アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

LOOK MOM NO HEAD!

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「産業と市場の構造は、予定されたもの、自然の法則、永遠のものと思わせるほどに堅固に見える。だからこそ、その変化はイノベーションの機会となる」

By ピーター・ドラッカー


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


ベジタリアン宣言

 ロンマニアの皆様は大変驚かれる事必至なのだが、どうやらワタクシはアメリカ政府によってベジタリアンと認定されてしまったのである(笑)こう言うと「はいはいワロスワロス( ´_ゝ`)疲れてるんだったら、さっさとクソして寝ろ」とか言われるんだろうけど、実際問題【アメリカ政府はピザを野菜と認定した】んだからしゃーないのである。この理論でいくと、つまりこーゆー事になるのである:

  • カレー:ニンジンやジャガイモやタマネギが入ってんだから、当然ながら野菜
  • 牛丼:タマネギとショウガ使ってるんだから、言うまでも無く野菜
  • ラーメン:ネギやメンマが入ってるんだから、野菜に決まってる
  • スパゲッティ:トマトソース使ってれば、疑う余地も無く野菜
  • 蕎麦&うどん:刻みネギに七味唐辛子入ってんだから、コレまた野菜
  • ハンバーガー:レタスやオニオンやピクルス入ってるんだから、野菜以外の何でもない
  • チャーハン&餃子:レタスやニンニクやタマネギ等々を使ってるんだから、この上ないぐらい野菜

こうやって書けば分かると思うが、ワタクシの好物は悉く野菜なのである。つまり、ワタクシはベジタリアンなのである(笑)確かに記事にあるように利権云々はあるんだろうけど、アメリカは基本的に「たとえソレが悪いモンであっても、その権利を主張する権利は誰にでもある。ソレが良いモンだからといって、押し付ける権利は何処にも無い」「良いモン欲しけりゃカネを出せ。カネが無けりゃ能力出せ」って考え方なんで、ワタクシ的な感想としては「まぁアメリカならこんなモンだべ(´-`)」ってトコである。良いか悪いかではなく、ソレがアメリカなのである。


*アマゾンの良さって何ですか?

 話は変わるが、最近めっきりと外へ出なくなったモンである(^_^;)ワタクシの数多い趣味の一つが「ウィンドウショッピング」であり、昔まではドライブってコレも兼ねていたのである。その場所でしか手に入らないモンを求めて、わざわざ遠くまで遠征する。ソレがある意味ドライブの醍醐味だったワケである。ちゅーのも昔はネットショッピングがそんなに盛んではなく、ネットで売ってるモンといえば、大概何処にでもあるような月並みなモンだけだった→ワタクシ好みのマニアックなモンを見に行くためには、やはり自ら出向いて行く必要があったのである(笑)だから見たいモン、行きたいトコのリストを作っておいて、休日になったら遠方までクルマを飛ばす。コレが今までのワタクシの楽しみ方だったのである。


 が、新築のマンションには光ケーブルがデフォで付いてくる時代になると、ソレも様変わりしてきたのである。今じゃネットを使った方が、自分の足で出向くよりも遥かにマニアックなモンが見つかる有様である。でもって気が付いたら、何時の間にか「ガソリン代と高速料金が勿体無い」って考えるようになってたってワケである(笑)特にアマゾンのソレは侮り難く、方々探して見つからなかったモンがアマゾンで一発で見つかったって事も少なくない(^_^;)そんなアマゾンが脅威だからこそ【フランスで反アマゾン法が可決された】のではないかとワタクシは考えるのである。まぁ今のフランスはサヨク国家だからしゃーないっちゃしゃーないが、コレは愚かだと言わざるを得ないのである。何故かといえば、アマゾンの良さは価格だけじゃないからである。

  1. 探すのが困難な書籍でも検索で簡単に見つかる
  2. 見つかり次第すぐに購入できて即時配達される
  3. 書籍以外の商品と合わせて買う事が出来る
  4. 大量に注文しても自分で持ち運ぶ必要が無い
  5. 自分の時間を節約できる

コレ以外にも色々あるが、主だったのを並べるとまぁこんなトコであろう。だからワタクシは少しぐらい高くなったってアマゾンで買う次第である。何故なら時間をカネに変える事は出来ても、その逆は無いからである。あと前にも言ったと思うが「人類の歴史=便利さ追求の歴史」なのである。だから便利さを求めるっていうのは、ある意味人間というナマモノの本質なのである。こういう利点があるからこそ、値段と言う観点でアマゾンを規制するのは、アマゾンの本質を何も分かってない証左なのである┐( -"-)┌あともう一つ、電子書籍はどうするんだって話である。コレもアマゾンに負けず劣らずの利便性を持ってるが、コレも法律で規制するのかとワタクシは問いたいのである。


リバタリアン的文化保護

 ワタクシに言わせれば、新陳代謝もまた文化に必要な要素なのである。時代の変化と共に有意義なモンを増やしていって、要らなくなった部分を削ぎ落とし、変化し成長していく。ワタクシはソレこそが「文化を守る」って事だと考えている。この法律ってのは、いわば馬車を守るためにクルマを規制するのと同様の事で、ワタクシに言わせれば「法律を使って古臭い文化をムリヤリ守る」って行為こそが文化破壊なのであるm9(`・ω・´)もしも法律が無ければ守れない文化があるんだとしたら、ソレは滅ぶ運命にある文化なのである。ガソリンエンジンが登場して、ソコからエンジンとモーターのハイブリッドに発展して、やがては完全モーターに取って代わられる。ソレでクルマ文化が廃れるか?答えは「ノー」であり、コレこそがホントの文化ってモンなのである。


 前にも言ったようにワタクシはリバタリアンなんで、自由を何よりも重んじるからこそのこの結論なのである。ワタクシは別に「街の小さな本屋イラネ」って言ってるワケじゃないのである。ただ市場のニーズに応えようとする努力をしない側が、市場のニーズに最大限応えようとする側を国家権力を用いて潰そうとするのはどうよって話なのである。あと更に言えば、リアル書店が文化ならば、ネット通販もある意味”未来の文化”とも言えるのである。前者の文化は尊重されるのに、後者の文化は尊重されないのはコレ如何なモンかって話である。差別は確かにNGであるが、逆差別もまた差別の一種なのである。だからワタクシはリベラリズムでも保守愛国主義でもなく、リバタリアニズムの道を選ぶ今日この頃であった。