アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

一年の初め

 今日は仕事始め、心身ともに引き締まる・・・・はずであったが、やっぱまだ眠い。年末年始の間に午前2時就寝、午前10時起床というおおよそ社会人らしからぬ生活リズムが出来上がってしまっていた。そこでいきなり朝7時半起床となるときついものがある。治療を続けているおかげで以前みたいに突然眠り込むことは無いものの、やはり集中力に欠ける。まだまだこれからだと思う。

 この真性過眠症という病気と付き合い始めてはや2年と3ヶ月。気持ちとしては「今年こそケリをつけたい」と思うが、中々上手く行きそうにない。今回、3ヶ月あるいは半年間の神経放射線科へのローテーションという形にはなっているが、実際どうなるかはまだ分からない。ひょっとしたら3ヶ月で戻れるかもしれないし。ひょっとしたら1年経っても「やっぱ反対論が根強くて戻れそうに無い」ということになるかも知れない。

 でも、ここ(脳神経外科)をやめる気はない、この2年間で3回も病気を理由に現場から外されているのである。「ここなら君でもやれる」なんて言われても今更信用できない。その別の医局がきちんと予定通りワタクシを専門医まで育てること、病気を理由に現場から外さない事を口約束ではなく、法的拘束力のある文章にて約束してくれない限りワタクシは首を縦に振れない。早い話、人が信用できない。一つの病気が肉体だけではなく精神までおかしくしてしまうというのもあながちウソではないと思う。

 こんな事、相談するだけムダである。2度の挫折ぐらい大したこと無い、すぐに新しい夢や遣り甲斐が生まれる、どんな苦境でも心を強く持て、エトセトラエトセトラ。相談してもこんな精神論、根性論、道徳論、倫理論しか出てこない。確かに正論だ、正しすぎて反吐が出るぐらいに。冗談じゃない、それだけで全て解決するのなら世の中の精神科医、心理学者、カウンセラーは全員失業だ。ドストエフスキーカフカを読めば解るように人間の闇の部分というものはそんな奇麗事で片付けられるほど簡単じゃない。

 「人間衣住食に困らず、安定して生きて行ければそれでいいじゃないか」なんていうセリフも耳にタコが出来るほど聴いた。それならば何故世の中にはスピノザニーチェみたいな全生涯を賭けて神を求める人が出てくるのだ。答えは簡単、人間は衣住食だけあれば満足できる生き物ではないからである。「人間はパンのみに生きるにあらず」というキリストの言葉が人間というものの生き方を簡単な言葉で示している。確かにパンが無ければ生きて行けない、でもパンだけじゃ人間の根本的な飢えを満たすことが出来ない。ワタクシはそう信じて止まない。