アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

AMERICA’S LEAST WANTED

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「まず第一に理解しなければならないことは、自分が理解していないということである」

By ジャン・ポール・サルトル


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*理解の次にあるモノ

 発達障害を理解する時代は終わった。他の人がどう考えているかは知らないが、ワタクシはそう考える次第である。その概念が余り普及してなくて、調べようにも資料が少ない時代だったら、この様に【発達障害:理解を】っていうシンポジウムは重要であっただろう。が、今は発達障害の情報は巷に溢れているし、ネットでも本屋でも発達障害関連のソレは数多くあるし、ネットでも何時の間にか”発達”とか”アスペ”とかの単語が定着してるぐらいであるから、コレ以上何を理解する必要があるんだとワタクシは思うのである。実際ワタクシへの講演依頼が減ってるのは、ワタクシがTPO弁えずぶっちゃけまくってるのもあるのだけど(笑)やっぱ理解は既にある程度進んでるからだと思うのである。


 じゃあコレの何が問題かって、実に単純な話である。理解するという事と、受け入れるという事は、実は別問題だからである。ワタクシはアスペルガー当事者であり、オタクでもある。ワタクシは発達障害オタク文化に対し最大限理解を示すのだが、でも目に余る行動や失礼な言動を「アスペだから仕方が無い」って正当化する当事者や、こちらの話を全く聞かず一方的にテメェの趣味の話を延々としてくるオタク野郎と、とてもじゃないが同じ空気を吸いたくないのである。差別?ワタクシに言わせれば「我々は立場の弱い側、少数側なんだから、その分優遇されて当然」って考え方のがずっと差別だと思うのである。片方だけに一方的な妥協を強いる事で得られる平等は、決して真の平等ではないのである。


*ワールド・ニンジャデータブック

 ワタクシは常々言っているのだが、配慮ってのは互いにし合う事で初めて成り立つのである。障害者側が健常者側に「配慮しろ、理解しろ」と言うのならば、障害者側も健常者側に対して配慮と理解を示すべきだと思うのである。そうして互いに同じぐらいの示せるモンを示して、初めて真の平等が成り立つのである・・・という堅い話はウケが悪いので、と(笑)

年末という事もあり、毎年恒例のコレが今年も出てきたのである。エンジンと言えば、当然VWのアレも今年最大のネタとして欠かす事は出来ないけど、その部分も技術的な面からの詳しい説明と共に掲載されているのは流石である。今のトレンドはヨーロッパ主導の過給ダウンサイジングで、ニッポンもその後追いをしてるって形になってるけど、ヨーロッパじゃその次のライトサイジングなるモンが出てきてるのだから、実に面白いのである。余程の技術的ブレイクスルーでもない限り、ワタクシが生きている間は内燃機関が主流のままになりそうである。


もう毎度お馴染みになってしまったので、詳しい話は省略である(笑)何せ和ラノベはどれも似たような展開、似たような世界観、似たようなイラストになるので、こういう洋ラノベは読んでて楽しいのである。別にラノベに限った話じゃないけど、何でこうニッポン製品ってのは何か流行ると一斉にクローンが出まくるのか、不思議で不思議でしゃーないのである( ̄〜 ̄)ソレは別にニッポンだけに限った話じゃないけど、ニッポンのソレは”クローン”と呼んで差し支えないぐらい似たり寄ったり過ぎるのが問題なのである。


*理解から受容へ

 話を元に戻すとしよう。ワタクシが「社会の理解ガー」派を嫌う理由は、理解と受容の区別がつかないからというのもそうだけど、一番はやっぱり「理解したならば受容しなければいけない。しないヤツは人間としておかしい」って慈悲と受容と施しを強制してくるトコにあるのである。よーするにサヨクと同じで、不平等で一方的な押し付けであっても「正しい事なんだからおk」って正当化して「正しい事してる自分達は、何もしてない他のヤツ等よりも偉い」っていう偽善と思い上がりに酔ってるトコである。実際ワタクシの知る限り、この手の「社会の理解ガー」なヤツはホントにサヨクだったり、サヨク運動を並行でやってるヤツが少なくないのである。


 でもってワタクシが一番危惧してるのは、この手の発達障害関連の運動が、サヨク運動に取り込まれてしまう危険性なのである。実際発達当事者やその家族ってのは多かれ少なかれ色んな苦労をしてきた&現在進行形で苦労してる人が少なくなく、その生き辛さや疎外感を健常者社会や国を恨む事で晴らそうとしてる人も少なくないし、実際そういう人をワタクシは数多く目にしているのである。今はまだ大丈夫だけど、ココに社民党やら共産党やらが絡んできたら、ソレこそ目も当てられない事態になるのである( ̄〜 ̄)もしそうなったらワタクシ等発達当事者はアンタッチャブルな存在になり、本来目指すべき平等や受容の道から更に離れていくって話である。


 たとえ一人を除いて全世界の人が賛成したとしても、反対したその一人に意見を押し付ける事は出来ない。コレは”民主主義の父”ごとジョン・スチュワート・ミルの言葉であり、ワタクシは発達障害に対する受容もこの言葉にキモがあると考えているのである。つまり相手の理解しない自由、理解しても受容しない自由を尊重しなければ、真の理解と受容は得られないのである。この話をもっとしたいのは山々なんだけど、もう疲れたのでパス(笑)まぁココ最近はサバゲーロドスタの話ばっかだったので、今回は空気の入れ替え目的に話を変えたワケである(爆)まぁソレ以外のネタもコレといって無いので、今日はもうお暇するに限る今日この頃であった。