が常日頃叫んでる「ニッポンはヤバい、夢もキボーもない、安倍政権打倒ッ!」って言葉が如何に軽くて説得力が無いかを思い知らされるのである┐(´∀`)┌

*世界は陽キャラを中心に回っている
 多分ロンマニアの方の中には「フィリピンはフィリピン、ニッポンはニッポン」って考えてる方も少なくないだろうと思うが、ワタクシはそう思わないのである。法整備や社会インフラが充実したお陰で陰キャラの権利や生存権が保証されるようになっただけで、コネやカネや情報を得られる陽キャラだけが上に立てるという事には変わりないからである。ホントのホントに重要な情報やモノってのは、今も昔も人から人へと直接受け渡されるモンだからである。ネットに流されてる情報ってのは、ネットに流されてる時点で既に時代遅れになってるか、或いは重要度が低いモンなのである。

 そう、だから陰キャラが良くやる「リアルではダメだけど、ネットの世界でならッ!」っていう各種活動には、実は大した効果は期待できんのである。人は何処の誰だか分からない陰キャラが間接的に流した情報よりも、陽キャラが笑顔で自分の目の前で語ってきた言葉の方を信用するのである。だから選挙の度にSNSとかで執拗な安倍ちゃん叩きが行われようと、てゆーか行われれば行われるほど、与党が勝ち続けるのである。陰キャラには世の中を変える力はなく、世の中を変えたいのであれば陽キャラにならなければいけない。陰キャラのワタクシには耳に痛い言葉であるが(笑)でも事実だと認めざるを得ない今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20190630235301j:plain