アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

PSYCHOTIC SUPPER

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「ただ自分自身であることに満足し、比較したり競争することがないのであれば、全ての人が君を尊敬するだろう」

By 老子


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*オタクと呼ばれる事

 自分が好きな事を好きだからこそ利害関係抜きで追求して、その結果として世間から”オタク”と呼ばれる。オタクとは元来そんなモンだというのがワタクシの考えであり、ワタクシもそうしてきたつもりである。が、今は全然違うようなのである( ̄〜 ̄)今の若い人って、好きだから二次的にオタクになるのではなく、オタクになる事が一次的な目的になってるのである。アホみたいな量のグッズの写真だとかをブログにアップしたり、レアグッズを手に入れた事をツイッターとかで大々的に自慢してるんだけど、どうもワタクシ的にはソイツが心底好きでやってるようには感じられないのである。実際、そういうハデな事をするヤツほど、冷めるとあっという間にソレ等を処分してしまってたりするのである。


 何ちゅーか「オタク=何かを徹底的に追及する求道者」ってイメージをテメェに纏わせたいだけにしか見えんのである。よーするにフツーの無個性なヤツが目立つために他人から差別化を図ろうとして、オタク属性を身に纏うって感じである。あともう一つは「ぼっちなヤツが他人との一体感を求め、自らにオタク属性を纏わせる」ってタイプである。オタクがぼっちなのではなく、ぼっちがオタクになるのである。ワタクシもぼっちだから分かるのであるが(笑)オタク同士の会話って楽なのである。空気の読み合いだとか、ウィットやユーモアも必要ない。ただ単純にコンテンツに関する知識を並べ立てれば、ソレだけで会話が成立するのである(爆&実話)


 察しの良いロンマニアの方ならば、ワタクシがこういうやり方に対し、良い感情を持っていない事はお分かりだと思うのである。コンテンツを愛してない→一生懸命作ってる中の人たちに失礼なのもそうだけど、こういうヤツは概して自己愛が服を着て歩いてるようなヤツだからである。サバゲーのチームなんかもそうであるが、オタクのサークルってビックリするぐらい頻繁に分裂解散結成を繰り返してるのである。テメェしか愛せないヤツがテメェを見てもらいたいがために群れるんだから、そりゃ当然の結果である┐(´-`)┌別にオタク世界に限った事じゃないが、ちゃんとグループを結成して維持できるのは、真剣に他人の事を思える人間だけである。


*一つの時代の終わり

 話は変わって、この間【某通所研究会に参加してきた】ので、その報告である。内容は詳しく言うと時間がかかるので省略するが、一言で言うと「ワタクシの新必殺技”完全アドリブ”が炸裂した」といったトコであろうか(笑)ちゅーのも原稿用意してソレ読むよっかは、脳ミソから言葉が溢れるが儘に喋った方が、臨場感あってウケが良いのである。インドネシアの故スカルノ元大統領は概要を数行書いたカンペ一つで数時間も演説をして、ソレで観衆を飽きさせず釘付けに出来たというのも、多分ソレだとワタクシは思うのである。何ちゅーか、たとえ即興の欠点としてのミスや失言があったとしても、やっぱ生で喋る事の臨場感のがウケが良いって思うのである。


 通所研終えてワタクシが感じた事は「もう”発達障害の事を知って”だとか”私達当事者の生き辛さを理解して”って訴える時代は終わった」って事である。発達障害だとかアスペルガーって言葉が表へ出るようになってから既に結構な時間が経っていて、リアルでの日常会話やネットスラングにも出てくるようになって、大学病院の精神科じゃ必ずといって良いほど”発達障害”の四文字があって、医師国家試験にも毎年出てくるようになってるのである。つまり”知る””理解する”だけならば、わざわざ講演会とかに足を運ぶまでもないって事である。もしもロンマニアの方がワタクシに「アスペルガーって何ですか?」と問われたら:



「動画だけでも山ほどあるから先ずソレを全部観て、その上で各種キーワードでググって調べて」って答えるであろう(笑)冗談抜きで、その方が手間もヒマもカネもかからんからである。だからワタクシは「もう”発達障害の事を知って”だとか”私達当事者の生き辛さを理解して”って訴える時代は終わった」と言ってるのである。


 じゃあ次に来るのは何かと言えば「如何に社会に適応するか」である。発達障害の何が問題かって、他ならぬ「社会で上手くやってけないからカネ稼げなくてメシ食えない」なのである。極端な話、重度のADHDと知的障害を併発してたって、ちゃんと仕事できて自立してりゃ何ら問題は無いのである。でもってワタクシの知る限り、アスペの人の中で正真正銘社会生活できない人ってのは、少ないのである。大部分の人は多かれ少なかれサポートして欠点を補えば、ソレなりに社会適応できるのであり、その”多かれ少なかれ”を具体的に検証して案じて実践していこうってのが今後の課題なのである。障害の有無や症状の大小は、実は然程重要な事ではないのである。


*ノーモア理屈

 あともう一つ。今回のソレをキッカケに、ワタクシは理屈で語る事を控えようと思うのである。こう書くと古参のロンマニアの方からは「今更何言ってんだテメーは」と言われるかも知れないが(笑)マジである。見た事の無い動物の特徴を文章で長々と説明して、その説明を元に絵を描けば実際のソレと同様の絵になるだろうか?答えは当然「ノー」である。だから例えば当事者の家族とかから「子供が仕事どころか、家から一歩も出られないんですけど、どうすれば良いですか?」と問われたら、ワタクシは「先ず一歩出る事から始めてください」と答える所存である(爆)先ず一歩出て、二歩目を踏み出す時に諸問題が出てきたら、その都度考えていけば良いのである。


 実はコレ、Sオーナーの受け売りだったりするのである(笑)Sオーナーの口癖の一つに「感じられない人に何言っても理解できない。だから自分は本も書かないし、ドライビングスクールとかもやらない」とあるが、長年指導を受けるとその意味が分かるのである(^_^;)実際に荷重が動くのを身体でシッカリ認識できなきゃ、タイヤを上手く使う事なんて出来ないのである。だからワタクシも、相談に対しては「先ず実体感してください」と言うようにする次第である。こういうのって自分から積極的に動かなきゃ、絶対に感じられないからである。スカルノのソレと言いSオーナーのソレと言い、やっぱ人は繋がってナンボ。改めてそう認識した今日この頃であった。