ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「純粋であればあるほど人生というものは悲劇だ。人間はすべて矛盾の中に生きている。だから矛盾に絶望してしまったら負け、落ち込むのだ。それよりも、矛盾の中で面白く生きようと、発想を転換することはできないだろうか」
By 岡本太郎
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*批判屋と否定屋
世の中良い事ばかりではない。てゆーか、ワタクシ如きにソレ言われたらお終いであろう(笑)世の中色んな人がいる&生きて真っ当な社会生活していれば色んな人に出会うが、中にはネガティブな事ばかり言う人も結構いるのである(^_^;)そんな時にワタクシが考える事は「この人は批判屋か、あるいは否定屋か?」という事である。同じように見えても、実は違うんだなコレが:
批判屋と否定屋の違い:
. 批判屋 │ 否定屋 ─────────────────┼───────────────── ・批判対象に対して基本的に悪意はない.│・基本的に悪意を以って対象を否定する .│ ・対象が欠点を認め、改善する事を .│・否定対象に改善は期待していない。 期待してるからこそ批判する │ 対象を憎んでるから否定する .│ ・世の中は基本的に善だという前提の元.│・世の中は基本的に悪だという前提の元 ボタンの掛け違えが問題と考える │ 人間や社会はバカばかりだと考える .│ ・異論の存在を基本認め、共存を否定 │・異論の存在を認めない。共存は不可能 しない │ .│ ・反論が有益なものであるならば、ソレを.│・反論は自分に対する攻撃と受け取って 認めて受け入れようとする .│ 悪意と憎悪を以って拒絶する │ ・基本的に人間不信は無いから、意見の│・基本的に人間不信。自分に同調する 違う他人と友達になる事は可能 │ 人間以外とは友達になれない │ ・批判と共に対案も用意してあるし │・否定はするが対案は示さない 改善のための行動も行う準備がある │ ただ単純に世の中をブチ壊したいだけ │ ・基本的に自分自身に肯定的 │・世の中もそうだけど、自分自身も大嫌い
もうココまで書けばお分かりかと思うが「批判屋となら仲良くしておk。否定屋は基本スルー」という事である。批判屋と話すのは楽しいのである。厳しい事を言われる事も度々あるが、でもソレは純粋な自分の欠点であり、ソコに悪意はない→改善の意思を示せば相手も喜んでくれるし、自分も成長できるからである。だが否定屋と話していて失うモンはあっても、得るモンは何もないのである。イヤな事言われてムカつくだけでなく、やり返すことで自分自身のドス黒さをも自覚しなきゃならないからである。
ワタクシの親父が否定屋だから良く分かるのであるが、否定屋って大概暗い過去を引き摺っていて、且つメンタルが弱いヤツが殆どなのである。そりゃ人間誰だって暗い過去やトラウマなんかは多かれ少なかれあるが、フツーの人ならば「でも良い事だってたくさんあった」「ひょっとしたら自分にも問題があるのかも」って考えて自分を正すモンである。が、メンタルの弱いヤツは悪い思い出ばかりに心を囚われてしまって、ソレを「自分が悪いんじゃない!世の中が悪いんだ!だから誰が何と言おうとも、自分の正しさを信じて貫いてやる!!」って自分の殻に閉じこもる事よりテメェの自己崩壊を防いでるのである。だから他人を信じないし、世の中を憎んでいる。相手を先に攻撃する事で「自分は嫌われたんじゃない。自分が先に嫌ったんだ」と自己防衛する。そんなヤツと話す事なんか仕事でもない限り皆無だっちゅー話である。
*クルマ選びと売国行為
コレ以上書くと限が無いので、前置きはココまで(笑)話は変わって、ワタクシの職場の看護師長がBMWファンになってしまったのである。何を隠そう、そのキッカケはワタクシだったりする(爆)師長がクルマ買い替えたいという事で、ワタクシに相談してきたのである。師長が新しいクルマに求めてきたスペックはこんな感じである:
- 基本用途は通勤&買い物。使用者は自分と旦那さんの2名
- サイズは小さ過ぎず大き過ぎず、日本の公道を不自然なく走れるサイズ
- スタイリングやインテリアが上質で、でも目立ちすぎず程々に
- 値段は余り気にしないけど、高すぎるのはNG
というスペックを要求されたので、ワタクシは「BMWの1か3シリーズ、アウディのA3かA4、あるいはミニ」と答えたのである。ドイツ車(ミニはデファクト上ドイツ車とする)に限定したのは、ディーラーが牛久というド田舎にもある→整備や相談が楽だからである。イタリア車やフランス車だと、場合によっちゃ牛久どころか茨城からも出なきゃいけなくなるからである。あとドイツ車は右ハンドルが充実してるのが強みだからである。
