アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

RESCUE & RESTORE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「自分は負け犬なのに、それに気づいていない人が多い。負け犬は群れるから、自分が負け犬であることに気づかない」

By 高橋がなり


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*素の美しさ

 先日、ヒマだったんでチンタラとドライブしてたら、TypeRじゃない方の素の【シビックハッチバック】を見かけたのであるが、コレが中々カッコ良かったのである。ぶっちゃけた話、デザインだけならTypeRよりも断然良いと思うのである。明らかに空力を意識してるんだけど、全体的なデザインがバランス良く出来ているのである。何ちゅーか「空力を意識して作った21世紀のクルマ」って雰囲気であり、ワタクシはこの雰囲気が嫌いじゃないのである。最近の欧州車はスーパーカーですらムダな羽根やら鰓やら鰭やらは生えてないor本体収納型か、生えてきててもサーキット向けの一部グレードに少し生えてる程度である。その方が「空力を徹底的に煮詰めた最新のクルマ」って雰囲気がして、ワタクシは好きである。



 ソレと同時に「何故TypeRがダメなのか」の答えまでも分かってしまったのである(笑)その答えは「TypeRになってから生えてきた羽根や鰓や鰭により、21世紀から20世紀へ引き戻されてしまったから」である(爆)そう、VABにも言える事なのであるが、あのTypeRは余りにも20世紀過ぎるのであ( ̄〜 ̄)あの時代からずっと乗り続けているオッサンだとか、或いはゲームやマンガなどであの時代に憧れを抱いたオタクとかだったらソレでも良いのであるが、生憎ワタクシはそのどちらでもないのである。リトラクタブルライトをカッコ良いとも思っちゃいないし、3ペダルMTが至高だとも思っちゃいないし、ゴテゴテしたエアロパーツが高性能の証だとも思っちゃいない。身体はオッサンでも、精神は永遠の17歳なのである(核爆)


*世の中、力が全て

 何とも物騒なサブタイであるが、事実だからしゃーないのである(笑)古今東西、人間社会は力を持ってるヤツが動かし続けてきたのである。体力、知力、魅力、権力、記憶力、理解力、説得力、集中力、忍耐力、影響力、経済力、求心力、表現力、演技力、もちろん腕力や暴力や軍事力も力である。そういった力を多く持つ人間が中心となって世の中を動かしてるのである。こう書くと「正義ガー」って言われるだろうけど、正義はソレに説得力や影響力や抑止力などが付属してるからこそ有効なのである。現にアメリカの正義はソレ故に成り立ってるのであり、チベットの正義はソレが無いから成り立たんのである。ソレ抜きに「正義ガー」って叫んでも無意味なのである。正義なき力は暴力なり、力なき正義は無力なりってヤツである。


 インターネットが何故ココまで力を持つようになったか?ワタクシが思うに「数を集める事が容易になったから」である。匿名で顔を隠せるからこそ本音をぶっちゃけられるし、同じ本音を持ったヤツで固まる事が出来るようになれるからである。たとえ1万人に1人の変わった趣向でも、人口が1億3000万人要れば、その趣向のヤツが1万3000人居るって事である。その1/3でも4000人強なんだから決してバカにできない数字である:


例えばこんな風になるのである(笑)一人では心細くても、数が集まれば責任も注目も分散されるから、人はドンドン大胆かつ過激になっていくのである。でもって数が集まればカネも動くし、カネが動けばビジネスも誕生するし、人とカネがあれば票が欲しい政治屋がやってくるのである。そう、どんなバカげた下らない主張であっても、数が集まれば力が生まれるし、力があれば世の中で一目置かれるのである。そしてSNSってシロモノは、同じ趣向の人間を探し出すのに最適のツールであり、だからこそ今に至る成功を得られたのである。


 でもってワタクシの知る限り、ネットで有名になったヤツってのは、ほぼ例外なく「数を集めるのが上手いヤツ」である。数を集められるヤツが強いってのはリアルと変わらないのであるが、リアルとは違う点が一つだけあるのである。ソレは「ネットじゃ顔も名前も隠せる」って事である。顔も名前も隠せれば、人は正直になるモンである。良い意味でも、そして悪い意味でもである。顔と名前が見えないのを利用してココぞとばかりにルサンチマンシャーデンフロイデを剥き出しにするヤツも少なくなく、そういう気持ちに便乗して煽って同情と求心を得るのである。皆が皆そうだとは言わないが、そういうネガティブな感情を煽って支持を得てるヤツが少なくないのは事実である。


*数を集められる人

 じゃあ数を集められる人ってのはどういう人かといえば、例えば【つい最近エベレストで死亡した登山家】みたいな人である。ワタクシは登山に関しては全く知識が無い&死者を悪く言うつもりは全く無いのであるが、この人も典型的な「数を集めるのが上手い人」だったのである。この人についての評価は割愛するが、この人の場合はやってる事が正解か不正解か、登山家として優れてるのか否かではなく、数が集まるからこそ力を持ったのである。数があるから広告になるとスポンサーがつくし、支持者が観ると分かってるからこそテレビが入ってくるのである:

そう、善悪とか優劣とか美醜とかいうシロモノと、支持されるという事は、全く別の話なのである。こう言っちゃアレなのであるが、この人の場合、登山家として優れていなかった&人間として大物でなかったからこそココまで支持されたんじゃないかと思うのである。支持者とほぼ等身大の人間だったからこそ親近感や共感が沸くし、失敗を繰り返しても「守ってあげたいッ!励ましてあげたいッ!」って思われるんじゃないかと思うのである。


 逆に言えば、優れた人だとか大物だとかってのは、寧ろ逆に共感や同情を得難いのである。同じ様な求道者気質があり努力をしまない人、あるいは好奇心の強い人にとっては、そういう人の話は非常にためになるのである。が、そうでないヤツにとってはテメェの矮小さを思い知らされる存在であり、嫉妬の対象なのである:

例えばイチローみたいな圧倒的な天才が「僕はまだ弱い」「僕はまだ未熟」「僕はまだ勉強不足」なんて言ったら、人によっては「その半分以下の才能と努力しかしてない俺みたいなのはミジンコほどの価値も無いってか( `д´) ケッ!」って反応になるのである(笑)だから数を集めるのが上手いヤツ、特にネットのソレってのは、そういうネガティブな感情にも迎合するのが上手いヤツでもあるのである。さて話が長くなってしまったので、そろそろお暇しようと思う今日この頃であった。