アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

ドン・キホーテ

 とは言っても、最近色々と話題の某激安チェーン店の話ではない。セルバンテス原作のオリジナルについてである。一般に「ドン・キホーテ」と言うと風車を魔物と見立てて突っ込んでいくシーンや、ライオンの檻を解き放って自らの勇気を示そうとしたりするシーンとかが有名すぎて「誇大妄想的で無鉄砲な人間」を表現する時に使われることが多いが、それは前編しか読んでない人のセリフである。ドン・キホーテを後編もきちんと読んでいればドン・キホーテ像が確実に分かるはずである。

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

 後編ではドン・キホーテは薄々己の狂気に感付き、冒険の中で理想と現実のギャップに悩み苦しむ。そして最後、死を迎えるにあたり、己が歩んできた騎士道の旅を全否定し自らを呪う。だが彼は最後にもこう言う、「自ら歩んできた騎士道は狂気の沙汰であった、だが自分はそれについて全く後悔はしていない」と。

 ワタクシが考えるには、前編、後編を通じてドン・キホーテという人物は、たとえその動機が己の狂気から生まれたものであっても、自分なりに神のため、王国のため、愛する姫君のために(勿論、そんなものはハナっから無いが^_^;)全身全霊を込めて任務を全うするべく生きていた。ドン・キホーテは、自らの”生き方”は否定すべきものであっても、自らの”生き様”は間違っていなかった。そう主張したかったのだと思う。

 世の中、何が完全に正しくて何が完全に間違っている、何て誰も断言は出来ない。かつての社会主義共産主義がそうであったように今理想社会としているものが、20年30年後には跡形もなくなっている。また必死で極めた一つの技術も、同じく20年30年後には完全自動化されている。今ワタクシが必死なってやっていることも、後々は大きな誤りであった。などという可能性はいつだって大いにあるわけである。

 では、どうすればよいのか。と聞かれたら「時代の流れを読むこと」も一つの答えではあると思うが、「その日、その瞬間、一番正しいと思った事を全力で全うする」、これも一つの答えなのだと思う。チェ・ゲバラ共産主義の理念を信じ、全ての人が階級の差別なく暮らせる未来を信じて全人生を革命のために捧げてきた。今では共産主義がただの机上の空論であることは彼が没した後のベルリンの壁崩壊という形で明らかになったわけだが、それでも彼の”生き様”は東西の枠を超えて多くの人に愛されている。セルバンテスは、ドン・キホーテを通じてその事を伝えたかったのではないかと思う今日この頃であった。