アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SLAVES OF THE SHADOW REALM

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「小難しい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブソングこそ最高なのに」
By 忌野清志郎

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*キモは鉄砲
 何だか【ターミネーターの新作がまたリブートかけて発表される】んだそうである。ワタクシは3までは観てたのだが、ソレ以降は全然観てなかったりするのである。何ちゅーか3観て「あぁ、こりゃジェームズ・キャメロンじゃなきゃムリだ」って感じたんで、観るのを止めたってワケである。ターミネーターシリーズの魅力は何か?ターミネーターの能力や迫力?確かにソレもそうだが、ワタクシは「鉄砲及びガンファイトの魅せ方」だと思うのである。1と2には脳裏に焼き付くような鉄砲のチョイス、マネしたくなるようなガンファイトが所々に散りばめられていて、その殆どが印象に残ってるのである。

 何故ソレが可能だったかって、キャメロンが生粋のガンマニアだったからである。鉄砲に対する造詣が深いからこそビックリするようなチョイスの鉄砲を理に適った使い方ができるし、鉄砲を用いたインパクトの大きいシーンを撮れるのである:

Terminator - Police Station Shootout (HD)

Terminator 2: Bike Chase l Best Quality 4K

Terminator 2 T1000 Death l 4K 3D Remastered
鉄砲属性のあるロンマニアの方ならば、思わずマネしたくなるようなシーンばかりである(笑)ところが3以降は鉄砲描写が減って、代わりにターミネーター描写が増えてしまったのである。ソレはソレで面白いのだろうけど、でもマネしたいとはちっとも思わない→リアリティーが無いのである、監督にキャメロンが復帰したという事で、新作のガンアクションは少しばかり期待してる次第である。

*リアルとフィクションの彼岸
 話は変わって、ニッポンと外国の音楽シーンの違いは何処にあるかって、ワタクシは「歌と歌詞にどのぐらい重点を置くか」だと思うのである。洋楽ってのは何ちゅーか「歌や歌詞はあくまで音楽の一部分」って考えなのであるが、邦楽は「歌と歌詞が曲の中心で、楽器演奏はソレをサポートするシロモノ」って感じである。だから歌詞の中身が重要視されるし、故に【尾崎豊の歌詞をマジで捉えるヤツ】が出てきたりするのである:

尾崎豊 15の夜 歌詞つき

【尾崎豊】 卒業 (東京ドーム)
何をどう考えても、ティーンエイジャーの鬱屈した感情をモノの例えとして表現した様にしか読めないのであるが、今時はこの程度で「不謹慎だッ!」ってテレビやラジオにイチャモンつけるヤツがマジで居るんだそうである┐(´д`)┌

 ワタクシに言わせれば、こんなモンは生温くてしょうがないのである(笑)洋楽HR/HMと洋楽パンク/ハードコアで鍛え上げられたワタクシからすれば、この程度の心の叫びなど臭いのない屁みたいなモンである(爆)過激な歌詞とは、こういうのを言うのである:

【日本語訳】 スレイヤー Slayer - Angel of Death (Japanese sub)

【日本語訳】 スレイヤー Slayer - War Ensemble (Japanese sub)
尾崎豊ごときでゴチャゴチャ言ってるヤツがスレイヤー聴いたら、恐らく泡吹いて卒倒するであろう(核爆)が、コレをマジで捉えるヤツなんか居ないし、居たとしても「バカ乙」でお終いである。そう、歌詞に影響されて実際に行動するヤツはただのバカなのであり、バカはスルーするか(有害ならば)排除するだけである。

 でもってこういうクレームの何が気に食わないかって、放送する側が「バカ乙」って言わないでマジメに対処しちゃう事なのである。対処して排除する事には何の哲学も信念も無く、ただ単に「揉め事を起こしたくない」「平和が一番」っていう事無かれ主義でしかないのである┐( -"-)┌その事無かれ主義に巻き込まれる形で、大多数のネタをネタだと分かる分別ある人達の楽しみが奪われてしまう。ソレがワタクシ的に非常に気に食わないのである。なぜ一部のネタをネタと分からんバカの為に、分別ある賢い人々が犠牲や我慢を強いられなきゃならんのだって話であるo(`ω´*)o

*平和って何ですか?
 サブタイの意味を解釈すると「争い事の無い状態」だろうけど、ソレには2通りあるのである。ソレは「争いの種を抑え込んでる状態」と「争いの種そのものが無い状態」の2つである。こう書けば分かると思うが、ニッポン人が目指してる「平和」ってのは大概が後者の事なのである。反対者や不満者と徹底的に話し合って、その要望を受け止めて、賛成者や満足者と共にコンセンサスを形成する。コレがニッポン的な「理想の平和の在り方」なのである。でもって世界で一般的に「平和」って呼ばれるシロモノは大概が前者であり、互いが住み分けて関わり合わない&相互に抑止力を身に着けてる事を前提にして成り立ってるのである。


長淵剛、あつく平和を語る。

 無論、後者が良いのは間違いないのであるが、問題が一つあるのである。前回も言った事があると思うが「コンセンサスの形成が手段ではなく目標になってしまい、本来の目的が平和の為に失われてしまう事」である。相手がケンカ上等、戦争上等なヤツだった場合、コンセンサスを得ようと思ったら相手の言い分をほぼ丸呑みにするしか方法が無く、真っ当な人々が妥協や我慢を強いられてしまうという結果になってしまうのである。平和は確かに重要だけど、自由はソレ以上に重要。故サッチャー元首相の言葉だけど、正しくその通りだと改めて思う今日この頃であった。

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