アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE APOSTASY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「(人生の成功者は)成功するために、まさしく”身も蓋もない努力”をしている。大事なのは”そこまで努力をする対象がある”ということなんです」

By 村上龍


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*強き者の人権

 ワタクシのファッションセンスの悪さは、リアルでお会いしたロンマニアの方には最早説明不要であろう(笑)そんなワタクシでも、真にやってはいけないファッションぐらいは弁えてるつもりである。ソレは「不潔不衛生なファッション」である。人間ってナマモノは基本的に「感情>>理性」で動くモンである。だから生理的嫌悪感を催させた時点で、相手は心の扉を閉ざしてしまうモンである。別に安物の服であっても、少しぐらい悪趣味なセンスであっても、要は清潔であれば無問題なのである。巷で言う「人間中身が大事」ってのは「見た目はどうでも良い」という意味ではないのである、ソコんトコを理解せずに「中身が大事だから見た目なんて汚くても良いはずだ」と考えてるヤツ等の言葉なんざ聞く価値すらない。ワタクシはそう考えるのである。


 だから【マクドナルドがホームレスをお断りにした】っていうソレに対しても、ワタクシはマクドナルドの判断は妥当だと思ってるのである。ホームレスである事が悪いのではなく、不潔不衛生である事のが問題なのである。清潔であれば、大富豪であろうとホームレスであろうと、誰も文句は言わないのである。ホームレスの人権?じゃあ不潔不衛生ゆえの不快感を味わうハメになる他のお客さんの人権や、店の評判を下げられるマクドナルドの中の人の人権はどうなるんだって話である。もしも「弱者の人権の方が大事、強者のソレは踏み躙って構わない」って考えるのであれば、ソレは逆差別ってモンである。ワタクシは如何なる形の差別も許容しないし、逆差別もまた然りである。


*努力は報われない?

 某ボクシングマンガに「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!」ってあるが、マンガとはいえこの上ない名言だと思うのである。ワタクシが「私は一生懸命やってる!」って言葉を嫌う理由がコレであり、努力なんてシロモノは呼吸するのと同様に、何も考えずとも自然に行うのがデフォだからである。努力が報われる保証はないけど、しなきゃ報われないんだから、やる以外の選択肢なんて存在しないのである。あともう一つ大事なのは「努力とは何か?」についてである。その答えは当然「結果を出すための手段」である。努力とは基本的に手段であり、目的じゃないのである。だから「私は一生懸命やってる!」って言葉には価値が無いのである。


 だから【為末大が”生まれと才能>努力”と言った】事に対しても、別に悪い事でも何でもないとワタクシは思ってる。何故かと言えば、生まれの良さと天性の才能をもった人だって、同様に努力をしてるだろうからである。でもって上記にあるように、努力ってのは結果を出すための手段に過ぎない→重要なのは出した結果であり、努力の量や質ではないって事なのである。ワタクシが思うに、ソーシャルゲームMMORPGが流行る理由がコレだと思うのである、双方とも才能やセンスは殆ど必要なく、純粋にゲームに費やした時間、課金した金額の数で優劣が決定し、優れた者はゲーム内とはいえ周囲の羨望と尊敬を集められる。正に努力が報われない者達のユートピアだからである(笑)


 努力が報われない社会は世知辛いって?ワタクシはそう思わないのである。例えば150センチ台しかない人は、幾ら努力しても2メートル超の人にはバスケで勝てないけど、世の中にはバスケしかスポーツが無いのかって話である。自分の長所と短所、得意な事と苦手な事を客観的にシッカリ認識して、可能性が無いのならば早々に見切りを付けて別の事をやる。コレもまた努力の一環だとワタクシは思うのである。だから上記のリンクにあるように「努力しても報われない」で挫折するヤツってのは、努力してないのと同様だとワタクシは思うのである。上記の150センチ台のバスケ選手だって、競馬やモータースポーツならば、その低身長から来る軽い体重がこの上ないアドバンテージになるのである。バスケは夢だから諦めきれない?ンなモンは甘えである。


*世の中不平等がデフォ

 故に世の中、報われる人と報われないヤツが出てくるのは至極当たり前。肝心なのは色んな成功の可能性に対して寛容である事と、失敗しても再チャレンジし易い環境である事。他の人はどう考えてるかは知らないが、少なくともワタクシはそう考えてる次第である。上記にもあるように、努力していない人間が報われるのは、逆差別以外の何でもないのである。でも世の中、そう考えてる人ばかりではないのである(^_^;)以前ナマポの不正受給問題で揉めて、そして今回のマクドナルドの件や為末大の件で、反対派の意見が何となく分かってきた希ガスのである。何ちゅーか、そりゃワタクシが幾ら熱弁したとしても、議論が平行線になるワケなのである(;^_^A)


 反対派の意見ってのは「ちゃんとした政府や社会だったら、貧困問題などは一切起こらないはず。故にナマポとかホームレスってのは悪い社会や政治システムの犠牲者であり、同情されこそすれ非難される言われはない」「強者共はその悪い社会や政治のデファクト上の賛同者→我々の敵、つまり悪なんだから、人権を奪われて当然」って事なのである。そう言われるとワタクシも「じゃあ”ちゃんとした政府や社会”を実例として示せ」とか「そういうテメェの正義の客観性は何処にあるんだ?」って反論したくなるのだが、ソレ言うと相手も感情のナマモノである人間だから、心の扉を閉ざして議論は終了となる(^_^;)人間関係ってのは難しい。つくづくそう思う今日この頃であった。