ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「過去の自分はもはや他人だ。他人として、見よ」
By 宗夜苳治
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*17年はあっちゅー間
今更な話であるが、ホンダが【八千代工業を売却する】んだそうである。まぁワタクシがホンダ車買う予定は当面無い&ホンダに特別な思い入れなんぞ無いから別に構わんのであるが、一番気になるのが「来るEV&FCV化に云々」ってトコがであり、ワタクシ的には「ンで、ホンダはどんなEV&FCV売るの?」なのである:
youtu.be
もしホンダがマジのガチで2040年から脱ICEを目指すのならば、もう今ぐらいから準備しとかなきゃ間に合わんだろうからである。2035年になってから「この年でICEはお終い、次はEVかFCVに買い替えてね☆(ゝω・)v」って言われても、顧客がハイそうですかって乗り換えるのかって話である。
日産は10年以上前からリーフ売って下地作って、ラインナップ広げて着実にEV路線進んでるのである。トヨタはまだ1車種しかないけど準備だけは既に万端で、次世代全固体電池に目途が付き次第何時でもおkな状態である:
youtu.be
ワタクシも鬼じゃないのでトヨタほど気合入れろとは言わんが、マジのガチで脱ICEしたいのなら今の時期にこのレベルで備えなけりゃ間に合わんのである。ンで、今のホンダにそのレベルの備えがあるのかと問われたら、ワタクシの知る限り「殆ど何も無い」である。ソレなのにICEでやってるF1に再参戦するんだから、もうホンダは何がやりたいのかサッパリ理解できんのである┐(´д`)┌
*40年はあっちゅー間
話は変わって丁度40年前の昨日、1983年7月15日にファミコンが発売されたんだそうである。ワタクシがファミコン買ってもらったのは丁度この年の誕生日であり、初めてプレイしたゲームはドンキーコングJrである。ソレがワタクシのゲーマー人生の始まりであり、以降40年間ゲーマーやり続けて今に至るのである(笑)ゲームハードの値段は1.5聖徳(当時)で、ゲームソフト一個の値段は4博文(当時)ほどだったが、小遣いが月1博文だった当時小坊のワタクシにとっては大金であり、ゲームソフト買ってもらう&貯金するのに苦労した思い出があるのである(^_^;)
だから苦労して買ったor買ってもらったゲームは大事にして最後までプレイしたし、買う時もファミコン雑誌や友達のアドバイスを頼りにして厳選したモンである。時々好奇心に負けて変なゲームやクソゲーを手に取ってしまう事もあったが、ソレはソレで良い思い出だったのである(笑)でも今考えると、親がそういう風にワタクシを躾けてくれた事が、後々モノを大事にする習慣に繋がっていったと思うので、親には感謝である。まぁ流石に中坊になってくると小遣いも増える&親も理解してくれるようになったので、3.2諭吉したツインファミコンも楽に買えるようになってたのである。
小坊の頃にディスクシステム買ってもらえなくて、親もちょくちょくファミコンやるようになって、今まで使ってたのが壊れた時に親が気前よくツインファミコン買ってくれたのである。だから実はワタクシ、ディスクシステムデビューが結構遅かったのである。その後はワタクシが高坊になった記念にスーパーファミコン買ってもらって、ニッポンに留学してもサターン→PS1→DCと変わらずゲーム三昧で(笑)大学出た後もPS2→PS3→PS4→PS5となって今に至るって話である。もしも小坊の頃に親がファミコンをプレゼントしなかったら、ワタクシの人生は大幅に変わってた事であろう(爆)
*100年はあっちゅー間
古人曰く「三つ子の魂百まで」と言うが、その言葉通りワタクシのゲーマー人生はコレからも続くんじゃないかと思うのである(笑)流石に若い頃みたいに十ン時間もモニターの前で黙々とプレイする事は無いだろうけど、ゲーム自体は量と質は変われどやり続けるだろうって事である。ちゅーのも40年前とは違って、今はありとあらゆるデジタルデバイスにゲームが仕込まれてるからである。昔みたいにゲーセンや据置機だけじゃなく、携帯機もあればスマホもタブレットもPCもあって、何時でも何処でもゲームできる環境に今はあるからである。
だから今後齢を重ねていってもゲームはし続けられるだろうし、もしも脳波でPCをコントロールできる技術が確立されたら、ソレこそ寝たきりのジジィになったとしてもゲームが出来てしまうって話である(笑)あとはまぁ、ワタクシみたいなアスペルガー陰キャにとって、最早ゲームは生きてく上で不可欠な存在になってるのである。多分ワタクシだけでなく、ゲームに救われた発達当事者や陰キャは少なくないであろう。確かにゲームは時間のムダ使いと言えるが、ソレでもソコにしか居場所の無い人間にとっては魂のオアシス。ホントに要らないモンはこの世に存在しないと思う今日この頃であった。