アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

MASQUERADE IN BLOOD

 「お前の欠点を教えてやろう、周りが見えなくなる事だ。いいか、人が何やっているのかを良く見ろ、そして良く考えろ。お前一人端折ったって仕事の邪魔になるだけなんだ」と言うのはワタクシの上司。う〜〜〜〜〜む(-_-;)どうもワタクシの持病である「オタク性視野狭窄症(詳しくは前日の日記を参照)」はまだ完全には治りきってないようである。何らかんら言いながら、ワタクシもまだ未熟だという事である。

 この「オタク」という言葉、この国では蔑称として使われることが殆どである。かと言ってワタクシはテレビによく出てくるようなオタク評論家みたいに一方的にオタクを受け入れない社会が悪いとは言わない。大岡越前ではないが、喧嘩両成敗というやつである。聖書の天使と悪魔の対立とは違い、人間のそれは必ず互いに正当性があり、互いに過ちがある。オタクと一般社会もまた然りである。

 日本という国に関してよく書かれた本が一つ:

コミック韓国

コミック韓国

 作者もまぁ、よくここまで日本という国を調べ上げたものである。ヘタな評論家のそれよりも遥かに説得力がある。「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」と言ったのは孫子。日本をライバル視しているからこそ、相手を徹底的に調べつくそうとしているのであろう。今は"韓流ブーム"と呼ばれているが、果たしてブームに乗っている婦女子方の中に、韓国の歴史を建国から現在に至るまでスラスラと言える人が果たして何人いるのだろうか。

 話はずれてしまったが、この本にもあるように、和食、和服、和製、和歌、この様に自分達に「和」の形容詞を付けて呼ぶほど日本では「和」が全てである。そんな世界の中では自分達と空気が合わない存在は「和が乱れる」と言って嫌われる傾向がある。多様性とか個性化という言葉をよく聴くが、ワタクシは実物を見た事が無い。あったとしてもコカコーラとペプシコーラポカリスエットアクエリアスぐらいの違いしかない。こういう社会の中では、オタクの居場所は無いに等しいのである。

 かといって、オタクに負い目は無いのか?と聞かれたら答えは「ノー」である。もし「オタク」と呼ばれる人たちが普通に社会に溶け込めるような人達であったらこうも侮蔑される事は無かったであろう。せいぜい"ちょっと変わった趣味を持った普通の人"ぐらいの感覚で、社会の中で普通に生きていけるのであろうと思う。

 が、現実はそうではなく、オタクの方から世間に背を向けて生きている者が少なくない。社会の方がオタクを受け入れ難いのと、社会に溶け込まなくても生きていける社会システムがそれを可能にしているのであろう。嫌われれば嫌われるほど、社会から目を閉ざし、身内の結束を強め、その結果益々孤立を強める。言い換えれば新興宗教と同じである。

 勿論、社会が皆オタクを侮蔑しているわけではないし、オタクも皆が皆社会に背を向けているわけではないであろう。が、現実はそんなイメージが強い。ここは一つ「オタク革命」を行うべきではないであろうか。社会から目を背けずに、社会の中枢に喰い込んで、社会の重要ポストをオタク色で染め上げる。そうすれば誰もオタクを軽蔑しなくなるし、むしろ「オタクはクールだ」という認識を世間一般に広める事が出来る。

 その第一弾として、このワタクシが医学界でのし上がって・・・・・いけるのだろうかと、革命宣言をした傍から不安になる今日この頃であった。