アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SET THE WORLD ON FIRE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「後悔も憧れもともに甲斐なければ、私が望むのは忘却のみ」
By ジョージ・ゴードン・バイロン

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

*憧れを捨てられますか?
 何だか「ネオクラ国産スポーツカーを買うべきか否か?」の問いに対して、肯定派が上記サブタイの言葉を使って肯定の意義を唱えているが、ワタクシの答えは「余裕で捨てられる」である(笑)その憧れとやらが生涯の仕事や公共の利益に関わるソレ(例:医者になりたい、弁護士になりたい等)ならば、全身全霊で追いかけるべしである。やりたかった事を仕事にするのは自分の為にも有意義であり、世の中の為にも有意義だからである。が、趣味趣向に関する憧れなんてモンは、本来の人生を大きく崩してまでやるモンじゃないからである。

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 ワタクシもそうだったのであるが、ガキの頃アントニオ猪木に大いに憧れて「大きくなったら猪木みたいになりたいッ!」って強く願ったヤツは、ロンマニアの方の中にも相当数居た筈である(笑)でも大人になるにつれて世の中の事が分かるようになり、テメェ自身の事が分かるようになり、プロレスやプロレスラーがどういうモンかを知るにつれて、実際に猪木と同じ道を辿るヤツは極少数となるモンである。憧れってのはそういうモンであり、余程のヤツじゃない限りガチらんのがフツーなのである。90年代ネオクラも然りであり、余程余裕のあるヤツでない限り憧れは憧れのままにしとくがベターである。

*ホントの自分って何ですか?
 この手の「夢」だとか「憧れ」だとか「ホントの自分」とかいう言葉を好む意識高い系の相場は決まってるのである。ソレは「ホントの自分を出せれば自分のポテンシャルを100%引き出せて、そうすれば周囲も自分を認めてくれる筈」って考えてるヤツである。が、実際はホントのテメェなんて簡単に見つかるモンじゃないし、見つかったとしてもソレが世間に求められてなければ元も子もないのである:
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コナン・ドイルが正にソレであるが、テメェのやりたい事とテメェが世間から求められてる事が乖離してるなんてのはフツーにある事なのである。或いは好きな事ややりたい事に対しての才能に乏しく、才能が本人の意図してないトコにあるというパターンである。いずれにせよ「テメェ自身に正直になる」は必ずしも正解じゃないって事である。

 ワタクシはブログタイトルにも示してるようにアスペルガー当事者なんで、根本的なトコから色々ズレてるんで、ハナッから「ホントのワタクシ」なんて誰も評価してくれない事が分かっていたのである(笑)だから他人と会う時は、常時健常者を演じてるのである。色んな知識や実際の経験を元に「こういう場合、健常者はこうする」ってのをパターン化して、ソレに合わせて演じるのである:
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が、この方法には問題があるのである。ソレは「精神年齢の低さまでは誤魔化せない」って事である( ̄▽ ̄;)仕事とかでの形式的な会話だけならテンプレ通りの遣り取りで済むからバレないのであるが、雑談とかの非形式的な会話だと精神的な幼さや誤魔化してるコミュ障が現れるから、結果として人間関係が上手く行かなくなるのである(´ヘ`;)当然、モテるはずなど無いのである(笑)

 だから「ホントの自分を出し切れれば皆が認めてくれる筈」という意識高い系の言葉は戯言にしか聞こえんのである(笑)だから生活云々に関しての良し悪しは何で決めてるって「カネを稼げてるか否か」で決めてるのである(爆)たかがカネ、されどカネである。カネが支払われてるって事は、ソレ即ち「お前の仕事にはソレだけの価値がある」という意味だからである:
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だからまぁ今ワタクシがやってる事に関しては「正しいかどうか、ワタクシがホントにやりたい事かどうかは分からんが、取り敢えずソレなりに稼げてるんで強ち間違っちゃいないんだろうな」ってのが正直な感想である。フェラーリとかランボルギーニとかパガーニとかブガッティとかをガンガン買って乗り回せるぐらいなら間違いなく太鼓判を押せるのであるが(笑)まぁ今は今でアリなんだろうなとは思うのである。

*気を付けよう、甘い言葉と、社会活動
 まぁ紆余曲折ありながら何だかんだやってけたのは、やっぱワタクシには師匠はじめ、少数ながらもワタクシを見捨てなかった人が居たからだと思うのである。その人等が居たから「もう少し頑張ってみよう(* ̄0 ̄)/」って気持ちになれたのであり、ソレが積み重なって今のワタクシがあると考えてる次第である。もしそういう人等が居なかったら、ワタクシは今頃どこぞの美術館で作品にペンキぶち撒けた上に手を接着剤で固定してた事であろう(笑)
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コレ論文等にも上がってるのであるが、この手の環境屋とかポリコレとかサヨク等の社会活動に発達障害当事者が取り込まれる例が結構あるのである。障害の特性上の問題で社会から孤立し易く、その恨みを社会や世間にぶつけてしまい、その心の隙間を社会運動で埋めようってなってしまうのである。実際同じ当事者のロンマニアの方も「知り合いがれいわ信者になった」って話も出てきたので、ニッポンもソレが問題になる日は近いとワタクシは考えてるのである。

 ワタクシが発達障害の啓蒙が重要だと考える理由は、この手の運動にハマったら人生ブッ壊れるからである。上記の環境テロがソレであるが、アレやるに至るともうシャバに戻れなくなってしまい、そのまま社会から見放されてドン底人生まっしぐらだからである。当事者にとっても、社会にとっても良くない事である。だから当事者に対し、少しでも人生上手く行くようにしてあげるべきだと思うのである:
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ワタクシは別にロンマニアの皆様方に「発達障害を理解しるッ!」と強要するつもりは全く無いのである。ただ頭の片隅に「皆や社会から見捨てられた人間はどういう行動を取るのか」を置いておいて、もし使う時があったら有効活用してほしいってだけである。福祉は一見ムダに見えるけど、ソレで一線を越えずに踏み止まれる人が居るだけでも意義はある。改めてそう思う今日この頃であった。.