アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

WRETCHED AND DIVINE: THE STORY OF THE WILD ONES

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
By 酒井雄哉

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

*The落とし所
 最近ネタにしなくなってしまったウクライナ紛争だけど、この度【停戦したらウクライナNATO加盟アリかも】って話が出てきたんで、ワタクシも「まぁ、ココが落し所かね( ̄~ ̄)」って思ったのである。ウクライナ側の懸念は「ココで少しでも妥協したら、2度ある事は3度あるかも知れないッ!」だから領土全奪還まで引くワケにはいかないし、ロシア側の懸念は「ココで何の成果も無しに撤退したら政権の威信が失墜して内戦になっちまうッ!」だから獲った領土を捨てるワケにはいかないのである。だからこそ、この妥協案なのである。

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 多分だけど、クリミアとドネツクとルガンスクは妥協してロシアに譲渡するんじゃないかと思うのである。譲渡した状態で停戦して、その後ウクライナNATOに加盟するって感じにしたいんじゃないかと思うのである:

ロシアはクリミアとドネツクとルガンスクだけはゲットできる

大義名分である「ロシア系住民を開放する」は達成されるから、取り敢えずロシア国内は落ち着く

(゚д゚)ウマー

その代わりウクライナNATO加盟

ウクライナ側の「ロシアは今後もまた領土を削りに来るんじゃないか」という心配を払拭できる

(゚д゚)ウマー

という風に、こうすれば双方がソレなりに戦果を得て戦争を終わらせる事ができるからである。にしても今回改めて再確認した事は「やっぱ国連は何の役にも立たない」「サヨクの言うような”世界市民の連帯による平和”なんてあり得ない」の2点である('A`)結局マンガやアニメのヒーロー作品同様、理不尽な力に対抗できるのは、ソレ以上に強い力だけなのである。

*子供はどう生きるか
 でもって何が情けないって、サヨクの大物達が悉くロクな意見をこの件に関し出さない事である┐(´д`)┌やれ外交で解決しろだの、やれ非暴力不服従抵抗しろだの、やれ緩衝地帯を設けろだの、そんなのばっかである (´-ω-`)=3でもって何気にサヨクの大御所である宮崎駿(以後パヤオ)もニッポンの事や環境の事はゴチャゴチャ言う癖に、こういう事になるとマジで何も言わないのである。そんなパヤオが何時の間にか新作映画作ってたのであるが、悲しいかな観る気が全然起こらないのである(笑)千と千尋までは楽しめて、惰性でハウルまでは観たのであるが、ソレ以降のジブリ作品は全然観てないのである。

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 ワタクシが思うに、パヤオの作品ってのはパヤオ自身が言ってるように「基本的に子供向け」なのである。ココで言う「子供」とはどういう意味かって「自我を確立していない人間」の事である。パヤオの作品って基本的に「テメェの信念や哲学を貫くために一生懸命生きるヤツ」「立場は違えど筋を通すヤツ」が主要キャラであり、そういうのを通して「カッコ良く美しく生きるとはどういう事か」を観客に問うのである。こう書くと「パヤオってサヨク的理想主義者じゃん」って思うロンマニアの方もいらっしゃるだろうけど、ソレもまた人生に不可欠な事なのである。

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 チャーチルの名言の1つに「大人になってもサヨクってるヤツはアホだけど、子供の時にサヨクった事の無いヤツもアホ」ってのがあるのである。よーするに「現実を良くしたいんだったら理想を学んでおく必要がある」って事なのであるが、パヤオ作品が正にその「理想主義の名作」なのである。ニッポンじゃ「資本論」や「共産主義宣言」なんて読むヤツはソレ専攻してる大坊ぐらいであるが、パヤオ作品は幅広い人に観られているからである、自我が確立していない「子供」の内にパヤオ作品で「サヨクって」おく事は何気に重要だとワタクシは思うのである。

*大人はどう生きるか
 自分で言うのもアレであるが、ワタクシがパヤオ作品観なくなったのも、良かれ悪かれ「大人」になったからだと思うのである( ̄▽ ̄;)大人になると自我が生まれて、テメェのライフスタイルや人生哲学が固形化されて、余程の事が起こらない限りはソレが揺らぐ事は無いのである。だから「君たちはどう生きるか」と言われても、大人は「俺の生きる道はコレだから、余計なお世話だバカヤロー」って答えになってしまうのである(笑)だから「大人」になってから説教臭い作品を見ると、子供扱いされてるようで逆にイライラして楽しめないのである(爆)

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 だから最近はやるゲーム選ぶのも、読む本選ぶのも、変にマジメで堅苦しいのは極力選ばない事にしてるのである。もうワタクシは正しいか否か、儲かるか否かは別として「どう生きるべきか」の方向性がもう殆ど決まってるので、余計な説教抜きに単純に楽しめる方が良いのである。選挙で候補選ぶ時も「誰が正しく導いてくれるか」じゃなく「誰がワタクシのジャマをしないか」で選んでるって感じである。正しさを追求しても、その先には別の正しさを追求するヤツとの衝突があるだけだから、テキトーに正しさを追求してテキトーに他正義のヤツ等と付き合う、ソレが正解だと思う今日この頃であった。.