ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「私たちは、まず自己を肯定するところから出発したほうがいいようです。自己を肯定し、自己を認めてやり、自己をはげまし、よろこばせること。それが必要ではないか」
By 五木寛之
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*他力本願な自己肯定感
ココ最近のワタクシは「自己肯定感の低い事が如何に問題か」の話を決行してるのであるが、最近判決の出たこの【なぜ4歳女児は死んだのか?】も典型的な自己肯定感の超低いヤツのソレである。自己肯定感の低過ぎるヤツってのは「自分以外は皆自分を見下してるッ!」って被害妄想が強いため、ソコから「敗北や間違いを認める→自分自身までも自分を否定してしまったら全てを失う」って考えに至るため自分を曲げる事が出来ず、ソレを指摘した他人に対しても「やられる前にやってしまえッ!」って理由で攻撃的な態度を取るようになってしまうのである。そしてその独り善がりが止められない状態になると、時として取り返しのつかない事になってしまうのである。
何故独り善がりが止められなくなるかって、逆転満塁サヨナラホームランを打つためである。テメェを信じて貫き続けて最後にデカい成功を納めて、ソレで今まで見下してきた(と勝手に思ってる)連中に一泡吹かせられれば、全てが報われてテメェが救われるからである。だから誰が何と言おうともテメェのやり方を止められないし、テメェで出来ないのであれば子供をテメェの分身に見立てて、子供を成功者にする事で間接的に報われようとするのである。特にこのクソ親父の場合は、自己肯定感が超低くテメェの至らなさを認められないが故に努力も出来ないタイプだったからこそ、こういう風に最悪に事態に至るまで転がり落ちたのだと思うのである。
*球形の稼ぎ方
ただ自己肯定感が低い事は全てにおいて悪いのかと問われたら、そうでもないのである。スポーツのトッププロとかがそうだけど、適度に自己肯定感が低くて努力を惜しまない性格だと、成功しても「自分はまだまだココだ足りないッ!」って考えるようになり、ソコから更なる鍛錬と更なる進化と更なる稼ぎに繋がる事があるからである。問題は低過ぎる事と、ソレを改善する為の努力が出来ない事なのである。さて話は変わって、と:
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多分タイヤ性能が昔と比べ格段に上がってきたからだろうけど、もう昔ながらのアウト・イン・アウトをこの雑誌は全く勧めなくなってしまってるのである。ワタクシがSオーナーから教わってるヨーロッパ式のコーナリングのソレを、この雑誌も推奨するようになってきてるのである。あとブレーキキャリパーとローターに関しては「ファッションでなくガチ走り目的なら、まずは軽量化」である。もっともワタクシはファッション目的が多分に入ってたので、軽量化はせず【ブレーキ一式迷わず交換した】次第であるが(笑)
*社会は何もできない
話を戻すとしよう。この手の話になると、必ずと言って良いほど「この手の事件が起こるのは社会が云々、だから犯人を責めるのではなく、個人として社会として何ができるのかを考えよう」とかいうヤツが居るが、ソレに対しワタクシは「今までずっと考えてばかりで、何の答えも出してないじゃん┐( ̄ヘ ̄)┌ 」と答える次第である。でもって自己肯定感のソレってのは社会や国がどのようの形であれ、人間というナマモノが社会を形成するにおいて必ず現れるモンなのであり、ソレを予防する事なんて人権上不可能だからである。じゃあどうやって防ぐかって、虐待を厳罰化する&児相にもっと強い権限を与える以外の方法が無いのである。考えろとか言うヤツは、まずテメェの考えを先に言いやがれって話である。
児相の権限を強化するとか言うと「人権ガー」って騒ぐヤツが居るだろうけど、ワタクシに言わせれば「子供の人権>>>加害親の人権」である。どんなクズ親でも結婚する権利とガキ作る権利は保証されてるけど、子供には親を選ぶ権利は無いのである。でもって虐待ってのは身体や心の傷が残るのもそうだけど、二次的な影響が生涯に渡り付きまとうのである。自分の意見が言えなくなる、他愛の無い事に恐怖を感じて出来ない、他人を信用できなくなる等々。でも親は反省してようがしてまいが、刑期が終われば法的に全てチャラである┐( -"-)┌この状況でどっちの人権を優先するかと問われたら、子供に決まってるのである。理想とは現実的な選択の積み重ね、改めてそう思う今日この頃であった。