そのワタクシのアドバイスを元にBMWのディーラー行った&試乗した結果、目出度く【BMW116i】のハンコを押してきちゃったって話である。曰く「通勤が楽しくてしょうがない」「運転席がすごく心地良いし、加速が良いから追い抜きや合流が楽だし、ハンドルは重いけど”運転してる”って気分になるし、各種機能も使いやすくて便利で、しかもカッコ良い。次買い替える時もBMWに乗りたい」だそうである。何ちゅーか、売国行為とはこーゆー事を言うのであろうか(笑)何ちゅーか、外車に乗った人がその後もずっと外車を乗り継ぐ理由が分かった希ガスのである。BMWディーラーの中の人がハンコ押した時に「○○様(師長の名前)とは今後とも長い付き合いになりますが」と言っていたらしいのであるが、ソレはきっとこーゆー事なのである。
*純粋さとバイアス
因みに師長はクルマ好きでも何でもない、極々フツーのオバサンである。その「フツーのオバサンが選んだ」というトコにBMWの価値があるんじゃないかなとワタクシは思うのである。クルマに興味&知識のない人、しかも女性っていうのは、純粋に使い勝手でクルマを選ぶからである。ワタクシのような真性オタクとは違い(笑)ブランドだとかニュル北のタイムだとエンジンスペックだとかを一切気にせず、単純に「乗っていて気持ち良いか否か」「カッコ良いか否か」「値段に見合ってるか否か」でクルマを選ぶからである。その結果選ばれたのがBMWの1シリーズであり、ニッポン車との価格差も「走る楽しさや機能の充実に比べれば全然良い」という決断に至ったワケである。こういう点こそが今のニッポン車に足らないトコなのである。
一見フツーの人の方がブランドに騙されやすいと思われがちなのであるが、ワタクシは寧ろオタクの方がブランドに騙されやすいと思うのである。一番始末に負えないのは中途半端な知ったかぶりのクルマ好きである。変にクルマ知識のある人は「素人よりもクルマに詳しい自分<(`^´)>」という設定に自己陶酔してるから、純粋に自分の感性で判断できないからである。自分の感性では「違う」と感じていても、ソレ言うと「アイツはクルマが分かっていない( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )」と言われてしまうから、テンプレート通りの答えを言う事で自分を守るのである。因みにコレが有名なテンプレートである:
国産車重い:もっと軽量化しろ 外車重い:剛性感がある 国産車軽い:剛性不足 外車軽い:剛性十分 国産車高い:ボッタクリ 外車高い:妥当 国産車安い:安物 外車安い:バーゲンプライス 国産車ハイパワー:無駄 外車ハイパワー:刺激的 国産車ローパワー:物足りない 外車ローパワー:必要十分 国産車派手デザイン:恥ずかしい 外車派手デザイン:素晴らしい 国産車地味デザイン:華が無い 外車地味デザイン:シンプルイズベスト 国産車低燃費:エゴ 外車低燃費:エコ 国産車高燃費:こんな時代に全く… 外車高燃費:気にしない 国産車頑丈:それだけが取柄 外車頑丈:完璧 国産車故障:ポンコツ 外車故障:それも愛嬌 国産車オーバーステア:危険な車. 外車オーバーステア:楽しい車 国産車アンダーステア:退屈な車 外車アンダーステア:安心な車 国産車パクリ:ポリシー無いの? 外車パクリ:こっちが先でしょ? 国産車脚硬い:乗り心地悪い 外車脚硬い:スポーティ 国産車脚柔かい:フニャフニャ 外車脚柔かい:乗り心地良い 国産車排気音大:うるさい. 外車排気音大:やる気にさせる 国産車排気音小:歩行者危ない 外車排気音小:優れた静粛性 国産車高評価:メーカーの犬 外車高評価:当然 国産車低評価:当然 外車低評価:車音痴にはわからない 国産車アイドリング:振動が酷い 外車:車の鼓動が体に伝わってくる
ココまで酷くなくても、似たような現象ってあるんじゃないであろうか。例えば現行WRX-STIの重心は実は高くて(534mm。因みにライバルのランエボ×が507mm、R35が490mm)しかも重量配分も実は60:40とランエボ×よりもフロントヘビー(因みにランエボ×は59:41で、R35は53:47)なのにも関わらず「水平対向エンジンのお陰で重心が低い&前後重量が安定してるから安心してコーナーを攻められる。流石スバル!」とかドヤ顔で言っちゃうオーナーだとか(笑)知識や経験を得る事は大事なんだろうけど、その代償として純粋さは失われていく。極めた知識と根本的な純粋さ。その両立の難しさを痛感した今日この頃であった。