アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

GAME OVER

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「男には男らしく振る舞ってほしいわ。そう、強くて子供っぽくね」

By フランソワーズ・サガン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


 をををををっ��( ̄ロ ̄|||)いつの間にか30000ヒットしているゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!日記を書き始めてもうすぐ1年、確か10000ヒットを記録したのが今年の夏辺りで、その時は「年末までに20000〜25000ぐらい行けばいいな〜〜」ぐらいにしか考えておらず、20000ヒットを記録した時も「年末までに30000行くかな〜〜〜」ぐらいにしか思っていなかったのが。年末をあと1週間残してアッサリ達成である。


 親愛なるロンマニアの皆様、御愛読のほど誠に有難う御座いますm(_ _)mこれからも度々(いつものように、とも言う)考慮の至らない事が御座いますでしょうが(単に何も考えずに書いているだけ、とも言う)それでも普遍不屈の気概で(性懲りも無く、とも言う)執筆致しますゆえ、これからも御指導、御鞭撻の程を宜しく御願い致します<(_ _)>


 【メタリカ 真実の瞬間】を見てて思い出したのだが、某雑誌にメタリカ初期のこんなエピソードがあったのを思い出した。時は1984年、俗に言うLAメタルグラム・ロックとも呼ばれていた)全盛期の頃、当時のメタリカは物質的・精神的に飢えた野獣のような反抗精神ムキ出しの20代前半の4人組で、当時最も過激と呼ばれていた"スラッシュメタル"の寵児。それを何を間違ったのか、とある一大ロックフェスティバルに呼ばれる事となってしまった。


 当然、メタリカの出番になった途端観客はドン引き。喜んでいたのは一部のダイハードなファンだけという状況。そんな中でフロントマンのジェームズ・ヘットフィールドが観客に向けて「スパンデックス(当時のLAメタルミュージシャンが愛用していたパンツ)共なんかクソ喰らえ!俺達はヘヴィ・メタルだ!!」と一言。これには同じく反メインストリームのファンから大喝采が巻き起こる。


 上記の通り、当時のメタリカは正に"アウトローの英雄"だったのである。周りが派手なコスチュームとけばけばしいメークを施す中、彼らは敢てシーンや社会に反抗するかのように髪をボサボサに伸ばし、何日も洗っていないようなTシャツとジーンズを身に纏い、メロディーなんか無視してひたすらヘヴィにラウドにプレイする。そんな姿にファン達は惹かれていったのである。これが俗に言う初期メタリカ(特に1st〜3rdアルバムまで)の姿である。


 が、その20年後、かつての"アウトローの英雄"はその反抗のトレードマークであった髪を切り落とし、ブランド物をさり気無く身に纏ったサッパリした身なりになり、当時一緒に出演していた誰よりもビッグなロックンロール・セレブリティーになっているなんて、20年前あの場にいたファンも、そしてバンド自身も想像していなかったであろう。これについては未だに初期メタリカこそ本当のメタリカであるという論争が未だに巻き起こっているが、ワタクシ個人の意見で言えば勝者はメタリカの方である。何故ならメジャー化した後のアルバム(基本的に5th以降)が全部ビルボード誌1位と、結果が全てを物語っているからである。ホント、何はともあれ未来というものは解らんモンである。


 そんで持って今日は聖なる夜、デートの約束も、高級レストランでのディナーも、ましてやホテルのスイートルームの予約なんて物も取っていない(涙)何が悲しゅうてこんなロマンティックな(一部の人には敬遠な)日にメタリカの話なんぞせねばいかんのだ(鬱)テレビのBGMで流れる某山下氏のクリスマスの歌が心に染み渡る今日この頃であった。